明智光秀の肖像
今年の大河の顔、明智光秀。
本能寺の変で主君・織田信長を討ったイメージから、その肖像画はいかにも怨念の塊のように感じられる。
しかし、意外と理知的で文人としての顔もあったと知ると、同じ肖像画でも気品のある感じがしてくるから不思議だ。
『麒麟がくる』での頭脳明晰な活躍ぶりは、もはや明智'小五郎'と言っても過言ではない。
では、なぜ光秀は信長を討ったのか。
今もって議論は尽きないが、結果的に信長の時代と秀吉の時代をつなぐ役割を果たした。
そういう歴史的宿命を負っていたのではないか。
弁証法的に言えば、信長(テーゼ)と光秀(アンチテーゼ)によるアウフヘーベンが、秀吉の天下統一(ジンテーゼ)をもたらしたのだ。
'麒麟がくる'というのは、こうした弁証法的発展のことなのかもしれない。
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