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これまでの50年とこれからの50年〜沖縄本土復帰50周年に寄せて⑦〜

はじめに

 沖縄は本土復帰50周年を迎えています。復帰前、沖縄はどんな沖縄をめざしていたのでしょうか。
 復帰は、めざしていた沖縄に近づけたのでしょうか。

「建議書」に記された復帰への願い

 復帰で沖縄がめざしていたもの。
 当時の琉球政府の屋良朝苗主席が政府に提出した「建議書」の中に、本土復帰の願いが凝縮されています。
 建議書では固い表現になっていますが、①平和憲法のもとでの基本的人権の保障、②基地のない平和な沖縄、をあげています。

 「建議書」では、復帰前の沖縄が、米軍基地の重圧のもとでいかに県民の人権が保障されていない実情について、訴えていたのです。

 復帰して50年、建議書の二つの願いは、はたしてどう変わったのでしょうか。

 ①沖縄に平和憲法が適用されてからも、米軍基地からの重圧は続きました。
 さまざまな米軍関連の事故・事件が起こり、今なお県民の基本的人権を侵害し続けております。
 50年経った今も、県民の人権は蝕まれているのです。

 ②そして、復帰後も米軍基地の整理・縮小は進まず、今なお、沖縄には米軍基地・施設が沖縄県土面積の11%、沖縄本島の20%を占めております。

 屋良主席が建議書で要望した①も②も、50年経った現在もなお変わっていないというのが、沖縄の現状なのです。

新たな建議書に込められた願い

 沖縄県の玉城デニー知事は、本土復帰50周年にあわせて「平和で豊かな沖縄の
実現に向けた新たな建議書」をまとめ、政府に提出しています。
 新たな建議書の中でも「復帰前に沖縄県と政府が共有した沖縄を平和な島とする目標は50年経過した現在も達成されていない。」と指摘しております。

 また、新建議書では、ロシアのウクライナ侵略を念頭において「武力による抑止ではなく平和的な外交・対話により緊張緩和と信頼醸成を図ることで地域の平和の構築を図る」と述べています。

 さらに「抑止力の名で軍事力強化に頼ることに対して、悲惨な沖縄戦を経験した県民の平和を希求する思いとは全く相入れるものではありません。」と述べております。

 復帰後50年の政府の取り組みは、残念ながら基地存続・基地強化の50年でしたが、これからの新50年は新建議書に謳われているように、平和な沖縄づくりに取り組んでもらいたいものです。

変わらないでほしいもの


 復帰後の沖縄の目指していたものが実現できず、何も変わらなかったことを縷々述べてきましたが、実は変わらないものが他にもたくさんあります。

 思いつくままに並べてみますと、南国特有の亜熱帯気候や、世界に誇るべき伝統芸能が沖縄にはあります。
 亜熱帯気候は、この間の気候変動で変わっていくのではないかと心配しているところです。

 また、沖縄は万人が認めるように伝統芸能の宝庫です。琉球舞踊、組踊、エイサー等は、昔から多くの人々に愛されてきた誇るべき文化です。

おわりに


 復帰50年を迎えた沖縄で変わったもの、変わらなかったものをしっかり峻別し、変えていかなければならない課題には臆することなく取り組んでいきたいものです。


 建議書の柱平和な沖縄をいざや築かん万人(うまんちゅ)とともに(短歌)

 美(ちゅら)さんは私のことよ仏桑華(俳句)

 シーサーもねめつけているオスプレイ(川柳)

 かき鳴らす蛇皮(じゃび)に指笛歌の島(川柳)

 修羅阿修羅今なお続く沖縄よ(川柳)

●参考文献 
平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書(沖縄県)

復帰措置に関する建議書(沖縄県立公文書館)


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