秀吉のマクロ経済学

『京都浪漫』という番組で、京都の醍醐寺が紹介されていた。

そこで豊臣秀吉は、「醍醐の花見」(1598)と呼ばれる大規模な花見を行ったそうだ。

番組によると、それは権勢の誇示が目的ではなく、1596年に相次いで起きた震災への復興プロジェクトだったという。

花見会場の設営を通じて、土木事業などを活性化する狙いがあったのだ。

さながら、1930年代米国のニューディール政策である。

 

また、秀吉による太閤検地は、国税庁のHPに紹介されているとおり、正確な測量と統一的な徴税を実現した。 https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/quiz/1104/index.htm

年貢の量は、農耕地の面積から算定された収穫量(石高)に基づいているので、日本で初めてGDP(国内総生産)の算出が試みられたとも言えよう。

 

以上のことから、豊臣秀吉は財政学的にも重要人物であり、ニューディール的な政策で雇用創出を行った、ケインジアンの先駆者だと分かった。

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