抽象的人間労働

抽象的人間労働

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商品価値が「社会的必要労働時間」である理由

マルクス理論では、商品価値は「社会的必要労働時間」、つまり「平均的労働量」によって決まる。翻って、商品価値は「個別具体的な労働時間」によって規定されない。それどころか、個別的労働時間は商品価値に対して一切の作用を及ぼさない。 しかし現実の労働を見てみると、特定の商品を生産するのに、1時間の労働を費やす人もいれば、4時間の労働を費やす人もいる。現実の労働は、すぐれて個別的具体的な行為であって、それこそ「人それぞれの努力程度」に帰着するのではないか。労働行為が千差万別であれば、

    • W

      マルクスは資本論を大成した。そして、資本論の中で、彼は、近代社会を支配する「資本の運動法則」を明らかにしてみせた。 しかし、マルクスは、資本主義の変革にあたって、資本をあまり重視していない。奇異なことに、商品(W)を重視したのだ。ふつう、人々が注目するとしたら、貨幣(G , G=W)とか、資本(G-W-G)とか、生産手段(Pm)だろう。 それでも、マルクスが何よりも執着したのは商品(W)である。一体、なぜなのだろうか。今回は、マルクスが、商品の分析を最も重視した理由を通して、

      • 労働価値説の冤罪を晴らしたい

        「価値」というと、燦然と光り輝く神秘的な何かを連想してしまうかもしれない。あるいは、価値は人間の欲求に対応して、自然発生してくる事象だと思うかもしれない。 しかし、資本論において、それらの連想は単なる幻想にすぎない。マルクスは、私たちの「価値」に対する幻想を「物神崇拝」と呼び、本来の価値と区別した。マルクスが分析する「価値」は、つまらないほど浪漫がなく部品的な概念となっている。すなわち、価値は、資本主義という複雑な社会システムを構成する、一定の機能が搭載された「部品」であって

        • 共産主義に対する誤解

        商品価値が「社会的必要労働時間」である理由

          G

          マルクスが論じる貨幣には、価値尺度(G=W)、流通手段(W-G-W)といった機能が備わる。 前者は価格を実現して、後者は販売と購買を創発して商品流通を円滑にする。 しかし、貨幣の機能はこれだけではない。「貨幣としての貨幣(G)の機能」がある。 今回は、この謎めいたGの機能や、Gの論理を確かめる。また、Gの論理が、やがて人間の欲望を変転して資本主義を加速することも確認する。なぜ、人々は貨幣を欲しがるのか?また貨幣があるとどうして安心するのか? その答えが、Gの究明にあると言える

          「普通になりたい」を支える下部構造

          同級生から「普通になりたい」「普通の仕事につきたい」という言葉をしばしば聞く。少し遠くを見回してみると「普通が一番」という言説もあるらしい。普通が一番…?一番と言えば、普通より上位の何者かを意味するのではないか? してみると、何やら普通という言葉には並々ならない意味が込められているように思われる。 自分よりも幼い世代にも目を向けてみる。そこで注目した今の小中学生のなりたい職業ランキングでは「従業員(会社員)」が上位(それも1位とか、2位)にランクインしている。従業員…? 従

          「普通になりたい」を支える下部構造

          マルクスはクズニートか?

          マルクスというと、エンゲルスのスネかじりとか、家政婦と不倫して孕ませたとか、人格破綻者を思わせる数々のエピソードを連想するかもしれない。 そのようなエプソードからか、マルクスは、働かなくていい口実を必死になって考えていた卑屈なクズニートという冷笑的な印象が巷で流通しているようだ。 しかし、マルクスは働かなくていい口実を考えていたわけではない。 何より、彼は「労働」を否定していない。 マルクスは、労働を「人間と自然との意識的な物質代謝」と極めて無機的に捉えている。理由はシ

          マルクスはクズニートか?

          立教大学だめライフ愛好会の印象

          つい最近、立教大学にもだめライフ愛好会が存在していることに気づきました。 しかし、訪ねてみると、実質的な参加者はなんと0人。ほぼ活動はしていないそうです。 直接、管理者に問い合わせてみると、どうやら他のだめライフ愛好会も盛り上がっていないらしいです。 この調子では、だめライフ愛好会は終了間近なのではないでしょうか。残念です。 もともと、学生マルクス主義が青春の一部と化している中で、寝そべり運動も終わりというのであれば、社会権力に対する学生の抵抗勢力は消滅したことになり

          立教大学だめライフ愛好会の印象

          難解 物象化論の整理①

          資本主義社会の最大の特徴は、人間が「モノ」に頼ることなしに経済活動が行えないところにある。 たとえば、貨幣。私たちは貨幣というモノがなければ商品を手に入れることができない。商品が買えなければ、私たちは自給自足を営むか、さもなければ死ぬしかない。私たちの生存を左右する貨幣は確かに物質ではあるが、ただのモノではない。 貨幣ばかりではない。私たちは商品に頼りきりである。それは、私たちが生活していく上で必要なのは勿論のこと、もっと根本的な問題として、私たちは自分たちが生産する「商品」

          難解 物象化論の整理①

          なぜ女性が狙われるのか?

          女性は貨幣になりやすいからです。 貨幣とは、社会における価値の象徴です。貨幣はさまざまなものと交換できる力を持っています。 歴史的に、あらゆる社会共同体で見られるのですが、社会システム(共同体)を再生産するにあたって、社会成員の無意識の社会的行為として「象徴交換」があります。 具体的には、貨幣と商品を交換したり、女性を生贄とする代わりに豊穣(社会の安定・安心)を交換したり、貢物と社会的地位の再生産を交換する冊封体制が挙げられるでしょう。 象徴交換は、そのとっつきにくい

          なぜ女性が狙われるのか?

          プルードンに振り回されてはいけない

          とある共同体の労働分配委員会は命じた。 一つのネジを作る3時間労働は田中さんに。 一つのバネを作る2時間労働は、先週1時間働いた山田さんに。 そして、2人の勤勉な労働によって生産されたバネとネジは、前者が「3時間労働生産物」として、後者は「2時間労働生産物」として表示されている。 また、田中さんには、3時間とかかれた労働証券が与えられる。山田さんにも先週分と合計して3時間とかかれた労働証券が与えられた。 山田さんは公正取引所へ向かった。そこで3時間労働証券を使って、田中さん

          プルードンに振り回されてはいけない

          マルクスの価格論は労働価値説を擁護する

          資本主義社会では、労働生産物は、「価値」として現象する商品形態を取らなくてはならない。 しかし、商品の価値は、商品自体を眺めていても絶対に見えてこない。なぜなら、価値は幻のような性質を有するからだ。そこで、見えざる価値を表すために、価格がつけられる。 ここでは、商品の価値を表示する貨幣の機能の一つ、価格に注目したい。 商品は、まず何よりも自己の価値を貨幣によって表現しなくてはならない。 貨幣で表現された商品の価値(貨幣商品と商品の交換比率)は、何はともあれ、商品の「価格」で

          マルクスの価格論は労働価値説を擁護する

          〈マルクスの近代社会論〉価値形態論は、貨幣という支配を暴露する

          価値形態論は、商品が取る「表現形態」に注目して、商品が貨幣という表現形態に至るまでを扱っている。 注意が必要なのが、価値形態論は貨幣の生成過程を論じていないのである。それは、次章にある交換過程論で論じられている。 それでは、価値形態論では一体何を分析しているかというと商品が貨幣という姿になるまでの「商品が取り得る姿」である。 私の解釈では、価値形態論は、貨幣という姿の商品が生まれてくる歴史的条件を考察する理論ではなく「商品という芸術家が、どのような表現(ポーズ)をするのか?

          〈マルクスの近代社会論〉価値形態論は、貨幣という支配を暴露する

          労働のあり方こそ、社会の内容を規定する。

          マルクスが人間の本質と捉えた労働には、二つの側面がある。 一つは具体労働。もう一つは抽象労働。 前者はくわの作り方とか、畑の耕し方とか、肥料の作り方とか、そういう労働の具体的な側面を示す。具体労働や有用労働と呼ばれる。 後者は労働から、前者の具体的な側面を捨象して、全ての労働に共通する「人間のエネルギーの支出」という側面だけを抽出した「抽象的人間労働」を指す。 「抽象的人間労働」には、社会的な性格、社会的な意義がある。それは「総労働の一部であることを示す機能」を意味する

          労働のあり方こそ、社会の内容を規定する。