誰とでも、誰からも


 「誰とでも」と言っているうちに「誰からも」声をかけられなくなった。

 私は人間関係が下手くそだ。それにちゃんと気づいたのは実は最近のこと。気づいて振り向いた時には、もう既に誰もいなかった。

 昔から私は1人だった。良く言えばクセが強い面白い奴、悪く言えば変に目立った面倒くさい奴、きっとそんな奴だっただろう。だから昔は「誰とも」合わなかった。

 私はこんな自分が嫌だった。変わりたかった。誰かに認められたかった。こんな自分でも正しいと。

 だから私は「誰とでも」合うような人間になろうとした。でも根本は変わらなかった。その結果、なんとなくは喋れるけれど、結局は分かり合えない、友達になれない、そんな悲しい人間が生まれてしまった。


 さらに悲しいことに、「誰とでも」合おうとした人間は周りからは見抜かれ、「誰からも」声をかけられなくなった。努力は全て水の泡となった。

 今もこれは続いていると思っている。誰かに誘われるということはほとんどない。いつも自分からだ。相変わらず「誰からも」声をかけられないという、下手くそな人間関係のままでいる。

 正直、寂しい。色んな人に声をかけられたい。極端なことを言えば、モテたい。そう、私はモテたいのだ。モテ期を体感したいのだ。

 でも、最近はその考えも変わりつつある。

 以前は「誰とでも」、最近は「誰からも」だったが、今後は「誰かと」合う人間になりたい、そう思っている。

 21歳になり、将来のことも本格的に考え始めている今、もはや「誰とでも」合う必要はなくなってきたと感じる。どうせ将来はみんなバラバラになる。一生友達などほとんどありえない。だったらせめて、少しでも交友関係を続けられる、そんな「誰か」を私は探したい。

 その「誰か」というのは、実は見つかり始めている。少しずつだが、私も人間関係が上手くなっているのかもしれない。成長するには少し遅すぎる気もするが、こんな遅咲きの仕方があってもいいんじゃないだろうか。さあ、明日も「誰か」を探すとするか。あ、エイプリルフールだけど嘘じゃないよ。今日はここまで。

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?