世迷言


世迷言という文字は良い。

世を迷う言葉。世界を彷徨う呼吸。

たいがいはそうなのだから。

書くことも願うことも祈ることもままならないほど身体と心が疲れているときがある。

きっかけなんて自分でもわからない。お天気のせいか。何か原因があるのか。わからない。

ただ確かなことは生きるために眠らなくちゃいけないし、生きるために起きなければいけない。そのどちらかか足りていないのか、どちらとも足りていないのか。


正しく眠り、正しく起きる。はたしてその正確な位置、適切なバランスはあるのだろうか。

ただ、深いところまで沈みたいことは確かだ。
疲れている。動けないでいる。

潜るというのは体力が必要だから、わたしは今、たたただ沈んでいたい。この感覚をいつか変換するときを待っている。

潜ること。浮かび上がること。泡の粒をもらして呼吸をすること。そのときをただ待っているときもある。それまでは海の底まで沈んでいきたい。

どこかの呪いがいつのまにか自分自身の呪いだと錯覚してしまううちに、それは内側へ内側へ深く深く浸透していく。そのうち、まるでそれははじめから在ったもののようにも思えてきたりする。

境界線なんて曖昧だ。世界の中に自分がいて、それは全て繋がっている。その繋がった糸の先はおそらくこの目では見えないほどはるか遠くにあるのだろう。

その繋がった糸を握る手の主の背景は表に描かれないことの方が多いものだし、例え描かれたところで的確に伝わるものでもない。

誰かに気付いてもらいたいような、しかし解られすぎても困る。相手のためにも、自分のためにも。

知りすぎては生きていけない。どちらかに振り切ったり偏っては、いずれどこかでバランスを失い舟は沈む。

停泊することも勇気。
嵐を越えることも勇気。

そしてどちらを選んでも苦しく、どちらかに留まり続けることもできない。

ただ、今だけは。帆の縄、碇の縄、そのどちらともから手を離し、たった独り分の小さな舟からただ漂いたい。

そこには確かに海と月と星空があるから、何もないわけではない。

世を迷う言葉。世界を彷徨う文字と呼吸。

世迷言。よいことばだ。

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