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突然の帰省をして思い耽ってみた

現在私はパニック障がいと一緒に生活している。この病は本当に厄介で良くなったと思ったらまた症状が出て行動が制限され自信をなくし、発作の不安と恐怖を抱えながら日々を過ごしている。また時々心の不調によって気分が優れない時がある。それが理由だと思うが、ここ最近家族に会いたいなと思うことが頻繁にある。一人暮らし歴9年、これまで年に1,2回帰省する程度で、そんなこと思ったことなかったのに。東京での暮らしを自ら選んでそれなりに楽しんでいたのに。

先週、仕事が調整できて、突然帰省を決めた。年始ぶりに実家に帰った。今回は地元の友人には声をかけず、実家でのんびり家族とゆっくり過ごそうと決めていた。この期間で、これまで喉に突っかかっていたものがやんわり解けるような感覚を味わって、心身ともにリラックスできたので、その心情について気ままに記録を残したい。

帰る場所がある幸せ

病状と比例して元気を出そうにも時としてそれさえ難しく、特に食べたいものもなく、日々の食事を簡単に済ませていた。プロテインとか時短で済むものとか。
東京での生活はいつも忙しなく、常に時間に追われて合理性を優先しているような気がする。でも時間をかけて、人が作ってくれたご飯は本当に美味しい。ましてやそれが自分の親で、舌馴染みのある味だと、「自分には帰る場所があるんだ」と思い安心できた。

お金や名声のためではなく、人のために働くということ

帰省中に祖父母と会って、最近のことや東京での暮らし、仕事のこと、自分の病気についてなど、たくさんの事を話した。祖母はジャッジするわけではなく意見するでもなく「うんうん」「辛かったね」と受け止めてくれて、とても心が綻んだ。

そんな祖父母が毎年、生き甲斐だというほど心を込めて手入れをしているひまわり畑がある。今年もちょうど見頃を迎えて、たくさんの方が来てくれていた。私も足を運んだ。

ひまわり畑と私

写真のように結構大きな畑だし、農業の仕事もしつつ毎年手入れも大変だろうから、「入場料とったら?」と私が言うと「来てくれた人の笑顔を見るとやってよかったと思えるからそれで十分」と言っていた。その返事を聞いて、自分が(東京に染まったのか、社会に揉まれたのか)何でもかんでもビジネス(=お金)に転化しようという考えになっていたことに気がついた。

本来お金は、感謝の対価としてたまたま姿を変えたものであり、こういう風に感謝の気持ちのまま(姿を変えずに)受け取るという豊かな考えが田舎にはあったなあと思い出した。お金は大切だけれど、一番ではない。何か物事を達成する手段であり、お金儲けそのものが目的ではないなと思い出すことができた。

自然の尊さ、不必要性

最終日にそのひまわり畑に行き、近くの海にも入って、子どもの夏休みみたいな時間を過ごせた。海辺にいるカニや魚、目の前に広がる一面の海に癒された。東京にいても湘南あたりまで行けば海に触れることはできるし、それはそれで好きなのだけれど、やっぱり子どものことからよく行っていた海はまた違った趣きと温かさがあった。
都内でも、休日はなるべく公園とか自然豊かな場所で本を読んだり散歩中の犬を見ながらコーヒーを飲む、といったのんびりコースが好き。

地元にいるときは、田舎が嫌だったけど、こんなにすぐ近くに自然が溢れていることがどれほど尊いことか、自分の心身を癒してくれているかを思い知った。

何もない不便さこそがむしろいい

東京での暮らしが5年ほど経ち、この期間に東京でしか味わえない感情や景色を見てきて、都会の生活も楽しかったけど、もう十分かなと自分の中でひとまずの区切りが見えた気がした。自身が体調を崩したことやコロナが大きなきっかけだったのもある。
子供の頃から早く田舎を出て、東京でバリバリ働くキャリアウーマンになりたかった。でもなってみたら、思ったほどしっくりこなかった。だから「誰かがやればいいこと」はその「誰か」に譲ることにした。でも後悔はしていない。自分の性格上やってみたいと思ったことは一度はやってみないと気が済まないし、やってみて「自分には合わなかった」という答えが見出せたのは、一定のところまで泥臭く行動を重ねたから辿り着いた答えであり、いわば結果論でしかない。やっていなかった方が確実に後悔していただろう。

田舎より都会で刺激に溢れた環境、大きな市場の中で仕事をしたかった。
高校生までの私は地元(田舎)の良さがわからなかったけど、東京で色んな人と交流したり様々な経験をしたことで、地元の良さに気付けたり田舎や地方の魅力も感じることができた。自分の精神衛生上、自然との触れ合いが重要なこともわかった。

何でもすぐに揃うし何でもある都会の生活は便利で楽しい。だけど、何でもすぐに揃わないから田舎はご近所さんとのモノの貸し借りがあったり、助け合いの精神が強かったり、富を分け合う考え方があるんだろうと思った。これはとてもとても尊ぶべきことであり、結局のところ何処にいても大事なのは「人」だなと思った。

そして少なくとも、便利で簡素な都会の生活スタイルは、”今の”自分の価値観とは合致していないかもしれない、そう思った。

家族との時間 ー父とのこれから、娘としてできることー

さて、前置きが長くなってしまったがここからが本題。
私は長年、家族に対してコンプレックスを感じていて、さらにそのコンプレックスを見ないふりをして生きてきた(家族内でもあまり触れられない話題だったから)。
5人家族なのに、4人がけのダイニングテーブルを見てわかるように仲がいいとは言えず、家族全員で旅行に行った記憶は1回だけうっすら程度、食卓を囲んだ記憶はない。たまに家族が揃っても通夜みたいな空気で、無駄に空気を読んでしまう私はその空間が息が詰まりそうなほど辛かった。

学生の頃から、周りの家族が羨ましくて仕方なかった。なのに家族で旅行に行った話を友人から聞いたりしたときは、「一人の方が楽だし」と悪態ついてた。大人になってからもその癖は抜けず、「帰省するたびに家族の不仲を直視するから帰省したくない」、「結婚したくてもどうやったら幸せな家族が築けるか知らない」と母親にあたってしまったこともあった。
さらに厄介なのが、両親ともかなり保守的で堅実人間なので、リベラル派の私はよく衝突していた。その度に、(もう時効だから言ってもいいよね)正直「親ガチャ」という言葉が頭をよぎった。(これ以降はこの言葉を封印します。。)

だけど、コロナ禍や自分の体調不良、両親の加齢などがきっかけで、「会いたい時にすぐに会えないのは悲しい」「あとどれだけの時間一緒に過ごせるだろう」と想いを馳せる機会が多くなった。

私の思い描く”いい家族”ではないかもしれないけど、この家族の一員として生まれたことも一つのアイデンティティとして受け止めることが、26年間生きて最近やっと少しずつでき始めた。どんなに負の要素であれ、今の自分を作っているルーツの一つなら、否定するのはナンセンスかもしれないとも思いつつも、私もまだこの問題については完全に落とし所を見つけたわけではない。自分が親になったりしたら、また考えも変わるんだろうな…

そして、これはまだ未確定事項なのだけれど、、今回の帰省で驚いたことがある。
(私の子供の頃からの記憶では)平日6時半には家を出て23時くらいに帰宅し、土日もずっと仕事していた父親が、母親に「早期退職したい」と言ったそうだ。そして「(父方の)祖父母の農業を継ぎたい」と言ったそう。母がこっそり教えてくれた。私にはまだ直接言われていないけど、打ち明けられたら「おめでとう!応援するよ!」と言ってあげようと思う。(と母に言ったら嬉しそうで、その顔を見たら泣きそうになった)

幼少期から上京してからも、ずっと祖父母の作ったお米で育ってきて、祖父母の代で終わらせるのは勿体無いなと思っていたから、私も自分の得意なことを生かして父親のセカンドキャリアを手伝えたら、こんなに嬉しいことはないなと思う。言うのは自由なので、現時点での構想を走り書きしておくと、、↓こんな感じ。

・法人化して父親と共同創業&ブランド化
・野菜をマルシェや朝市で販売したい
・野菜の定期便(サブスク的な)をしたい
・空いた畑でハーブや薬草やハーブ生育⇨EC販売やワークショップしたい
・アロマやハーブで商品開発
・サステナブルでエシカルな消費行動を促進
・食品ロスに対抗できる何かをやる(廃材を使って〜みたいな事)
・地域創成事業

年商●●万とかそんなことではなく、父親の生き生きとした姿を見たいし、その手伝いなら私にできることは何でもやりたい。
幼少期からの家族に対してのネガティブなバックグラウンドも、天から与えられた課題として捉えるなら、これは自分自身を大きく成長させる種になるのではないかと思った。またその問題を克服することで、やっと子供の頃の自分が報われるような、言葉にしがたい感情が湧き上がってきた。

もう、他人の幸せを指を咥えて見ているだけの人生は嫌だ。
もう、できない理由探しや言い訳をするのは嫌だ。

今はまだ夢のような話で、言うが易しかもしれないけど、言霊の力を信じつつ今の自分の素直な気持ちを綴ってみた。

そんなことを思いながら、東京に戻る新幹線に乗ってる今、涙腺が緩んできた。
また頑張ろうと思った。





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