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【もう辞めよう】日本語教師1年目のリアル②

憧れていた日本語教師になって3ヶ月。
当時大学4年生で、卒論と授業準備に追われていた私は、クラスの雰囲気をうまくコントロールできなくなっていました。

簡単だと思っていた授業が、こんなにも難しいなんて。

うまく教えられない自分を責めていた私は、新学期になり、新しいクラスの担当となりました。
これまでの負のループをリセットして、今回は、と意気込んだ私の記録。


4ヶ月~9ヶ月

辞めようと思った

私が入ったのは、学校内で一番成績が良いクラスでした。日本語学校では一般的に、一つのクラスを曜日ごとで何人かの教員が担当します。高いレベルの日本語能力試験を受けるからか、私以外の先生はベテラン揃いでした。
新しいクラスで心機一転、そう心に決め、1ヶ月が経った頃。

私の授業中は、半数が寝るか、スマホを見るかしていました。

たとえば、4択の問題集を印刷し、学生たちに渡したとき。時間内に解くように伝えましたが、難易度が高く、様々な質問が出ました。

先生、どうして②はだめですか
①と③は何が違いますか

選択肢に関して多くの質問が出たとき、私は答えられませんでした。知っている日本語なのに、学生は真剣な目をしているのに。どうやって説明すればいいのか、わかりませんでした。

それは、調べて来週教えます

何度かそう言いました。それ以外、答えることはできませんでした。見る見るうちにやる気をなくす学生たち。「先生なのに
そんなことも知らないの」と、声が聞こえるようでした。

文法の導入でも、今までにない失敗がありました。
一般的に、学生には新しい文法事項を直接教えることはありません。学生の注意を引くような、その文法が頭に入りやすくなるような「導入」が必要となります。
私は、準備の段階からその導入に苦労していました。
また、導入の必要性も疑っていました。

学生に問いかけ、文法を伝えました。
こんなとき、こう使ってください。
と言った私に、学生は困り顔で訴えました。

わかりません

何人も、わかりません、が続きました。
追加で説明を加えようと、私は話を続けました。今までにない学生の反応に、頭は動きませんでした。

それは、○○と同じですか?
何が違いますか?

学生は、理解しようと問いかけてきます。しかし、私の答えも意味をなさなかったのか、もはや「わかりません」も聞こえなくなりました。彼らは、自分の母語で隣の学生と話し始めました。
休み時間の後、もう一度説明します
それだけ言って、なんとか時間を過ごしました。休み時間に私は職員室へ戻り、先輩の先生に導入を教えていただきました。
時間になり、再び教室に入ったあと。無理やり作った笑顔で、先生の導入例を使って説明したことは忘れません。学生は、きちんと理解していました。そして、自分の技量のなさを思い知りました。

そんなころ、授業前に先生に呼び出され、こう言われました。

学生が、先生の説明はわからないと言っています。もう少し、授業準備を頑張ってください

その日、どのように授業したかは覚えていません。先生の言葉が離れませんでした。今目の前にいる学生が、他の先生に「私の授業は悪い」と告げている。学生の目を見ることはできませんでした。

クラスから秩序は消えました。
半数の学生は寝て、起きている学生もスマホを見ています。教壇の私ではなく、みんな下を向いていました。

そのクラスには、他のベテランの先生も接するのが難しい学生がいました。それは私にとっても同じで、明らかに嫌われている、やる気がないという態度が目立ちました。

私は、我慢ができませんでした。
自分の授業のせいで、クラスが乱れていることはわかっていました。しかし、それでもなんとか授業をしていたんです。
作文の時間、彼は明らかに自動翻訳した文章を書いていました。私はそれを注意しました。何を言っても、ふてくされるばかり。大声で注意しました。クラス中の学生が私たちを見ました。それでも変わりません。頑なにスマホの翻訳を使うため、ペンと原稿用紙を取り上げようとししましたが、彼も離さず、引っ張り合いになりました。

じゃあ、書かない!
敬語が使えないその学生は、結局授業中に次の作文を書くことはなく、白紙のまま提出しました。子供みたいな学生だと思いました。でも、私も子供でした。

学校卒業前の最終試験の時、その学生は堂々とカンニングしました。私は注意せずに放っておきました。何か言う力もありませんでした。もう、関わりたくありませんでした。

私は学校に行くのが嫌になりました。授業が終わると、次の授業まで気が張り詰めます。前日には、明日も失敗するんじゃないか、学生は私を嫌っているのではないかと心配で眠れず、授業中は早く時間がすぎないかと、何度も時計を確認しました。

もう辞めよう
そう思いました。

授業もできない、クラスもコントロールできない、
そんな私は、気力を完全に失っていました。

授業見学で発見したこと

毎回、ただ時間が経つのをやり過ごしていました。
そんなとき、ふと授業見学をしてみようか、と思いつきました。

いつまでもこんな授業をしていてはいけないと、心の奥底にあった気持ちが湧いてきました。そして、働き始めて最初に見た先生の授業を思い出したのです。どうして、先生の時にはみんなが積極的になるんだろう。同じ学生なのに、なぜこんなに違う反応になるんだろう。その答えは、授業見学でしかわからないと思いました。

私は、同じクラスを担当する先生に見学をお願いしました。そして、当日。
見学は驚きの連続でした。

以前見た時には、いかにも簡単そうに思えた授業。そこには、教師のテクニックが隠れていました。

先生の小さな一言、学生を指名する順番、気をそらさないための注意の仕方、その一つ一つに意味がありました。ハッとさせられました。クラス全体が集中し、楽しんで受ける授業の背景には、先生の経験やワザが詰まっていたのです。あんなに眠そうだった、あんなにスマホばかり見ていた学生も、先生の問いに能動的に答えていました。

見学後、私の気持ちは変化していました。
今なら、今までの散々な授業を改善できるかもしれない。

自分の授業のせいで学生の態度が悪くなり、その状態を変えようともせず引きずっていたこと、準備不足だったことを後悔しました。

季節は春になり、学生は卒業していきました。
私に、授業とな何たるかを気づかせてくれた学生たちは、今何をしているのでしょう。日本語教師として働いて半年が経ちました。

また、学期が変わりました。新しいクラスです。
今度こそ、変わってみせる。
前向きな気持ちが強くなっていきました。


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