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結婚しないで趣味に生きると飽きる?【45歳独身狂う説は倒せる】

独身おっさん「若いうちに結婚したほうがいい!趣味は飽きてくる!」

SNSの怪しい匿名インフルエンサー「45歳で独身だと狂う!趣味なんかじゃ解決しないぞ!」


このような悪質なデマをSNSで見聞きし、不安に思っている趣味人の皆さんも多いでしょう。


しかし、安心してください。

趣味人の皆さんは独身おっさんになっても狂ったりしません。

「45歳独身狂う説」はインチキであることを先日の記事で紹介しました。なぜかこの記事が大変好評いただいたので、今回は「趣味人」の皆さんに特化した続編記事を書きました。


最初に厳しい書き方をしてしまいますが、SNSで「趣味は飽きる」と言っている方々は人間ではありません好奇心を去勢された機械です。

「量産型ザク」のようなものだと思ってください。

そもそも生物としてのレベルが違うのです。趣味人の皆さんは正常な人間であり加齢で狂ったりしませんので安心してください。


「趣味人の"趣味"」と「量産型ザクの"趣味"」に感じる温度差

そもそも、「趣味は飽きる」と言っている量産型ザクが語る"趣味"と、趣味人が実践している"趣味"とでは全然違う事が多いのです。

例えば「アニメが好きです」「ゲームが趣味です」を事例に挙げると、以下くらいの温度差があるのです。

●量産型ザクの"趣味"

「アニメが趣味です(暇だから配信サイト見てたら放送してたんで)」

「ゲームが趣味です(暇だからスマホでポチポチとアプリダウンロード)」

●趣味人の"趣味"

「アニメが趣味なので同人アニメ制作してます。今は3DCGモデリングの勉強してます。」

「ゲームが趣味なのでeSportsやってます。●●というゲームの国際大会で5位になったことがあります。」


この差は何かというと「好奇心」と「没頭」です。

趣味人は好奇心で自発的に趣味に没頭しどんどん探求していきます。時間を忘れて睡眠時間を削ってでも挑戦を続けるので、そもそも「暇だ」という感覚自体を感じたことがありません。

一方、量産型ザクは最初に「暇だ」という感覚で趣味を始め、たいして没頭することもなく「飽きた」とか言い出すのです。このレベルの方々が趣味人に対して「趣味は飽きる」とか言うのは、失礼極まりないと思います。


量産型ザクは自発性と好奇心が去勢されていて「上から指示されたこと」と「やらなきゃいけないこと」しか出来ない"バイオ機械"です。

彼らは「趣味は飽きるから結婚して子供つくりなさい!」みたいな事を言ってますが、ゲーム・アニメなどの趣味と同様に「子育て=社会がやれっていってること、やらなきゃいけないと思ってること」で暇つぶししてるだけなんです。

彼らは、趣味人を冒涜しているだけでなく、結婚や子育て自体も冒涜しているといえるでしょう。

当たり前ですが、子育てが終わり子供が自立したら、また暇になります。「子育てが終わって無気力になった」「会社を定年退職してやることがない」「夫婦仲が悪くなり、結局、熟年離婚した」みたいな中高年が増えているという話をよく聞きますが、自発性と好奇心が足りない量産型ザクは晩年に狂うことになるのです。


人間という生き物の歴史は、好奇心と挑戦の歴史です。

人間に好奇心が無ければアフリカ大陸から出て、世界中を探検することもなかったので、今ほど人間の活動領域は広がらなかったでしょう。また、科学や文明の発展も、「新しいものを発明したい」という人の好奇心の賜物なのです。

人の歴史を見ても、好奇心と挑戦に欠けている者は人間の基準から逸脱してしまっていることがわかります。

45歳独身狂う説を趣味で倒せないのではなく、もともと人間としてどこか故障してしまっている人達が、故障が悪化して狂ってるだけなのです。


なぜ日本には趣味に生きる事ができない量産型ザクが存在するのか?

では、なぜ日本では「上から指示されたこと」「やらなきゃいけないこと」しか出来ない自発性と好奇心に欠けた量産型ザクがたくさん生まれてしまったのでしょうか?

僕は過去の国策と教育の問題だと思っています。

日本の教育システムは、数々の問題点を抱えています。その中でも最も顕著な問題は、量産型の教育が行われていることです。日本の教育は、生徒を一括りにして同じように教育し、同じ結果を求める傾向が強く、その結果、一人ひとりの個性や能力が生かされず、単なる「部品」のように扱われていると言えます。

この量産型の教育システムは、生徒一人ひとりの個性や能力を見極めることなく、同じ内容を同じように吸収させることを重視しています。これにより、個々の生徒の可能性や才能が最大限に引き出されることなく、単なるテストの点数や成績で評価されることが多くなります。結果として、生徒たちはただ覚えることや受け身の学習に偏り、自己表現や創造性を発揮する機会が少なくなってしまいました。

さらに、この量産型の教育は、生徒たちに過剰な競争意識を植え付ける要因ともなっています。成績や評価が重視される教育システムが、生徒たちにとって過度なストレスや不安をもたらし、学ぶことへの本来の楽しみや喜びを奪ってしまっています。生徒たちは単なる「勝ち負け」や「上下関係」の中で教育を受けることにより、自己肯定感や学習意欲を失いがちになってしまいます。

加えて、教育システムが単なる知識の詰め込みに偏っていることも問題です。単なる暗記や答えのみを求める教育は、現代社会で求められる能力やスキル、たとえば問題解決能力やコミュニケーション能力などといった、重要な能力の育成には繋がりません。


高度成長期など大量生産・大量消費の時代では、機械のように決められたとおりに動く量産型ザクを大量生産するやり方が成功し、日本の経済成長と富みをもたらしたのは事実です。しかし、個性の時代である現代社会では時代遅れと言わざるを得ません。

世界が急速に変化する現代社会において、単なる知識だけでは生き抜くことは困難であり、より広い視野や柔軟な思考が求められると言えます。

特にAIが急速に発展している現在では、量産型ザクなどはすぐに人工知能に代替されて無価値になります。これからの時代で人が人の価値を発揮するには好奇心と自発性が重要になることは言うまでもありません。

ここまで「量産型ザク」と馬鹿にするような表現をしてきましたが、国策でこのような教育をやってきているため、誰もが量産型ザクになってしまうリスクを抱えていると言えます。他人事ではないのです。

日本の時代遅れの教育に毒されることなく、大人になっても好奇心と自発性を忘れていない趣味人の皆さんはラッキーだったといえるでしょう。


好奇心の重要性とこれからの日本の教育

これからの日本に必要なのは、趣味人が持つ好奇心を日本人全体に広げていくことです。

好奇心を持つことのメリットとは、この世界をより深く理解し、新たな知識を得ることができる点です。人間が持つ好奇心が、科学技術や文化芸術の発展に大きく貢献してきました。例えば、過去の偉大な発明や発見は、研究や探究心から生まれたものが多くあります。

好奇心は、課題解決や問題解決にも欠かせません。新たなアイデアやアプローチを生み出し、革新をもたらすことができるからです。 社会での価値としては、好奇心を持つ人材は、主体的に問題を発見し、解決していく姿勢を持っています。彼らは、常に状況を分析し、改善点を見つけ出す能力を持っています。このような人材がいることで、組織や社会全体が前進し、発展していくことができます。

また、好奇心は創造性を刺激し、革新的なアイデアを生み出す源となります。これによって、新たな価値や産業が生まれ、社会全体の発展に貢献することができます。 さらに、好奇心を持つことは、自己成長や学び続ける姿勢を築くことにもつながります。常に新しい情報や知識を求めることで、自己啓発やスキルアップにつながり、自己実現にも繋がります。

好奇心は他者とのコミュニケーションを豊かにする要素でもあります。興味や関心を持ち、相手の視点に立って物事を考えることで、人間関係が深まり、協働や共感が生まれることでしょう。


逆に好奇心が欠如すると個人の成長や幸福に影響を及ぼす恐れがあります。

まず第一に、好奇心の欠如は新しい可能性やチャンスを見逃すことにつながります。人生は常に変化し、新たな出会いや経験を通じて豊かになるものであり、好奇心がなければその多様性を楽しむことができません。

さらに、好奇心が不足していると、自己成長の機会を逃してしまう可能性があります。自己成長は、新しいことに挑戦し学び続けることで得られるものであり、好奇心がなければ自己改善のための努力も怠る傾向が現れるでしょう。自らの可能性を広げるためには、常に好奇心を持ち、積極的に学ぶ姿勢が不可欠です。

また、好奇心の乏しい人は、周囲とのコミュニケーションが困難になる可能性があります。好奇心がないと、人との関わりを深めるための会話や交流が乏しくなり、孤立感や孤独を感じることが多くなるかもしれません。人間関係は豊かな人生を築く上で重要な要素であり、好奇心を持つことで新たなつながりを作り出すことができます。

また、好奇心の不足はモチベーションの低下につながる可能性があります。新しいことに興味を持たないと、日常の生活に飽きやマンネリ化が生じ、やる気や情熱を失いがちになります。モチベーションが低下すると目標達成や自己実現が難しくなり、結果として自己肯定感の低下につながるかもしれません。


そのため、これからの日本の教育においても好奇心が育つ教育をしていく必要があります

現代社会において、目指すべき教育とは、単なる知識やスキルの習得だけでなく、個々の可能性を最大限に引き出し、自己実現や社会貢献につながる力を育むことが重要です。

過去の教育は、一定の基準に合致するための教育と評価が主眼となり、量産型の教育が支配的でした。しかし、そのような教育では、個々の個性や能力が生かされず、単なる群れ社会の一員としての価値観が強調されてきました。 教育の本来の目的は、個人の可能性を最大限に引き出し、自律的で創造的な人材を育てることにあります。

量産型教育からの脱却を模索することは、単なる知識の伝達や標準化されたスキルの習得だけでなく、生徒一人ひとりの特性や興味を尊重し、それに合わせた教育プログラムを提供することを意味します。 教育は、生徒の個々の能力や興味に合わせたフレキシブルなカリキュラムを展開し、自己探求や自己表現の機会を提供することが重要です。

また、単なる評価や競争によって生徒を評価するのではなく、成長過程を大切にし、失敗や挫折を乗り越える力を養うことも重要です。 教育は、個々の生徒が自ら考え、問題解決能力や批判的思考力を養う場であるべきです。適切なサポートや指導を通じて、自己肯定感や自己効力感を高め、自己実現に向けた意欲を引き出すことが求められます。


もちろん、既に大人になってしまった方も好奇心を刺激する努力が必須になります。趣味人の方も油断は禁物です。常に新しい挑戦をし続けることが大切です。

新しい経験や知識を得る機会を増やし、好奇心を刺激する環境を整えることが大切です。例えば、本を読んだり、新しい趣味を始めたり、旅行をしたりすることで、新たな刺激を受けることができます。

また、好奇心を育てるためには、自己肯定感を高めることも重要です。好奇心は、自己肯定感がある人ほど強くなると言われています。自分の興味や関心に素直に向き合い、自信を持って新しいことに挑戦することで、好奇心を高めることができます。

さらに、好奇心を育てるためには、問いかける力を養うことも効果的です。周囲のことや世界の不思議に疑問を持ち、積極的に質問をすることで、新たな視点や発見を得ることができます。問いかけることで、自ら考える力も養われ、知的好奇心が育まれます。

さらに、好奇心を育てるためには、日常生活でのルーティンを破ることも重要です。同じことの繰り返しではなく、新しいことに挑戦し、自分の興味を追求することで、好奇心を刺激することができます。新たな挑戦を通じて、自己成長を促すことができます。

好奇心は、僕たちの人生に彩りを与え、成長を促す重要な要素です。

好奇心を育てることで、より豊かな人生を送っていきましょう。


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