記事一覧
鉄斎の絵を迷子にならずどう旅するか?京都近代美術館にて/一日一微発見443
僕は子どもの頃、阪急宝塚線の蛍池に住んでいたので、うちの父親が初詣につれて行くのは、西宮近くの門戸厄神(東光寺)と宝塚近くの清荒神(清澄寺)の2ヶ所だった。
それはうちの本家が甲東園にあったことも関係していたと思うが、京阪神の商人たちがこぞって参拝する霊地だった。
そして清荒神には、鉄斎の絵のコレクションがあって公開していた(正式に美術館になるのは1975年である)。
当然ながらこちらは子ども故
「野草」であることの戦略・横浜トリエンナーレをめぐって/一日一微発見442
「革命」や「前衛」が失効してしまった今だからこそ、やはり「アート」と「政治」について考えなければならないなと、横浜トリエンナーレの会場を歩きながら思っていた。
リウ・ディンとキャロル・インホワ・ルーの2人がディレクターをつとめる横浜トリエンナーレは「野草:ここで生きている」というタイトルのもとに93組のアーティストたちが集められている。野心的なキュレーションだ。
とりわけ美術館入り口のフリーゾ
junaidaの新作アートブック『 LITTLE LIGHT』呪力の結晶だ/一日一微発見441
junaidaの詩画等集『ともしび』の絵だけをフィーチャーした限定出版の大判のアートブック『 LITTLE LIGHT』を現在、制作している。
6月頃にはお目にかけられるだろう。
その制作過程で、あらためて彼の「絵の力」に圧倒され、考えさせられた。
彼とは知りあってもう15年ぐらいたつ。その間に、彼の絵をめぐる状況は一変した。
だが、僕にとっては、彼の絵は変わらない。
しかし彼の作品は「初期
クリストファー・ノーランの「オッペンハイマー」は賞賛に値するか?/一日一微発見440
僕は今でこそ「アート」の人だと皆思っているが、基本的に編集者だし、広告やキャンペーンのプランニングやクリエイティブディレクターとしての仕事をしてきた。その中でも「音楽」との仕事は大きい。
とりわけ「HIROSHIMA1987-1997」というチャリティコンサートのヴィジュアルワークに10年間にわたって参加したことは大きな体験だった。
それは多くのミュージシャンが出演し、コンサートの売り上げを原爆
佐藤ヒデキ『OSAKA 大阪残景』/目は旅をする085(都市と写真)
佐藤ヒデキ『OSAKA 大阪残景』 (アートビートパブリッシャーズ刊行)
この写真集『OSAKA 大阪残景』は、1989年から90年代初めにかけて写真家・佐藤ヒデキ(1953年生まれ)が撮影した大阪の環状線の内側の街の風景をフィルムで撮影した195点の写真から51点をセレクトし構成した。
企画・編集・発行はワタクシ後藤繁雄(1954年生まれ)が行った。写真は「アカ」「アオ」「キイロ」の3冊に分
春の嵐の翌朝に/一日一微発見439
僕らが棲む、仮の家は窓が大きい。
居住空間は、可能な限り小さくコンパクトにして、逆に外景をたくさんとり入れたかったからである。
だから外のデッキも部屋という考えだし、
浜名湖に面した前の庭、バラや樹木が並ぶ塀沿いのサイドの庭も居住空間。外に食事のテーブルを置くことを前提に考えた。
そして去年から格闘している裏に続く野原のような場所、そこに野趣あふれるボーダーガーデンをどうやってつくれるか最近の僕
ザネレ・ムホリ「Zanele Muholi」/目は旅をする084(私と他者)
ザネレ・ムホリ「Zanele Muholi」(Tate刊)
コンテンポラリーアート、そしてコンテンポラリーフォトを考える時に、それらがたどって来た非対称的(アシンメトリー)な歴史(美術史/写真史)をリシンクすることは、避けて通れない必須課題であり、作業である。
西洋の白人男性、それもストレートの性意識の眼差しによって、多くの表現がうみだされ、文脈化、ひいては歴史化、価値の制度化、権力化が行われ
展覧会「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」は何を自問する?/一日一微発見437
国立西洋美館65年目にして初めての「現代美術」展を見に行く。
最初に感想めいたものを言うならば、よくできたキュレーションであり、しっかりとした見ごたえがある。しかし同時に多くの「現代美術家」をまきこみながらも、あたりまえの自問自答におちいっている展覧会ではないか。
問題設定がどうなのか、という根本的な疑問を感じた。
キュレーションの意図は明解である。
「中世から二十世紀前半までの西洋美術のみを
マティスからケリーへ「ひらべったさ」の快楽/一日一微発見435
まあ今から書くのは乱暴な論かもしれないし、思いつきの域を出ないかもしれないが、書いておきたい。
先日、新美術館にマティスの「自由なフォルム」展を見に行った。ちょっと前に行った上野の都美館でのマティス展より、出品作や構成よりもはるかによくて気持ちがよくなる展覧会だった。
今回の展覧会が前回のポンピドー所蔵展とちがうのは、いわゆる「洋画」や「デッサン」時代のマティス重視ではなく「切り絵」とヴァンス
サム・フォールズ『THE ONE THING THAT MADE US BEAUTIFUL』/目は旅をする083(ニューネイチャー)
サム・フォールズ『THE ONE THING THAT MADE US BEAUTIFUL』
(G/P+abp刊)
彼は野外で、感光溶剤を染み込ませた布のキャンバスを野っ原に広げて、その上に、植物の花や葉、茎や蔓を配置して、長い特には、1年間も放置したままにする。大型の日光写真と言っても良いだろう。最近では、布の上に置いた植物の上から顔料をちらし、それが幾層にもなった美しいレイヤーからなる「絵画
ル=グインの「ストーリーテリング」は僕の大きな宿題/一日一微発見432
アート思考について避けて通れないのは、「ストーリーテリング」のことだ。「物語」「ナラティブ」とも言う。
「物語」は今や、コンテンポラリーアートにおいて重要なメソッドになったが、「物語」は相変わらず「文学」が専売特許みたいな顔をしていて、アートは分が悪い。
それは勿論、グリーンバーグ流のフォルマリズム至上主義からすれば、ストーリーテリングという手法が有効になるなんて、許せないことだったろう。崇高を
オノ・ヨーコを目撃しなくてはならない/一日一微発見431
ロンドンのTate Modernで、オノヨーコの包括的な展覧会「MUSIC OF THE MIND」が始まった(9月1日まで)。
もちろん現場にはまだ行けてはいない。
だが、ネットでその詳細(約200点の作品が集められているという)を知るにつれ、そして、この 戦争と分断の状況の真っ只中において開催されることを考えると、目撃しなくてはならないという気持ちがつのる。
彼女はもう 91才だし、この展覧