【教職】日本語教師が小学校の先生に救われて憧れたエピソード
大学3年から日本語教師と教職を始めた私は、
みっちり詰まった時間割と慣れない教師の仕事に、かなりストレスを感じていました。日本語教師も辞めようと考えるほどでした。
そして、その精神的な不調は教職にも表れてしまいました。
今回は、教職の授業で出会った素敵な先生方に救われ、
「学校の先生」って凄いんだなあとしみじみ感じたエピソードをお話しします。
「おお、それいいなあ」
先程も書いた通り、私は疲れていました。
日本語学校で、何時間もかけて準備した授業を聞いてくれない学生たち。しまいには、「先生の教え方はわかりません」と苦情が来る始末。仕事の前日には眠れないほど緊張していました。
そんな中、学期末がやってきて、教職の講義では試験やレポートの提出が課されていました。
そのうちの一つ、ある授業では、授業時間内に簡単なレポートを書くという形式でした。
私はやる気がありませんでした。
教職を始めた時には、教育に対する熱意があふれていたはずなのに。高学年になって教職を始めたせいで、移動などの物理的なスケジュールも大変な中、がんばって学ぼうと思っていたはずなのに。
私は、先生に配られた用紙をさっと埋め、机に突っ伏しました。
日本語教師のストレスで、睡眠部族が続いていたことも原因の一つです。
その時、授業は始まって間もないころで、他の学生はまだ真剣に書いていました。すでに書き終えた私が、大した濃い内容をしたためたわけがないことは明白でした。
「終わった人は帰ってもいいよ」
先生の声が聞こえ、私はゆっくりと帰宅の支度をしようとしました。しかし、体は重く動くことすら面倒でした。
私が席でぼーっとしていると、先生が私のほうへ歩いてきました。
何かあったかな。
そう思っていると、なんと私の前の席に座ったのです。
「院生さんやんなあ」
先生はそう言いました。
「この授業、院生で取ってる人あなただけやねん。珍しいなあ」
驚きました。
先生は、ベテランの小学校教員で、教育大学などでも教鞭をとっている方でした。その日以外でも、私はその講義には身が入っておらず、やる気がない学生と思われていただろうことは、容易に想像ができます。
そんな学生に、話しかけてくれるなんて。
「大学院は大変やなあ。修了したら何するん?」
私は、そのころ明確な目標はありませんでした。ただ、起業に興味があり、私のように疲れている日本語教師を助ける活動をしたいと思っていました(それがこのnoteでの活動につながっています)。
「起業しようかと思っています」
先生に申し訳ない気持ちで、ぎこちなく答えると、
「おお、それいいなあ」
「がんばってや」
そうおっしゃいました。
私は涙があふれそうになりました。
先生の本心はわかりません。しかし、無気力な私にわざわざ話しかけて、気にかけてくださっていることに温かさを感じました。
そして、私は今までの授業態度を反省しました。
その日は最後の授業でしたから、その後先生とお会いすることはありませんでした。もし機会があれば、あの時の先生のお言葉で救われたのだと、お伝えしたいです。
「学校の先生」には、一言では言い表せない魅力があります。
自分が学生だったころには気が付きませんでしたが、子どもを注意深く観察し、成長のために見守りフォローすること、莫大な仕事量をこなしながらも、子どもにはそんな裏側を見せないこと。
私が当時教えていた日本語学校のクラスにも、全くやる気がなく、激しく反発する学生がいました。
どうして20代にもなって、そんなに幼いの。
私自身が精神的に追い詰められていたこともあり、その学生にはいつもそんな風に思ってしまいました。良い対応をすることはできませんでした。
しかし、私もある意味ではそんな大学院生だったのです。
無気力なまま受けた教職の授業でその先生に救われたとき、私は態度の反省とともに、「私もこんな対応ができる先生になりたい」とも思いました。
他にも、教職では教員を経た方や、現役で教員を続けながら大学へいらっしゃる方とお会いしました。
その先生方はみなさん、「学生への接し方」に優しさを感じました。
もちろん、学校に勤めるすべての先生がそうではないでしょう。しかし、大学で私が出会った方々は、「学校の先生」の手本のような存在の方ばかりであり、その振る舞いや指導に感動したのを覚えています。
大学に行くと、先生に対する意識が変わります。
先生によってもやり方が全く違い、成績が悪い学生を支援する方はあまりいらっしゃいません。
話し方、対応の仕方、配布資料、そのすべてが高校までとは異なっていました。大学教員の教え方にはいろいろな意見があります。私にとっては、それは研究者による講義であり、「学校の先生」のような教育を求めてはいませんでした(研究者には研究者の良さがあり、教職を履修するまでには不満を感じたことはありませんでした)。
その環境に慣れていた私は、教職で「学校の先生」の姿を思い出し、胸をうたれ、憧れたのです。
私は現在、日本語学校で働いています。
オンラインでの仕事もありますが、対面での授業をあえて選んでいる根本には、教職での経験があったからです。
日本語教師に教員免許は必要ありません。
最近は国家資格化がなされましたが、それは「日本語教師」の資格であり、小中高の免許は不問です。
ですが、私は教員免許を取って良かったと心から思います。
免許取得が、というよりも、教職を履修したことが良かったと。
巷では教員の待遇不満がささやかれています。
日本語学校も例外ではありません。
私はこれからも、教師が笑顔で働けるような環境づくりに努めます。
最初のステップとして、日本語教師資格の試験対策講座を開始しました。
すべての先生が、楽しく過ごせますように。
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