医学部女子の端くれ

とある大学の医学部女子です。略していじょはと呼ばれています。日頃のモヤモヤや鬱憤を日記…

医学部女子の端くれ

とある大学の医学部女子です。略していじょはと呼ばれています。日頃のモヤモヤや鬱憤を日記として書いています。Radiotalkもやってるのでそちらもぜひ聞いて頂けると嬉しいです。 番組 医学部女子は大体変人。https://radiotalk.jp/program/46279

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最近の記事

成長

 2023年は、一言で表すと「成長」である。  詳しくはラジオトークの収録の方で話しているので、ここでは簡潔に書こうと思う。気になる方はぜひ収録の方も聴いていただけると嬉しい。  今年は記事にも表れていたが、とにかく自分について考える機会が多かった。去年までなら考えた上で全てネガティブに捉えていたが、今年は初めてポジティブに捉えられたと思う。  きっとそれは、成長したからだと思う。成長というより大人になった、そんな感じだ。おかげでか、「いじょはちゃんは大人だね、人生何周

    • 恩人

       ただただ感謝を伝えたい。心からそう思っている。  私は和牛さんが大好きであり、命の恩人だと思っている。だから、少しこの場で愛を語らせてほしい。  私が和牛さんを好きになったのは、忘れもしない、2017年12月3日、M-1グランプリ2017ファーストラウンドのウエディングプランナーというネタを観た時の事である。当時私は高校2年生という、世間的には青春真っ只中の華の時期でありながら、人生のどん底に沈んでいた。鬱を理由に応援団長を辞めたが、辞めてからさらに鬱が悪化し、全ては自

      • 昨日サマソニで星野源を観た。ここ2年くらいでいろんなライブを観てきたけど、やっぱり源さんが好きだと感じるのはきっと、自由に音楽を感じて踊る楽しさを思い出させてくれるからだと思う。型にハマったふりをしてもいいししなくてもいい。音楽は自由なんだ、きっとね。

        • 解放

           この前ふと、中学生の時に出された課題である意見文のことを思い出した。必ず自分の経験談を入れるという条件はあるものの、自由にテーマを決めて良いというものであった。そして私が書いた意見文のタイトルは、「自分を殺すこと」であった。  詳しい内容までは覚えていないが、確かその当時習っていた習字教室で、先生に「クセが出ないよう自分を殺しなさい」と言われたことを元に、他人に合わせるためには時には自分を抑える必要がある、それこそ「自分を殺す」必要があるということを主張した文であったはず

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        • その他
          10本
        • モヤモヤ
          27本
        • 日記
          21本

        記事

          自分を愛してる

           こんな自分を愛してる。  ここ数ヶ月、私はこの界隈から姿を消していた。その理由は端的に書くと、精神的に落ち込んでいたからだが、そのおかげで自分という存在と真剣に向き合えたと思っている。  私には自分と他人を比較する癖が強くある。比較した結果、自分はダメだと思い込み、他人を羨ましく思い、それを妬みや僻みに変換して発信するコンテンツとしてきた。  自分をダメだと思い込むことで、悲劇のヒロインになろうとしていたのだと思う。その方が注目されるから。他人に対する嫉妬を披露する方

          自分を愛してる

           自分の事を好きになれない。だから誰かに好かれる事でその穴を埋めたい。でもみんなに好かれようとすると嫌いな人まで関わる事になってしまう。そして嫌いな人を認められない自分が嫌になる。そんな悪循環に陥っている。  自分の事を好きになりたい。遠い先だろうけど。

           自分の事を好きになれない。だから誰かに好かれる事でその穴を埋めたい。でもみんなに好かれようとすると嫌いな人まで関わる事になってしまう。そして嫌いな人を認められない自分が嫌になる。そんな悪循環に陥っている。  自分の事を好きになりたい。遠い先だろうけど。

          現実

           私は、現実を受け入れようと思う。  人間は誰しもが、自分のイメージキャラクターを持っていると思う。他者からこう思われたいという欲から自分のキャラクターを作り上げ、その像に少しでも近づこうと、あるいはその像を守ろうと必死に振る舞う。だが、時にその像は本当の自分と乖離していることもある。キャラクターを作りすぎると、本当の自分が付いていけなくなる。  近い表現で言えば、裏表だと思う。表ではよく思われようと気さくに振る舞うが、裏では表で感じた不満を愚痴などとして吐き出す、そのよ

          許可

           いいかげん許すことにした。自分を。  自分には悪い癖が多数存在するが、そのうちの一つが自分を責めてしまうということだ。別に必要ないのに、誰も求めてないのに、勝手に自分はこうでなければならないという義務感を自分自身に課してしまう。未だに感じてしまう嫌な癖である。  中高時代が特に顕著だった。中学で少し勉強ができてしまったせいで、家族や同級生(友達と書かないという時点で自分がどんな子だったかを察して欲しい)から過度に期待されてしまい、自分はトップを走り続けなければならないと

          上書き保存

           どうやら私は上書き保存が苦手なようだ。  まだ21歳という世間的に見れば若い年齢ではあるが、それでも多少なりとも紆余曲折あった人生を歩んできたつもりだ。自分から書くのはあれだが、特に私は他の人よりも良くも悪くも濃密な経験を積んできたと思っている。しかし、不思議なことに、人生を振り返ったときに真っ先に思い出されるのは、悪い出来事ばかりなのだ。  自分の人生の全てが悪いことで埋め尽くされているとは思っていない。むしろ人並みに嬉しいことも経験してきたとも思っている。しかし、パ

          内自慢

           私は新たに「内自慢」という考えを提唱したい。  全てにおいて平等に扱おうとする流れが今の世の中にはあるが、それでもまだ不平等さ、理不尽さというのは消えていないと皆さんも感じるのではないだろうか。私は大学生活で、特に部活動やサークル活動でそう感じている。  不平等さというより、不均等さに近いものを私は部活やサークルで感じる。要するに、ハブられているような気がするのだ。周りの人たちはきっとハブいているという自覚はないだろうが、どうしても実力差というものが生まれてしまっていて

          誰とでも、誰からも

           「誰とでも」と言っているうちに「誰からも」声をかけられなくなった。  私は人間関係が下手くそだ。それにちゃんと気づいたのは実は最近のこと。気づいて振り向いた時には、もう既に誰もいなかった。  昔から私は1人だった。良く言えばクセが強い面白い奴、悪く言えば変に目立った面倒くさい奴、きっとそんな奴だっただろう。だから昔は「誰とも」合わなかった。  私はこんな自分が嫌だった。変わりたかった。誰かに認められたかった。こんな自分でも正しいと。  だから私は「誰とでも」合うよう

          誰とでも、誰からも

          見ないふり

           見ないふりをしたら、心が楽になった。  私には友達が少ない。正確に言えば、コミュニケーションの取り方が下手くそだと思う。だから現在大学生だが、中高で若干孤立していたし、親友と呼べる存在が今もいないと感じている。  そして、この事を強く感じる時が年に数回存在する。それが、長期休暇の時だ。私の周りの大学生の大半は、長期休暇のたびに実家に帰省し、地元の友達と遊んでいる。そしてその中の、特に学生時代からキャピキャピしていた、いわゆるスクールカーストのトップ層は、決まったルールが

          大人になりたくなかった

           私が思う「大人」になりつつある。それがすごく嫌である。  私が一年生の時、運動部の方がものすごくブラックだった。よっぽどのことがない限り週4で強制参加、一年生は雑務を押し付けられ、正規練習後にも練習があった。大会前は朝練も必須だった。先輩方は圧が強く、意見が通ることはなかった。そんな状況が嫌だった。だから自分が幹部代になったらブラックな指導はやめて、ホワイトな部活にしようと誓った。  「大人」の恋愛観に関しても分からない面があった。もし失恋をしたら、仕事を頑張ったり、趣

          大人になりたくなかった

          別れればいいのに

           私は人の不幸を願う最低な人間だ。  私の大学の医学部内にはカップルが多数存在する。同期同士であったり、部活の先輩後輩であったり、中には卒業した先輩と付き合ったりしてる者もいる。医学部男子と看護女子のカップルもあるあるだ。そして、こやつらの話は大体飲み会のネタにされる。「この間〇〇と△△が駅前歩いてたわ〜」や「〇〇と△△、喧嘩してるらしいよ」などを何度聞いたことか。まあ大学生なんて大体エロ猿だから自然と恋バナになるのは仕方ない、というか私も好んで恋バナをするときがある。しか

          別れればいいのに

          恋したくなかった

           また同じ過ちを犯してしまった。  以前の記事にも書いたが、私は告白されたことが一度もない。両思いになったことがない。全て自分の片思いで、勝手に告白し、玉砕してきた。しかも大学生になってもそれを繰り返した。だから私は今度こそ誰かに告白されるようなモテ女になると決意し、ここ一年それなりに努力してきた。もう自分から恋なんてしてやるもんかとも思っていた。  しかし、ここ1ヶ月、どうも自分の様子がおかしい。どうやら私はまた恋をしてしまったようだ。相手はきっと皆様なら察しがつくと思

          恋したくなかった

          推しあわせ

           推しは身近に作った方がいい。絶対に。  私には現実に推しがいる。皆様が好きなアイドル、歌手、俳優、芸人などに熱中し、出ている番組を追ったり、SNSを確認したり、グッズを買ったり、ライブに行ったりするように、私も現実の推しに熱中している。あまり目を合わせないようにするが、それでも日々のファッションをチェックしたり、後ろから眺めたり、SNSへの投稿を凝視したりする。側から見ればストーカーだねこれ。  そして、現実の推し(今後は「推し」と明記する)が尊すぎる場合、誰かに伝えた