見ないふり

 見ないふりをしたら、心が楽になった。

 私には友達が少ない。正確に言えば、コミュニケーションの取り方が下手くそだと思う。だから現在大学生だが、中高で若干孤立していたし、親友と呼べる存在が今もいないと感じている。

 そして、この事を強く感じる時が年に数回存在する。それが、長期休暇の時だ。私の周りの大学生の大半は、長期休暇のたびに実家に帰省し、地元の友達と遊んでいる。そしてその中の、特に学生時代からキャピキャピしていた、いわゆるスクールカーストのトップ層は、決まったルールがあるかのようにSNS、主にInstagramに写真を投稿する。まあ大学生なんて(あくまで個人の考えだが)自己顕示欲の塊だから、写真をアップするのは仕方がないことだと思うし、かくいう私もその大学生のうちの一人であると自認している。

 しかし、時折心が締め付けられる。それは、「高校の部活の同期と遊んできた」的な投稿を見た時だ。なぜかというと、私には高校の部活の同期がおらず、一人だけだったからだ。しかも、高校のクラスの同期もわざわざ集まるような仲ではない。さらに、今の大学での部活の同期とも遊びに行くような親しい仲ではない。どうやら私は「同期」というものに恵まれなかったようだ。いや、逆に私がコミュ障だから「同期」を悪く感じているのだと思う。なので、この年末年始に、「#(高校)(部活名)しか勝たん」や「3-〇で年越し最高すぎ😂」という投稿を見た時は、脳を直接ぶん殴られたような気持ちになった。それぐらいショックだった。

 だから私は見ないフリをすることにした。具体的には、Instagramを徹底的に見ないようにしている。連絡ツールとして使っているので完全に消去はできないが、1日に1分だけと決め、スクリーンタイムで規制している。そうすることで、無駄な投稿を見る必要がなくなりスッキリする。この生活を数日続けているが、とても心が楽である。

 もちろん、根本的な解決にはなっていない。私に友達が少ないことには変わりがない。しかし、心が楽であるかどうかで、だいぶ違うと思う。内面が変われば、外面も変わる。そうすることで、自然と人間関係も変わるのではないかと思っている。見ないふりをすることで、見えることがある、私はそう信じたい。今日はここまで。

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