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目は旅をする・後藤繁雄による写真集セレクション

ヴィジュアルの旅は、大きな快楽を、与えてくれるし、時には長編小説以上に、人生についてのヒントを与えてくれます。 このマガジン「目は旅をする」は、長く写真家たちと仕事をして、写真…
後藤繁雄おすすめの写真集についての記事を月に2~3本ずつ投稿します。アーカイブも閲覧できるようにな…
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記事一覧

オリアンヌ・シアンタル・オリーブ『Les Ruines Circulaires』/目は旅をする091(地図のない旅/行先のない旅)

オリアンヌ・シアンタル・オリーブ 『Les Ruines Circulaires』 (Dunes Editions 刊) 詩人で画家のエテル・アドナンもまた、この写真と詩文を作ったシアンタル・オリーブと同じくレバノンの人だった。僕がアドナンを知ったのは、スイスのクレーセンターで、たまたま彼女の展覧会をやっていた時だ。売店にキュレーターのハンス・ウルリッヒ・オブリストと対談した小冊子を見つけた。 アドナンは中近東というコトバが嫌いで、、「日の出の場所」を意味するマシュリクと

マイケル・ホッペン篇『Finders Keepers 20 YEARS: A DEALER'S COLLECTION』/目は旅をする090(魅力)

マイケル・ホッペン篇『Finders Keepers 20 YEARS: A DEALER'S COLLECTION』(GUIDING LIGHT刊) 僕は写真に取り憑かれている人間だが、他にも取り憑かれている人を見つけるのは嬉しいものだ。他には味わえない、深い友情のようなものが湧いてくる。 この本は、ロンドンの写真ギャラリーを主宰するマイケル・ホッペンが2012年に、自身のギャラリー開廊20周年にあたって刊行した750部限定の写真集である。今年の夏(2024年)に、京都で

林田真季『Wondering Guide: A Wonder-Land on Ecology and Society 』/目は旅をする089(風景と人間)

林田真季『Wondering Guide: A Wonder-Land on Ecology and Society 』 (G/P+abp刊) 20年ほど前に、大阪港の埋め立て地「夢洲」で、野外アート展をプロデュースしたことがある。 それは大阪にオリンピック(万博ではない)を招致するための、さまざまなプログラムの一環であり、ちょうど僕はキリンプラザ大阪(KPO)という現代アートセンタープログラムを取り仕切るコミッティメンバーの1人であったので、東京のアーティストもよく知り、

『I’m So Happy You Are Here: Japanese Women Photographers from the 1950s to Now.』/目は旅をする088(写真の未来形)

『I’m So Happy You Are Here: Japanese Women Photographers from the 1950s to Now.』(Aperture刊) レスリー・A・マーティン、竹内万里子、ポーリン・ヴェルマーレによって企画された写真集『I’m So Happy You Are Here』は、26 名の、日本人女性の写真家をとりあげた重要な写真集/著作であり、その展覧会を 2024 年のアルルの国際写真フェスティバルで見ることができた。 ま

アイザック・チョン・ワイ『FALLING REVERSELY』/目は旅をする086(人間の秘密)

アイザック・チョン・ワイ『FALLING REVERSELY』(ziberman刊) 2024年のヴェネツィア・ビエンナーレのアルセナーレの会場は、3回ぐらい行き来して見直してみたけれど、一番印象的だったのは、パフォーマンス映像を複数の縦画面の大きなモニターで見せていた、香港とベルリンをベースに活動するアイザック・チョン・ワイの作品だった。

赤瀬川原平 『1985-1990赤瀬川原平のまなざしから』/目は旅をする086(幸福)

赤瀬川原平 『1985-1990赤瀬川原平のまなざしから』(りぼん舎)刊 コンテンポラリーにおけるアート思考は、アートの価値生成にまつわる要点だが、これは反芸術や非芸術による切断体験や、変成のプロセスが必須である。それは暴力的な「破壊」の場合もあれば、そうでない「脱構築(デコンストラクション)」の場合もあって、しかしいずれにせよ「破壊的創造(ディスラブション)であることには変わりない。 この「やり口」はマルセル・デュシャンの「レディメイド」という既製品をアートの言語に転用

佐藤ヒデキ『OSAKA 大阪残景』/目は旅をする085(都市と写真)

佐藤ヒデキ『OSAKA 大阪残景』 (アートビートパブリッシャーズ刊行) この写真集『OSAKA 大阪残景』は、1989年から90年代初めにかけて写真家・佐藤ヒデキ(1953年生まれ)が撮影した大阪の環状線の内側の街の風景をフィルムで撮影した195点の写真から51点をセレクトし構成した。 企画・編集・発行はワタクシ後藤繁雄(1954年生まれ)が行った。写真は「アカ」「アオ」「キイロ」の3冊に分冊され、収録された写真は3冊全て違う。「信号機の3つの色」に分けた意図は、別に無

ザネレ・ムホリ「Zanele Muholi」/目は旅をする084(私と他者)

ザネレ・ムホリ「Zanele Muholi」(Tate刊) コンテンポラリーアート、そしてコンテンポラリーフォトを考える時に、それらがたどって来た非対称的(アシンメトリー)な歴史(美術史/写真史)をリシンクすることは、避けて通れない必須課題であり、作業である。 西洋の白人男性、それもストレートの性意識の眼差しによって、多くの表現がうみだされ、文脈化、ひいては歴史化、価値の制度化、権力化が行われてきた。近代国家の多くが、奴隷制や植民地支配による搾取で成り立ってきたのだ。

サム・フォールズ『THE ONE THING THAT MADE US BEAUTIFUL』/目は旅をする083(ニューネイチャー)

サム・フォールズ『THE ONE THING THAT MADE US BEAUTIFUL』 (G/P+abp刊) 彼は野外で、感光溶剤を染み込ませた布のキャンバスを野っ原に広げて、その上に、植物の花や葉、茎や蔓を配置して、長い特には、1年間も放置したままにする。大型の日光写真と言っても良いだろう。最近では、布の上に置いた植物の上から顔料をちらし、それが幾層にもなった美しいレイヤーからなる「絵画」や、陶板にも発展させているが、基本的には写真の考えの発展形態と言ってもよい。

ニック・ワプリントン 『Comprehensive』/目は旅をする082(地図のない旅/行先のない旅)

ニック・ワプリントン 『Comprehensive』(Phaidon Press刊) ニック・ワプリントンの「包括的」を意味するComprehensiveという名の写真集が出た。30年以上にわたる膨大な写真を新たにリエディットした分厚い写真集である。パリのヨーロッパ写真美術館館長でキュレーターであるサイモン・ベーカーの手になるものだ。初めて知るプロジェクトも沢山あり、その軌跡を、見ながら考えさせられることが多かった。 僕がワプリントンに会ってインタビューしたのは1998年

アンミ・レー『Small Wars』/目は旅をする081(もうひとつの人生)

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『安井仲治 写真のすべて』/目は旅をする080 (写真の未来形)

『安井仲治 写真のすべて』 (共同通信社) 写真とは残酷なアートである。 写真の学校に行って技術を学んだから写真家になれるわけではない。大学で理屈を学んだから写真が分かるわけでもない。ベテランだから傑作が撮れるわけではない。写真機によりイメージは考えるより早く取得される。言語的な思考より容赦なく速くやってくる。 まして誰もが、「携帯」という名の高性能な「デジタル写真機」を手に入れた時代に、写真の概念はどんどん流動的になって行く。写真における「素人」と「プロ」の対立項はAI

SHIGERU ONISHI 『A METAMATHEMATICAL PROPOSITION』/目は旅をする079(写真の未来形)

SHIGERU ONISHI『A METAMATHEMATICAL PROPOSITION』 (STEIDEL 刊) 大西茂(1928-1994)は、岡山に生まれ北海道大学理学部数学科で博士課程をへて研究室に所属して、「超無限」を研究した。それど並行し、写真作品を作り続け、後年には墨象表現へと発展させた特異なアーティストである。 アヴァンギャルド芸術、実験写真と便宜的に分類されるかもしれない。 瀧口修造は早くから大西を評価したし、また、具体美術協会をサポートしたミシェル

リチャード・アヴェドン『Richard Avedon: Avedon 100』/目は旅をする068(人間の秘密)

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