現実

 私は、現実を受け入れようと思う。

 人間は誰しもが、自分のイメージキャラクターを持っていると思う。他者からこう思われたいという欲から自分のキャラクターを作り上げ、その像に少しでも近づこうと、あるいはその像を守ろうと必死に振る舞う。だが、時にその像は本当の自分と乖離していることもある。キャラクターを作りすぎると、本当の自分が付いていけなくなる。

 近い表現で言えば、裏表だと思う。表ではよく思われようと気さくに振る舞うが、裏では表で感じた不満を愚痴などとして吐き出す、そのような感じだろうか。だから、裏表がない人というのはキャラクターと本当の自分が離れていない人、ある人は離れている人なのだと私は思う。

 私も最初は裏表がない人間だった。本音をそのまま表に出していた。でもそのせいで色んな人を傷つけてきた。だから自分は本音を隠すようになった。ある意味大人になったということなのかもしれないが、本音を隠し続けることで、徐々に裏表がはっきり分かれるようになってしまった。

 表ではいくらでも嘘をついた。強がって見せていた。でも裏も認められたかった。本当の自分を、本音を聞いてもらいたかった。だから私は「医学部女子の端くれ」を生み出した。ラジオをやりたい、経験を伝えたいと言った目的もあるが、真の目的は裏を吐き出せる場が、本当の自分を認めてもらえる場が欲しかったのだ。

 案の定、成功した。表でどれだけ辛い思いをしても、私には裏がある、私は医学部女子の端くれだ、いじょはだと思うことで、メンタルを保っていた。ありがたいことに、いじょはの最低な愚痴を聞いてくれる人も現れた。ある意味、私はいじょはに救われていた。

 二重人格のような状態になっていた。どちらか一人が辛い経験をしても、もう一人がいると思うことで救われていた。でも、弊害も生まれた。私が人と仲良くしようとしても嫌われたくないからいじょはのことを隠さなければならないし、いじょはでも特定されたら怖いから私のことを隠さなければならない。結局お互い縛り付けるような形になってしまった。


 生きなければいけないのは私、でも本当の自分はいじょは、私はこう思っていた。しかし、実は二人とも本当の自分ではなく、キャラクターであるということに最近になってようやく気づいた。

 元々裏を形にするために生まれたいじょはも、実は本当の自分ではなく、キャラクターである。だって、皆さんは私の本名も見た目も今どこで何をしているのかもわからないのだから。それが果たして本当と呼べるのだろうか。私の答えはNOだ。結局は素顔を曝け出さずにいる。匿名だから当たり前なのだが、それでもいじょはは当初の目的とは違う存在となってしまったのだ。

 表も裏も本当の自分ではない。じゃあ本当の自分は何なのか、実は最近まで悩んでいた。本音すらわからなくなっていた。しかし、ここ数日考えを巡らせることで、一つの考えに辿り着いた。今私に必要なのは、本当の自分を探すことではなく、現実の自分を受け入れることなのだと。

 本当の自分はまだわからない。自分が何をしたくて、どう生きたいのか、正直まだ掴めていない。しかし、表がどうであれ、裏がどうであれ、どちらも自分であることには変わりなくて、結局生身の人間として生きていかなければならないのであるならば、まずはこの現実を受け入れる、全てはそこからなのだとやっと思えるようになった。

 一時期は本名すら失いかけていた。それぐらい表にいたくなかったのだと思う。しかし、ありがたいことに表も楽しいとやっと思えるようになってきた。今までは裏に、いじょはに依存しすぎていたが、そろそろ卒業する時が来たのだと思う。

 今この記事を書いている時点で、まだ裏にいるじゃねえかと思われると思う。しかし、この記事はあくまで表で思ったことを言語化するために書いている。ここまで書き上げたから投稿はするが、正直共感はしてもらえないだろうし、意味不明だとも思っている。しかしこれでいいのだ。これも現実だから。

 最後に、一つ本音を述べておく。私はいじょはを見捨てる気はない。つまり活動は続けるつもりだ。しかし、今までいじょはであることに誇りを持っていたように、今度は私であることに誇りを持ちたい。私を愛してあげたい。でも私であることに疲れたら、いじょはに戻ってくるかもしれない。そこはわからない。けど、今は私でいたい。そう思っている。今日はここまで。


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