大学に行かなかった詩人たち

著名な詩人や難解な作風の詩人が、意外と大学には行っていなかったりします。

 

谷川俊太郎は豊多摩高校卒業後、しばらく引きこもって詩を書きため、父親である哲学者・谷川徹三の仲介で三好達治の知遇を得てデビューしました。

難解な作品で知られる吉岡実は、向島商業学校の夜間部を中退しています。彼の詩と商業学校は何の関係もなさそうです。二十歳で筆を折ったランボーが貿易商になったのを思い出します。

初期の金井美恵子は詩も書いていました。「ハンプティに語りかける言葉についての思いめぐらし」は、実に難しい。母校の高崎女子高校は「高女(たかじょ)」と呼ばれているそうです。

 

これらの詩人たちがもし大学に行っていたら、どうなっていたでしょうか?

なんとなく、高等教育に染まらなかったからこそイマジネーションが開花したのではないか、という気がします。

ちなみにランボーも、大学には行っていません。

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