虚構としての『ドラえもん』

『ドラえもん』はフィクションなので、虚構なのは当たり前だ。

私が指摘したいのは、現実の人間世界が作品に全く反映されていない点である。

ジャイアンによるリサイタル、スネ夫の金持ちアピール、しずかちゃんの入浴依存など、およそ現実の小学生とは似ても似つかない。

よく登場人物が手ぶらで屋外を徘徊しているのも奇妙だ。

 

『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』は、現実の人間観察が作品に活かされているのが分かる。

むしろ、それが'売り'なのだ。

『アンパンマン』は人間がほとんど出てこないメルヘンの世界なので、キャラクターの心理や行動は単純化されている。

翻って『ドラえもん』はSF要素があるとはいえ、舞台は人間世界だ。

それなのに、現実との乖離は『アンパンマン』と同等かそれ以上である。

 

おそらく作者の主眼は、未来の道具を描くことであり、人間などどうでもよかったのだろう。

それでも人気を博したのは、読者が作品に馴染むのをひたすら待ち続けた結果と言える。

『ドラえもん』は現実の模倣を拒否したことにより、消費社会における「シミュラークル」(ボードリヤール)の構造を打破し、サブカルチャーの中心に居座り続けている。

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