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プルードンに振り回されてはいけない

とある共同体の労働分配委員会は命じた。
一つのネジを作る3時間労働は田中さんに。
一つのバネを作る2時間労働は、先週1時間働いた山田さんに。
そして、2人の勤勉な労働によって生産されたバネとネジは、前者が「3時間労働生産物」として、後者は「2時間労働生産物」として表示されている。
また、田中さんには、3時間とかかれた労働証券が与えられる。山田さんにも先週分と合計して3時間とかかれた労働証券が与えられた。

山田さんは公正取引所へ向かった。そこで3時間労働証券を使って、田中さんが作ったバネと交換してもらうのだ。
そうして2時間労働分のバネと1時間労働証券を受け取る。
一方、田中さんは3時間労働証券を握り締めて、豊かな商品市場である大都市に向かった。

街中はどこを見ても色鮮やかだった。商品、商品、商品。どこを見ても、購買欲がそそらせるよう綺麗に商品が飾られていた。
田中さんは誘惑されまいと必死に欲望を抑えていたが、それも時間の問題だった。
街中を歩いて数分、彼は魅惑的な商品と出会ってしまう。
しかし、彼が商品を見ると、そこには彼の知る「労働時間」の記載はなかった。
代わりに「資本論2冊」と表示されている。田中さんには、これの意味がわからなかった。とにかく、今は一刻も早くこの商品が欲しい。咄嗟に田中さんは3時間分の労働証券を示して、店員に「これと交換してください」と言った。
しかし、店員は呆れた顔をして拒んだ。

「この商品は1つに対して資本論2冊を用意して、ようやく価値が釣り合う。それが今の「価格」なのだ。その紙切れの価値と、この商品とでは、とても価値が釣り合うはずがない」

「お待ちください。この紙は、ただの紙切れではありません。これは、労働時間を表す特別な請求書です。私が3時間の労働をしたので、こちらの紙幣は、私が行った3時間分の労働時間を代表しています」

「代表か。それがどうした」

「そちらの商品が、3時間労働で生産されたものであれば何の問題もなく交換できるはずです」

「そうか。では、その紙は何時間分の労働によって作られた?」

「え、と…正確にはわかりません。しかし、おそらく1時間ほどかと推測されます」

「そうか。仮にその話を信じたとして、1時間の労働によって作られた紙が、3時間分の労働を代表しているのだな?…自分で何を言っているのか、分かっているのか?」

「……なるほど。私の共同体を離れると、そのような理解になるのか…」

「さらに言えば、その紙は薄汚い。メモとして使うにも小さく、使い勝手も悪いだろう。私にとっては何の使用価値もなさそうだ。交換するに値しない」

「そうですか」

「そうだ。もう一つ、君に絶望を突きつけるとしたら、その紙切れの価値と、こちらの商品の価値は全く釣り合わない。妥当な価値の交換比率としては、10:1といったところか」

「なるほど…では、いいです。そんな言い方されるのであれば、こっちから願い下げです。こっちだって選ぶ権利がありますからね。私はあなたの労働生産物を選びませんよ。選びませんとも。似たような労働生産物をさっき見かけたので、今から、そこの交換所へと向かいますね」

「そうか。もう二度とくるんじゃないぞ」

「…えと、本当に行きますけど」

「行け」

そうして田中さんは別の交換所へ向かった。店員に労働証券を差し出す。すると返ってきた答えは、

「その紙切れと、こちらの商品の交換比率は、6:1だわ」

田中さんは別の交換所へ向かった。

「9:1」

また別のところへ向かった。

「4:1」

さらに次々と交換所へ向かった。「2:1」「4:1」「10:1」「9:1」「30:1」「8:1」「28:1」「600:1」「30:1」「60:1」「57:1」「20:1」・・・

「…どうしてだ!どうしてなのだ!」

行く先々で、返ってくる答えは「価値の交換比率」だった。「労働時間」ではなかった。一体、なぜ、こんなことが起きてしまっているのか。田中さんは、店を閉めている最中の気優しい店員に尋ねた。

「そんなの、ここにあるのは商品だからだよ。そもそも、商品っていうのは、それぞれの人間が自由に何を作るか決めて生産した産物なんだ。つまり、商品生産は、誰からも、何からも、制約されていない。だから、それぞれの商品の価値は、商品と商品を比べてみないと、わからないのさ」

「そうですか。そうすると交換の時は、大変ではありませんか?価値のモノサシは統一しないのですか?」

「実は緩やかにされているんだ。資本論という商品貨幣が流通しつつあるからね。みんなが協力して、資本論という商品貨幣で自分たちの商品の価値を表すようにしたんだ。だから…まあ、とりあえず「資本論」という商品貨幣を持っておくようにすれば、今日みたいなことは起こらないだろうね」

「どうやって、資本論を手に入れれば…」

「働けばいいじゃないか」

「ちょっと待ってください。私はすでに働いています。私が死ぬ思いをして働いたからこそ、この労働証券は3時間の労働時間を代表しているのです」

「それは、君たちの故郷でしか通じないんだろう?」

「一体、どういうことですか。この労働証券と、あなた方が承認する資本論では、何が違うのですか?」

「話を聞く限り、君たちの故郷では、労働分配委員会が、誰が、何の労働を、どれくらいの労働時間で行うのか、厳密に決めているだろう?」

「はい」

「そして、労働した者には、自分が働いた分だけの労働証券が与えられる。さらに、労働生産物は、「公正取引所」と言われている交換場で、自分が働いたという証明書である労働証券を通じて、生産物が受け取れるように徹底的に管理されている」

「はい、その通りです」

「その公正取引所では、すべての労働生産物は労働時間で表示されているね」

「そうですが、この都市の市場の生産物には労働時間は表示されていませんでした」

「だって、こっちには労働分配委員会も、公正取引所もないからね。さっきも言っただろう。誰からも、何もからも、制約されない。労働や生産はそれぞれ勝手に行うだけさ。それで、欲しいものがあったら、お互いに商品を交換し合う。その時にお互いの商品の価値を釣り合わせて比率を出す。そういう経済なんだ」

「つまり、労働時間が直接的に表示できない理由は、管理されていない労働にあると…」

「そう。しかも、それだけじゃなくて、商品…いや、君のいう労働生産物は、労働分配委員会によって分配が厳密に管理されている。君たちの作ったものは、君たちのものではない。一旦、労働分配委員会に預けるだろう。こっちにはそういうのはない。私的所有も、分配も、統制されていない」

「確かに。そちらの市場では規制がありませんね。商品を作ったら、そのまま作った本人の手元に残る。むしろ、その商品を用いて、使用価値を手に入れようとする…」

「公正取引所というのは、いわば、工場共同体みたいなものだよ。部品を作る。その部品を作った人間に部品を受け取る資格を渡す。少し時間を跨いで、その部品と資格を交換してもらう。おしまい」

「なるほど。そちらの経済社会では労働も自由。所有も自由。だから、一人一人の人間そのものが工場共同体的となる」

「そう。ぼくたちの社会ときみた君たちの社会では全く生産関係が違うんだ」

「なるほど…。なんだかスッキリしました。ありがとうございます」

田中さんは満足そうな顔をして、共同体に帰っていった。

「ふふ、いい情報を手に入れたぞ」

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