抽象的人間労働

抽象的人間労働

最近の記事

労働価値説の冤罪を晴らしたい

「価値」というと、燦然と光り輝く神秘的な何かを連想してしまうかもしれない。あるいは、価値は人間の欲求に対応して、自然発生してくる事象だと思うかもしれない。 しかし、資本論において、それらの連想は単なる幻想にすぎない。マルクスは、私たちの「価値」に対する幻想を「物神崇拝」と呼び、本来の価値と区別した。マルクスが分析する「価値」は、つまらないほど浪漫がなく部品的な概念となっている。すなわち、価値は、資本主義という複雑な社会システムを構成する、一定の機能が搭載された「部品」であって

    • G

      マルクスが論じる貨幣には、価値尺度(G=W)、流通手段(W-G-W)といった機能が備わる。 前者は価格を実現して、後者は販売と購買を創発して商品流通を円滑にする。 しかし、貨幣の機能はこれだけではない。「貨幣としての貨幣(G)の機能」がある。 今回は、この謎めいたGの機能や、Gの論理を確かめる。また、Gの論理が、やがて人間の欲望を変転して資本主義を加速することも確認する。なぜ、人々は貨幣を欲しがるのか?また貨幣があるとどうして安心するのか? その答えが、Gの究明にあると言える

      • 「普通になりたい」を支える下部構造

        同級生から「普通になりたい」「普通の仕事につきたい」という言葉をしばしば聞く。少し遠くを見回してみると「普通が一番」という言説もあるらしい。普通が一番…?一番と言えば、普通より上位の何者かを意味するのではないか? してみると、何やら普通という言葉には並々ならない意味が込められているように思われる。 自分よりも幼い世代にも目を向けてみる。そこで注目した今の小中学生のなりたい職業ランキングでは「従業員(会社員)」が上位(それも1位とか、2位)にランクインしている。従業員…? 従

        • 流通手段論はリフレ派・MMTという幻想を破壊する

          マルクスが分析する貨幣には、商品流通における「流通手段」としての機能がある。 流通手段は、交換過程における諸商品の間で生じる「使用価値と価値の矛盾」を解消しない。だが、貨幣の流通手段上の機能によって、「矛盾の運動を両立可能にする形態」を弁証法的に生み出すと、マルクスは言う。 すなわち、商品と商品の交換には「使用価値と価値の対立」という致命的な矛盾を伴うが、ここで要請される流通手段としての貨幣が矛盾を両立させた、より高次元の経済形態を生み出す。資本主義的な「物流」の成立である

        労働価値説の冤罪を晴らしたい

          マルクスはクズニートか?

          マルクスというと、エンゲルスのスネかじりとか、家政婦と不倫して孕ませたとか、人格破綻者を思わせる数々のエピソードを連想するかもしれない。 そのようなエプソードからか、マルクスは、働かなくていい口実を必死になって考えていた卑屈なクズニートという冷笑的な印象が巷で流通しているようだ。 しかし、マルクスは働かなくていい口実を考えていたわけではない。 何より、彼は「労働」を否定していない。 マルクスは、労働を「人間と自然との意識的な物質代謝」と極めて無機的に捉えている。理由はシ

          マルクスはクズニートか?

          難解 物象化論の整理①

          資本主義社会の最大の特徴は、人間が「モノ」に頼ることなしに経済活動が行えないところにある。 たとえば、貨幣。私たちは貨幣というモノがなければ商品を手に入れることができない。商品が買えなければ、私たちは自給自足を営むか、さもなければ死ぬしかない。私たちの生存を左右する貨幣は確かに物質ではあるが、ただのモノではない。 貨幣ばかりではない。私たちは商品に頼りきりである。それは、私たちが生活していく上で必要なのは勿論のこと、もっと根本的な問題として、私たちは自分たちが生産する「商品」

          難解 物象化論の整理①

          プルードンに振り回されてはいけない

          とある共同体の労働分配委員会は命じた。 一つのネジを作る3時間労働は田中さんに。 一つのバネを作る2時間労働は、先週1時間働いた山田さんに。 そして、2人の勤勉な労働によって生産されたバネとネジは、前者が「3時間労働生産物」として、後者は「2時間労働生産物」として表示されている。 また、田中さんには、3時間とかかれた労働証券が与えられる。山田さんにも先週分と合計して3時間とかかれた労働証券が与えられた。 山田さんは公正取引所へ向かった。そこで3時間労働証券を使って、田中さん

          プルードンに振り回されてはいけない

          マルクスの価格論は労働価値説を擁護する

          資本主義社会では、労働生産物は、「価値」として現象する商品形態を取らなくてはならない。 しかし、商品の価値は、商品自体を眺めていても絶対に見えてこない。なぜなら、価値は幻のような性質を有するからだ。そこで、見えざる価値を表すために、価格がつけられる。 ここでは、商品の価値を表示する貨幣の機能の一つ、価格に注目したい。 商品は、まず何よりも自己の価値を貨幣によって表現しなくてはならない。 貨幣で表現された商品の価値(貨幣商品と商品の交換比率)は、何はともあれ、商品の「価格」で

          マルクスの価格論は労働価値説を擁護する

          〈マルクスの近代社会論〉価値形態論は、貨幣という支配を暴露する

          価値形態論は、商品が取る「表現形態」に注目して、商品が貨幣という表現形態に至るまでを扱っている。 注意が必要なのが、価値形態論は貨幣の生成過程を論じていないのである。それは、次章にある交換過程論で論じられている。 それでは、価値形態論では一体何を分析しているかというと商品が貨幣という姿になるまでの「商品が取り得る姿」である。 私の解釈では、価値形態論は、貨幣という姿の商品が生まれてくる歴史的条件を考察する理論ではなく「商品という芸術家が、どのような表現(ポーズ)をするのか?

          〈マルクスの近代社会論〉価値形態論は、貨幣という支配を暴露する

          労働のあり方こそ、社会の内容を規定する。

          マルクスが人間の本質と捉えた労働には、二つの側面がある。 一つは具体労働。もう一つは抽象労働。 前者はくわの作り方とか、畑の耕し方とか、肥料の作り方とか、そういう労働の具体的な側面を示す。具体労働や有用労働と呼ばれる。 後者は労働から、前者の具体的な側面を捨象して、全ての労働に共通する「人間のエネルギーの支出」という側面だけを抽出した「抽象的人間労働」を指す。 「抽象的人間労働」には、社会的な性格、社会的な意義がある。それは「総労働の一部であることを示す機能」を意味する

          労働のあり方こそ、社会の内容を規定する。

          マルクス主義から見たVtuberーー資本主義の魔法少女

          1人の人間に対して、何千人、何万人といったおびただしい人間が金を貢ぐ。膨大な時間を費やす。 Vtuber、アイドル、推し活…。考えてみれば、非常に奇妙なことが、私たちの日常の中でごく普通に起きている。 一体、どうして、このようなことが可能なのか? 答えは少女の「商品化」にある。つまり、にじさんじ、ホロライブのような資本の再生産システム群(企業)が、何の変哲もない少女たちを「商品」に仕立て上げることで、膨大な人間からの可処分時間や可処分所得の搾取が可能になる。 なお、ここ

          マルクス主義から見たVtuberーー資本主義の魔法少女