見出し画像

アメリカ世(ユー)から日本世(ヤマトユー)へ〜沖縄本土復帰50周年に寄せて③〜

 私の住む埼玉県深谷市は、近代資本主義の父渋沢栄一翁の出生地です。地元は今、栄一翁のことで盛り上がっております。
 昨年はNHK大河ドラマ「晴天を衝け」が放映され、再来年(令和6年)には1万円札の肖像画に栄一翁が登場するからです。
 地元の商工会議所では、栄一翁の肖像画の入った万札を飾り、ムードを盛り上げたりしています。

現在の深谷駅

 私は生まれも育ちも沖縄でしたが、私が過ごした少壮期の沖縄は、米軍に施政権があった時代で、日常生活に使用される通貨も施政権者である米軍が定めた通貨でした。
 まず、私が物心のついた頃にあったのは、B円という軍票でした。B円というからにはA円もあるはずでは、と長い間謎でした。

 最近わかったことですが、朝鮮半島のアメリカ軍占領地域で使用されていた軍票がどうやら「A円」だったようです。同時期に朝鮮半島ではA円、沖縄ではB円という軍票が通貨として使用されていたのです。

 このB円は、沖縄で1958年(昭和33年)まで利用され、その後アメリカのドル通貨に切り替えられました。アメリカが誇るドル通貨を使用して生きてきましたが、そこには何の誇りも生まれなかったことを憶えています。

 そして1972年(昭和47年)5月15日に祖国復帰が実現し、まもなくドル通貨から円通貨に切り替えられました。

 新たに登場した円通貨を見て、周囲のお年寄り達は「アメリカ世(ユー)から日本世(ヤマトユー)になった。」と言ってドル通貨に別れを告げていたことを憶えております。

 こんな風に、私は、沖縄に生まれたばかりにB円(軍票)、ドル、円という通貨に向き合ってきたのです。
 後に海外旅行へ行った際、ドル通貨に再び相まみえることがありましたが、懐かしい気持ちが湧き上がってきたことを憶えております。


 リンカーンもワシントンもいたドル通貨(川柳)

 ままごとのお代もみんなドル・セント(川柳)

パティオ(深谷市)


この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?