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19歳、夏

19歳。ギリ、ティーンエイジャー。正直頭も体もガキんちょで、右も左もわかっていなかった。色々な面で人より成長が遅かったから、この頃を振り返ると自分の立ち回りの下手さに恥ずかしくなる。要は自我がなかった。

10代最後の夏休みのことは今でもよく覚えている。といっても、たった一つの出来事が色濃く海馬にこびりついているだけだ。

その夏は並の大学生同様、居酒屋やカラオケで時間を食い潰すことが多かった。彼女もいなかったしこれといってやりたいこともなかったから、ただ日々を消化し続けていた。

夏の終わりが見えた頃、一通のメッセージがiPhone5に届いた。相手は高校3年生の頃に交際していた女性で、内容は「花火しない?」だった。

一見ロマンチックで胸踊る展開のように思えるかもしれないが、僕にとっては少しだけ憂鬱な出来事だった。彼女との交際には、苦い思い出しかなかったからだ。

18歳の春、彼女から告白された。ずっと仲はよかったけど恋愛感情は全くなかった。彼女の方は僕のことを長らく好いてくれていたようで、勇気を出して告白してくれたことに僕は嬉しくなり、付き合うことにした。

付き合った次の日から、彼女は急に冷たくなった。僕は付き合っただけで悪いことは何もしていない。のちに「蛙化現象」なるものだとわかった。そんなことだから1ヶ月もしないうちに何もせず振られた。心底驚いた。

その1週間後、再び彼女に呼び出された僕は苛立ちを感じながらも会いに行った。彼女は手紙で告白してきた。わけがわからなかったが、もうどうにでもなれと思ってもう一度付き合うことにした。

結果、半年ほど避けられ続けて僕らの関係は消滅した。苦すぎる思い出だ。余談だけど、世の中にはなんちゃって蛙化現象が多すぎる。

そんな彼女に、花火に誘われた10代最後の夏休み。二度も酷い目にあわされた相手の誘いなんて断ればいい。でも僕は行くことにした。自分でも馬鹿だと思うけど、何故だか会いたかった。会って話がしたかった。友達だった頃に戻りたかったのかもしれない。

夜、彼女は大量の手持ち花火を持って公園に現れた。表情は暗かった。一瞬で全てを理解した僕は、もう元には戻れないことを悟った。

それから約1時間、二人で花火をした。「おー」とか「うわー」とか、意味のない声だけ発した。なるべく自然に、なるべく早く使い切ってしまいたかった。

最後に残ったのは線香花火だった。僕らは石段に座り、チリチリ煌めく火の玉を見つめた。「これが終わったら帰ろう」と思った時、胸がキュッと狭くなった。「ちゃんと好きだったんだな」という感想が頭に流れたことを今でも覚えている。

多分、ここで気のきく言葉を吐ければよかった。「ごめん」とか「ありがとう」とか、抽象的でもいいからそういう言葉。結局火の玉が落下しても、何も口に出せなかった。

僕らは最後まで無言だった。

それから今日まで彼女には会っていない。SNSの繋がりはないし、連絡する手段がない。あってもしない。噂によると既に結婚していて、多くの友人と縁を切ったとか、そんな話。

18歳の頃、僕が酷いことを言ったのかもしれないし、キモい言動をしたのかもしれない。付き合って別れて付き合って別れて、本当はそれで終わりでよかった。

でも、19の夏に一度だけ花火をした。一言も交わさなかったから真意はわからない。あれは彼女なりの謝罪だったのか、はたまた僕に謝罪の機会を与えてくれていたのか。

恐らく死ぬまでわからない問いだけど、この夏のことはいつまでも記憶に残り続けるのだと思う。

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