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めぞん一刻 アニメ✖️マンガ比較 総括 『7年間で起こったことを2年間に置き換えるということ』

はじめに

アニメ版『めぞん一刻』、96話に至るこの作品、放映期間にして2年。
しかしながらマンガ版はもっと長い。
ビッグコミックスピリッツに第一話が掲載されたのが1980年の11月。
それから完結までの間に7年間の月日が流れた。
そして、一刻館で過ごす裕作、響子、それを取り巻く全ての人にほぼ同等の時間が流れたのだ。
主人公裕作は浪人生から大学に入学し卒業、フリーターを経て保育士の資格を取り、保育士として就職、最後には結婚する。
彼はこの7年間でマンガ的な劇的成長をしたわけではない。
それでも彼は7年間を通して少しずつ成長し、その結果一つの幸せを掴んだ。
彼の成長のスピードは、ちょうど私達が7年間で成長するスピードとほぼ同等だっただろう。

ならばそれを2年間で放映したアニメ版はどうだったのか。
アニメ版『めぞん一刻』の放映期間は2年。
その中で経過した時間は定かではない。
ただ、一つだけ確かなこと、それは経過した時間が7年には及ばないこと。
アニメ版で裕作はフリーターにならないし、保育士の資格取得の部分は描かれない。
物語の終盤で大学を卒業し、卒業後すぐに結婚することでこの物語は完結する。
7年間で彼に起こった数々の珍事を、もっと短い期間に起こったこととして描こうとした、言わば『経過時間の時間圧縮』を行ったのがアニメ版『めぞん一刻』なのだ。

マンガ版に準拠して描こうとした序盤

この『経過時間の圧縮』は最初から行われてきたわけではない。
序盤はマンガ版通りの話の進行なのだ。
マンガ版のエピソード一つ一つがアニメとして描かれた。
マンガ版にはなかったエピソードが要所要所に挟み込まれることもあったが、物語の進行に何か変化を与えるレベルではなかった。
実際に26話に至るまでには3巻Part.3のエピソードの放映が後回しになった以外にはマンガ版通りの物語進行なのだ。
これならば物語進行上の矛盾は起こりづらい。
あくまで例え話ながら「先週口付けまでした二人が今週は手も握れない!」なんてことは起こらないのだ、しつこいようだがあくまでこれは例え話ながら。

しかしながら、この描き方には一つの問題が生じる。
それが季節感である。
マンガ版のめぞん一刻は月に一話ずつの連載。
これに対しアニメ版は週に一話、そして一話につきマンガ版のストーリーの1〜2話分が描かれる。
アニメ版での一ヶ月の中でマンガ版に換算すると半年分の物語が進行している、なんてことが起こりうるのだ。
結果、物語の進行に準拠した形で描かれた放映開始から半年間で驚きの時間が経過する。
半年の間に2度クリスマスパーティが描かれ、2度の年越を経験。
第19話の年越しエピソードでコタツに入って語らう裕作と響子が7月に放映される、といった事態が起こってしまうに至ったわけだ。
(後追いで見ている側からすると全然気にならない部分ながら)

大きな方向転換、距離が縮まらない響子と裕作

第27話を期に大幅な方向転換が図られるアニメ版『めぞん一刻』。
スタッフが大幅に変更となり、物語の並びもマンガ版への準拠した形ではなくなる。
これまでマンガ版通りの順序で一話ずつを描いてきた本作。
その流れを断ち切り、明確な時期、つまりはクリスマスや年越しといった季節感のある話は描かない。
その代わりとして年末にはアニメ版オリジナルのクリスマスストーリーを放映(第40話)。
また、話の入れ替えが起こった際に不自然が出ないよう、響子と裕作の距離が縮まっていくシーンはカット。
代表的な部分で言えば第36話にあった、二人が事故的にキスをしてしまうシーンがなくなっていたり。
序盤は確かにこれでうまくいっていた。
しかしそれが段々とうまくいかなくなってくる。

めぞん一刻の面白さの主軸はあくまで響子と裕作、少しずつ変化する二人の距離感の上に成り立った事件の数々。
話の順序を入れ替えることでそれが成り立たなくなった話がチラホラと出始めてくる。
一例としてあげるのであれば第46話
二月の放映に合わせてスケートの話を放映しているのは確かに理解できる。
しかしながら、この物語がマンガ版で展開されたのはかなり序盤、まだ響子と出会って間もない裕作が響子の肌に触れようと必死にもがく部分が笑いを誘う話。
それが、それ以前に響子との抱擁が描かれた後に描かれる。
どうしても「この期に及んでそんなこと」という印象を抱かざるをえない。
ここにきて話を入れ替えた弊害が姿を現し始めるのである。

響子と裕作、二人の距離感を描き直すため

響子と裕作の二人の距離感がどうなっているのか、それが不明瞭になっている中、第53話を期に再びスタッフの大幅な変更。
マンガ版通りの進行であれば登場するはずだった二階堂望の物語を大幅にカット、話はいきなり八神いぶきの登場へ。
八神と響子を対比することで響子と裕作の距離が縮まったように描く。
急に距離が縮まった響子と裕作を見ながら若干の戸惑いこそ感じるものの段々とそこに慣れ、そちらの心地よさにどんどん引き込まれる。
それに加えて、マンガ版よりもかなり速いタイミングでの九条明日菜の登場。
ここで響子と三鷹の距離も描き直す。
人間関係が完全に膠着状態であった物語に人間関係の描き直しのメスを入る。
そして、第62話までの9話の間に響子と裕作は、作品内の言葉を借りるならば「異常な関係」にまで進行。
そこから改めて物語が描かれるに至る。

裕作の就職活動はどうしても違和感のあるものに

二人の距離が描きなおされ、この物語のハッピーエンドとして必要なのは裕作の就職。
マンガ版では大学を卒業し、フリーターを経て就職する裕作。
しかしながら、あくまで放映時期に添わない演出を避けるアニメ版。
63話から始まる裕作の就職についての物語は6月にスタート。
裕作を大学卒業させるためには10ヶ月の期間が必要になる。
そのため、アニメ版では全てのエピソードを在学中の話として設定変更。
10ヶ月後の最終話で裕作の卒業、そしてそれと同時に響子との結婚を描く。
この制約の中で作られたのが後半、ここから先のアニメ版『めぞん一刻』。

それゆえに、裕作の就職活動にはどうしても不自然な話の流れができてしまう。
その際たるものが第74話
マンガ版通りであれば、大学卒業を間際に内定が決まった会社が倒産、急遽フリーターとして社会に投げ出されるはずの裕作。
同ストーリーがアニメ版で描かれた時点ではまだ9月。
事情を話せばこの時期に就職活動を再開してもなんとかなる時期。
その後、保育園でのアルバイトを始める経緯もイマイチしっくりこない。
これはどう考えても、放映時期と作品世界の季節を合わせたら発生してしまう問題ながら、どうしても惜しい感じがしてしまう。

それでも最後は・・・

『めぞん一刻』の物語の最終局面は裕作の就職活動について、ではない。
最後の山場となるのは人間関係の清算だ。
曖昧な状態であった響子と三鷹、裕作とこずえ。
この二つの関係が清算されることでこの物語は完結に向かう。
アニメ版『めぞん一刻』がこれだけ愛されているのは(もちろんマンガ版の圧倒的な面白さもあるだろうが)この終盤部分が非常に良作であるためであろう。

第77話からそれに向けた状況の整理が行われ、第79話から本格的に物語は最終局面に入るこの物語。
ここから最終話まで、軒並み面白い話が多い。
どこを切り取っても目が離せない「特にここ」と言えない。
もちろん、話の制約上矛盾を感じてしまう改変がないとは言えない。
それでも、通して見たときに、マンガ版でも感動した、一人ひとりの微妙な心の動きを、表情や動きで描き出すことで心を踊らせてくる。
そして、実質物語の締め括りとなる第94話のプロポーズシーン、感情の揺さぶり方が非常によく感動的。
ここまでの積み重ねが、このプロポーズに見事に繋がるからこそ、このアニメが名作として語り継がれているのだと思うのだ。

おまけ

めぞん一刻 96話分の詳細な差異はこちらにまとめていますので何卒。

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