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幸せ(仮)
久しぶりに文章を綴っていたら本筋からズレまくってしまったので一旦全部消した。後から軌道修正するのが面倒なので、先に予防線を張っておく。
今日のエッセイは、如何にしてフットサルで勝つかではなく、幸せについてです。
今年に入ってから、週末は専らフットサルをしている。
実はここ1、2年、あることがきっかけでフットサル(サッカーも)から離れていた。
何があったか要約すると、完膚なきまでにボコボコに負かされた試合がきっかけでプライドが折れ、球を蹴ることから足を洗ったのだ。
書いていて思ったけど、少年漫画にありがちな設定だ。
友人の誘いもあり、年明けから隔週くらいのペースで再びフットサルをするようになった。
始めたての頃は体力の低下により全く動けず、3試合目には気持ち悪くなったりしていたのに、しばらく続けていたら慣れてきて、今では2時間みっちり楽しめるまでになった。
それどころか、自身のプレーや試合内容にまでこだわるようになった(友人のプレーを批判して大喧嘩に発展した。反省しています)。
今日も朝9時から11時まで友人とフットサルをして、そのままスーパー銭湯に行って汗を洗い流した。
銭湯に併設されているご飯屋さんで醤油ラーメンを啜り、食べ終えた僕らは時計を確認して驚嘆する。
これだけ充実した時間を過ごして、まだ14時。実はこれ、毎週思っている。
帰りの電車内で、「喧嘩最強のスポーツは何だと思う」だなんてくだらない会話で盛り上がり、僕は一貫して相撲を推していたのだが、友人の「でも結局総合格闘家が強くね?」という意見に対し、「確かに」と腑に落ちたところでちょうど駅に着いた。
帰り道、大好きなラジオを聴きながらゆっくり歩いた。
まだ明るい空を見上げて、思い出しても恥ずかしくなるくらいはっきりと、「あ、俺今めちゃくちゃ幸せだわ」と思った。
今日はたまたますぐ解散したが、いつもならフットサルの後みんなで昼から酒を飲み、2軒目、3軒目と足を運ぶ。
酔いが回り始めた頃、トイレのタイミングでふと腕時計を確認する。
「嘘だろ! まだ20時かよ! どんだけ飲めんだ!」と嬉しくなり、千鳥足で卓に戻る。
解散する時、駅の改札で「今日、最高の休日だったな」と確認し合い、各々電車に乗り込むのだ。
そんなこんなで2023年に入ってからの僕の人生は、多幸感に溢れている。「幸せだ!」と感じることが急増した。
社会人1年目、23歳の頃、僕は「人生とは何か」「生きるとは何か」「幸せとは何か」を、真剣に模索していた。
哲学書を読み漁ったり、自己啓発本に感化されたり、その道の先でオードリーの若林さんと出会った。
とにかく辛かった。毎日辛かった。幸せになりたかった。有名になれば幸せになれると思ってあれこれ挑戦した。
他人と自分の人生を比べた。特別になろうとした。
馬鹿だった。幸せとは、「週末、友人達とフットサル終わりに昼から酒が飲めること」だったのだ。気付くのに4年も掛かった。
先日「絶対に成りたいものに成る」だの「夢を叶える」だの、熱いエッセイを投稿しておいてあれだが、それらと幸せは全くの別物である。
何を注いでも満ちることのなかった幸せの器が、27歳を迎える年にようやく満ちた気がした。
仕事はもちろん、順風満帆なわけではない。ミスもするし怒られるし、ストレスだって溜まる。
「次のボーナスで絶対辞める」と思い続けている。
だけど週末は楽しいし、フットサルがなくても本を読んだりドラマを観たり小説を書いたりすれば心が満たされる。
2019年の僕へ。今、僕はとても幸せだ。幸せなので、幸せに気付いたエッセイを書いてしまった。
でもなんか、この先にもっと大きな幸せが待ってそうだから、タイトルは「幸せ(仮)」にしておこう。
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