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親友と交際0日で結婚を決めた話

私はフラフラしていた。30歳独身。なんと30にしてモテ期が到来していたのだ。

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年始早々、4年付き合った婚約者との別れを決意した。30歳。私の両親に、特に母親に、どうしても受け入れてもらえなかった。

結婚の挨拶に行き、一度は了承をしてもらえたものの、その1ヶ月後にわざわざ北海道の実家から飛行機で母がやってきて、面と向かって諭された。

「あの子はあんたの結婚相手じゃない。これは理屈じゃないの、ただ違うって感じるの」

すでに2人でブライダルフェアに行きながら式場の下見を開始していた私にとっては衝撃的な瞬間で、母が言っている意味が全くわからなかった。

「なんで?韓国人だから?ただの偏見じゃない?先月は良いって言ってくれたじゃん?自分の直感で娘を不幸にさせるつもり?これで私がもし自殺したら親として責任取れるの?」

泣きながら反抗した。母は泣かなかったし、絶対に引かなかった。頑なに自分の意思を通した。

母と別れてから、涙でぐちゃぐちゃになりながら父に電話した。
「お母さんが来るのどうして止めてくれなかったの?知ってたんでしょ、こうなること」
父は黙って一言だけ発した。
「お父さんもお母さんも、お前が幸せになることだけを願ってるから」


親に反対されたからってあきらめる必要はない、と思う人もいるだろう。事実、強行突破して後から認めてもらったカップルも知っているし、親と疎遠になっても幸せに暮らしている夫婦もいる。

でも私は、「親を幸せにできない結婚なんてありえない」とずっと思っていた。もちろん、結婚は本人同士のためにするもので、本人同士が幸せになることが1番だ。しかし、実の両親に喜んでもらえない結婚なんて私には考えられなかった。

それに、昔から母の言葉は妙に心にしっくり来る。それから1年間、なんとか母に認めてもらおうと交際を続けたが、結局のところ、母に反対されたあの日から私の心は決まっていたのだと思う。自然と気持ちが離れた。交際丸4年を目前にした、30歳の1月のことだった。

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ここで、冒頭に戻る。30歳にしてフリーになった私にモテ期が到来した。同期や同級生の友達は既にほとんどが結婚して家庭を持っていたし、30で独身・彼氏なしの女という存在が、単に希少価値の高いものだったのだろう。

いろんな人から連絡が来た。昔からの知り合い、仕事のイベントで一緒になった人。同級生の父親から息子との結婚を勧められたり、上司に仕組まれていきなり知らない人を紹介されたりもした。何人かと数回ずつデートをした。あっちへ行き、こっちへ行き、フラフラしていた。

自分の気持ちを大切にしたい。でも絶対に親を悲しませることはしたくない。結婚しても仕事を続けるという職場の期待にも応えたい。いろんな思いが同時に込み上げ、何を優先したら良いのかわからず、将来に自信が持てずに混乱していた。

深い関係になった人はいなかったが、そのうちの1人からついに、「結婚を前提に」と交際を申し込まれた。正直、ピンとこなかったが、「結婚ってこんなものなのかな」と思って良い返事をしようとしていた。

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ここで、話はいったん私の親友(男)について、に飛ぶ。その親友とはずっと連絡を取り合っていた。高1からの親友。1年生の時の海外研修で同じ班になったことがきっかけだ。大学も学部もサークルも、さらに卒業後の職場も一緒だった。1回目の留学も2回目の留学も、国は違うが時期が一緒で、それぞれの言語でずっと同じ畑を歩いてきた。良いことも悪いことも何でも相談しあえる仲だった。よく2人で飲みに行ったし、留学中もよく近況を報告し合った。当然、恋愛事情も含め、お互いのことは何でも知っている。

当時その親友は、南米のある国に駐在していた。奇しくも、彼も結婚を考えた外国人の彼女とその1年程前に破局し、どん底からの復活を遂げていた。同じ境遇を歩んで来た者同士、ますます話が合う。時差は14時間あったが、いつからか毎日のスカイプがルーティンとなっていた。私は寝る前、彼は朝の出勤前だ。

私は彼に、周りにいろんな男が現れてフラフラして現実が見えなくなっている、と伝えた。何が正解でどうしたら皆が喜んでくれるかわからない、と。親友は叱るわけでも咎めるわけでもなくただただ心配してくれていた。結婚を前提に交際を申し込まれたが、親に喜んでもらいたい、でも自分の気持ちも大事にしたい、どうしたら良いかわからないと泣く私に向かって、彼は

「お前の両親とか周りの人たちがどう考えるかわからないし、もしかしたら良く思わないかもしれない。でもそれでお前が幸せになれるんだったら、俺はそれで良いと思うし、応援するよ」

と言った。

その数日前、私は職場のBBQでやけ飲みをして泥酔し、そのまま近くの同僚(男)の家で眠ってしまった。完全に自暴自棄になっていた。罪悪感に襲われて苦しむ私にその親友は言った。

「もしお前が上司と二股不倫とかしても、お前に幻滅したりクズとかは思わないよ。何やってんねん!とか言いながら、それでも人として尊敬し続けると思うよ。お前には昔から一目も二目も置いてるから。まあこういう人間も遠く南米にいるから、自分の思うようにやってみろよ。それでうまく行ったら喜んでやるし、ダメだったら慰めてやるから」

この言葉を聞いて、なんとなく私は、知り合ってから15年間持ち続けてきた親友への気持ちに、わずかな変化が生じているのを感じた。さらに後日、彼は言うのだ。

「お前の話いろいろ聞いててさ、あれ、こいつ俺のこと好きになったらうまいことおさまるやん、と思ったわ。どうやったらこいつ俺に惚れるかなーって1日考えたけど、博士号取るより難しいわと思って考えるのやめたわ。ウケた?クスっとでも笑って元気出しなよ」

彼には3回目の留学で博士号を取得する、という夢があった。その話はずっと聞かされていたし、そのためにお金を貯めていることも知っていた。「何がなんでも死ぬまでに絶対タイトルを取る」と熱く夢を語る親友を見ているうちに、だんたんと数年前にアメリカで修士号を取得した時の達成感を思い出してきた。

それからなんとなく毎日の会話は、2人で海外留学をするとしたら、にシフトした。お互い専門の言語が違うので、彼が行く予定の国で私の専門言語でタイトル取得が可能か、とか、2年間勉強するとしたら学費と生活費合わせていくらいくらいになるか、とか、奨学金をもらえる可能性はあるか、とか。

また海外に出れるんだ、と思ったらワクワクしたし、一点に落ち着かない、世界を飛び回る生き方が私には合っていると思った。それに、1人じゃないんだと思うと不安は吹っ飛び、すごく心強かった。2人だったら何でもできるような気がした。

ある時、その親友が言った。
「もう俺に惚れなくても良いから、この際俺に余生預けたら?お前と話してて不一致な要素がなさすぎて、さっさと俺んとこ来たら良いのになーと思う」

その1ヶ月後一時帰国した彼は、私を両親に紹介し、さらに私の両親の前で手をついて、あの「娘さんをください!」という古典的な洗礼をクリアしたのだった。父も母も心から喜んでくれた。親友がいきなり婚約者になった。

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30歳の1月に将来が見えずに不安にかられてフラフラしていた私は、その1年後、31歳の春に、世界で私のことを1番よく理解している親友と結婚した。









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