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アイザック・チョン・ワイ『FALLING REVERSELY』/目は旅をする086(人間の秘密)
アイザック・チョン・ワイ『FALLING REVERSELY』(ziberman刊)
2024年のヴェネツィア・ビエンナーレのアルセナーレの会場は、3回ぐらい行き来して見直してみたけれど、一番印象的だったのは、パフォーマンス映像を複数の縦画面の大きなモニターで見せていた、香港とベルリンをベースに活動するアイザック・チョン・ワイの作品だった。
サーペンタイン・ギャラリーでのジュディ・シカゴ展「Revelations」が導く未来/一日一微発見451
今回のアートの旅は、気がつくと、見たいアーティストは、女性作家とクィア、ブラックアートばかりだった。
ロンドンではザネレ・ムホリ、オノ・ヨーコ、インカ・ショニバレ、ジュディ・シカゴだし、そのあともサラ・モリス、アンネ・イムホフがあり、さらにトイイン・オジ・オドゥトラとの遭遇もあり、終着点のアルルでも石内都さんをはじめとする女性写真家たちの展示がある。
これは僕の恣意的なものではない。
そして一過性
ヴィヴィアン・サッセンとシュルレアリスムのアップデート/一日一微発見449
2024年の4月、kyotographieにおいて、パリでの展示が、京都新聞社の地下スペースに再構成されたものを見た。初日には、ヴィヴィアン自身が会場を説明してまわるツァーがあり、僕も参加した。コロナ前は毎年、アムステルダムの現代写真のアートフェアUNSEENの時に会っていたから、久しぶりの再会だった。
京都新聞社の地下は、かつてはそこに新聞の巨大な印刷機があった場所だが、今や機械は取り除かれ、
赤瀬川原平 『1985-1990赤瀬川原平のまなざしから』/目は旅をする086(幸福)
赤瀬川原平 『1985-1990赤瀬川原平のまなざしから』(りぼん舎)刊
コンテンポラリーにおけるアート思考は、アートの価値生成にまつわる要点だが、これは反芸術や非芸術による切断体験や、変成のプロセスが必須である。それは暴力的な「破壊」の場合もあれば、そうでない「脱構築(デコンストラクション)」の場合もあって、しかしいずれにせよ「破壊的創造(ディスラブション)であることには変わりない。
この「
アドリアーノ・ベトロサの第60回ヴェニス・ビエンナーレをイメトレする/一日一微発見448
ヴェニス・ビエンナーレに最初に行ったのがいつだったかは定かではないが、はっきり意識的に行くようになったのは2000年頃からだと思う。それ以降はこの2年に1度の国際芸術祭に皆勤賞で行くようになった。
コンテンポラリーアートは、時代を写す鏡であり、もっと言えば未来を予知する水晶の玉だ。
ヴェニス・ビエンナーレを見続けることは、アートの流行りとかの話しではなく、アートを通じて時代や人間の行方を診る重要な
「草取り」をめぐって ダイアン・アッカーマンの『庭仕事の喜び』(春夏)/一日一微発見447
僕は、自分が庭でしていることを「ガーデニング」と言うのにはためらいがある。それは、尊敬するすぐれたガーデナーたちを知っているせいもあるが、最近、自分にぴったりするなと思うのはアマチュア「園芸家」である。
「園芸家」というとカレル・チャペックの本『園芸家の十二ヶ月』を多くの人は思いだすだろうし、それはオシャレな花園にいるガーデナーではなく、もっと泥くさくて、てんてこまいしているニュアンスが園芸家と
ラニアーのAIの本を読みながら、「原爆」ではなく、「芸術」の爆発について考える/一日一微発見444
ジャロン・ラニアーの伝記『万物創造を始めようDawn of the New Everything: Encounters with Reality and Virtual Reality』を読んでいる。めっぽう面白い。
彼は1986年からVRの研究・開発を現在にいたるまで続けているパイオニアで2010年には、「タイム」誌が選んだ「世界で最も影響力がある100人」にも選ばれたこともあるヴィジョナリ
鉄斎の絵を迷子にならずどう旅するか?京都近代美術館にて/一日一微発見443
僕は子どもの頃、阪急宝塚線の蛍池に住んでいたので、うちの父親が初詣につれて行くのは、西宮近くの門戸厄神(東光寺)と宝塚近くの清荒神(清澄寺)の2ヶ所だった。
それはうちの本家が甲東園にあったことも関係していたと思うが、京阪神の商人たちがこぞって参拝する霊地だった。
そして清荒神には、鉄斎の絵のコレクションがあって公開していた(正式に美術館になるのは1975年である)。
当然ながらこちらは子ども故
「野草」であることの戦略・横浜トリエンナーレをめぐって/一日一微発見442
「革命」や「前衛」が失効してしまった今だからこそ、やはり「アート」と「政治」について考えなければならないなと、横浜トリエンナーレの会場を歩きながら思っていた。
リウ・ディンとキャロル・インホワ・ルーの2人がディレクターをつとめる横浜トリエンナーレは「野草:ここで生きている」というタイトルのもとに93組のアーティストたちが集められている。野心的なキュレーションだ。
とりわけ美術館入り口のフリーゾ
junaidaの新作アートブック『 LITTLE LIGHT』呪力の結晶だ/一日一微発見441
junaidaの詩画等集『ともしび』の絵だけをフィーチャーした限定出版の大判のアートブック『 LITTLE LIGHT』を現在、制作している。
6月頃にはお目にかけられるだろう。
その制作過程で、あらためて彼の「絵の力」に圧倒され、考えさせられた。
彼とは知りあってもう15年ぐらいたつ。その間に、彼の絵をめぐる状況は一変した。
だが、僕にとっては、彼の絵は変わらない。
しかし彼の作品は「初期