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なぜ女性が狙われるのか?


女性は貨幣になりやすいからです。

貨幣とは、社会における価値の象徴です。貨幣はさまざまなものと交換できる力を持っています。

歴史的に、あらゆる社会共同体で見られるのですが、社会システム(共同体)を再生産するにあたって、社会成員の無意識の社会的行為として「象徴交換」があります。

具体的には、貨幣と商品を交換したり、女性を生贄とする代わりに豊穣(社会の安定・安心)を交換したり、貢物と社会的地位の再生産を交換する冊封体制が挙げられるでしょう。

象徴交換は、そのとっつきにくい表現とは裏腹に、ごくごく普通に行われる、社会を成り立たせるための抽象的な行為です。

象徴交換では、往々にして、美しい女性が貨幣としての役割を担うことがありますが、これと全く一緒の理屈で、吉本興業で行われている若い女性の斡旋というのは「象徴交換」でしょう。

吉本の下っ端芸人が、松本人志のようなベテランに、若い女性を貢物として差し出すことで、彼の地位は再生産されます。松本人志の権力もまた同時に再生産されます。
いわば、「吉本興業松本人志権威体制」という権力構造を再生産する機能を果たしていたのが若い女性の斡旋なのです。

こうしてマクロで眺めてみると、決して、個人の欲望云々で行われているイベントではないことが分かりますね。

要するに、おじさんが「若い女の子とえっちがしたい」と思うのは、全く表面上の思い込みです。よりマクロに見ると「象徴交換」という全体意思からの要請にすぎないのです。

ですから、いわば、象徴交換が、おじさんを操作していると言っていいでしょう。

ジャニー喜多川の少年に対する性加害というのも、実は「象徴交換」です。ここでは、美しいとされる少年が、貨幣になっていますか。

この議論を敷衍すると、チー牛同士が互いに虚しく童貞弄りをするのも、女性という貨幣を保有していないためです。

しかし、彼らが劣等感を抱くのは、全く象徴交換のせいなのです。女性どうこうでも、男性どうこうでもありません。

憎むべきは、象徴交換という社会システムです。

というのも、これが、もしも、おじさんが貨幣になる世界であれば、今頃、チー牛は、チー牛ではなくなります。

偶然、女性が象徴になる世界。
だから、実質的には、女性は、男から狙われるのではありません。

それは、全く象徴交換システムが具体的な姿形として現れた現象形態ですから、本質にあるのは象徴を再生産する資本であり、権力です。

したがって、実質的に、女性という象徴を狙うのは資本であり、権力です。

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