どこに、どのように立つのか―戦後76年所感

 去年のこの時期にこれを書いたので、

今年は書かなくてもいいかなぁと今週の初めには思っていました。しかし、ここ数日の出来事を受けて何かしら書かなくては…と方針を転換しました。

 今春には入管法改「正」とは到底言えない法案を巡る攻防がありましたが、与党がこれを断念するに至った要因が、まさにウイシュマさん死亡の出来事でした。オリンピック開幕の数日間だけでもいくつもの信じられない事態が起きましたが、もしこの報告書公表と遺族へのビデオ公開が五輪期間中に起きていたらどうなっていただろうかと思ってしまいます。
 以前にも思い出すことはありましたが、今回のニュースを巡っても5年前に聞いた講演を思い出しました。

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 新潟市にある市民映画館シネ・ウインド新潟国際情報大学の連携企画でしたが、この中で映画監督の森達也さんは次のように語っていたのです。

週刊誌の報道体制が問題なのではなく、それに賛同したりなびいたりする社会の傾向こそが問題。
メディアは社会の反映。政治家も国民が選んでいる。メディアが(報道の自由度)世界72位ということは、政治も世界72位。国民も世界72位。途上国という自覚を持った方がいい。
これからの時代は、個を強くしなければならない。

 昨日大きく炎上してしまったこの出来事は、悪い方向で「個が強く」なってしまった結果起きてしまったのではないかと思います。

 YouTuberによるトラブルは少なからず報じられていますが、本件はマスコミが戦時中に犯した失敗と根が同じなのではないかと思ってしまいます。結局メディアである以上、ある程度は同じ線を行ってしまうということなんでしょうか。
 氏が謝罪して以降も抗議の声は依然として続いており、それに苦言を呈するツイートも見ました。ここ数日は自分自身が情報摂取過多な状態だった気もしていて、それで尚更だったのかもしれませんが非常にモヤモヤとした心境にあります。これも一つの「戦い」になってしまっているなぁと。

 そんな中、昨夜facebookである賛美歌の話題を見かけて、自分自身でもかなり久々にその賛美歌のことを思い出しました。

 讃美歌21略解によると、この歌詞はスコットランドの社会福祉施設でのクリスマス礼拝のために作られたそうです。
 各節の最後は「あなたは?」という問いで統一されています。この問いを投げかけている「私」はイエス・キリストを表しているのだと思いますが、改めて自分がどの立場に立っているのだろうかと考えさせられました。
 この賛美歌はミッションスクールの高校の礼拝で割と歌ったことがある曲でしたが、同じく高校時代に発表されたこのスピーチのことも思い出していました。

 このスピーチに全面的に賛同する訳でもありませんが、結論部と言えるであろう終盤部はこの時期に読まれるべきものではないかと心から思います。

 国籍や人種や宗教を超えて、我々はみんな一人一人の人間です。システムという強固な壁を前にした、ひとつひとつの卵です。我々にはとても勝ち目はないように見えます。壁はあまりにも高く硬く、そして冷ややかです。もし我々に勝ち目のようなものがあるとしたら、それは我々が自らのそしてお互いの魂のかけがえのなさを信じ、その温かみを寄せ合わせることから生まれてくるものでしかありません。
 考えてみてください。我々の一人一人には手に取ることのできる、生きた魂があります。システムにはそれはありません。システムに我々を利用させてはなりません。

 この部分で、タイトルに掲げた「どのように」の答えがあるのではないかと思います。つまり、「相互の信頼と愛」ということです。
 聖書の中で比較的有名ではないかと思う一節を思い出します。

信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。(コリントの信徒への手紙 一 13章13節)

 考えてみれば、生活保護制度そのものに対しても(いわゆる擁護派からも)以前から様々な批判が上がっています。それに囚われずに構築されていっている草の根のシステムが「子ども食堂」だと言えるのかもしれません。もちろん行政・立法・司法の役割は大切ですし、それらに対して声を上げることも大切です。しかし、そのほころびが様々なところで見え隠れしている今、目を向けるべきところは他にもあるのではないだろうかと思います。
 と書いたところで、バイデン大統領就任時に思い出した賛美歌もご紹介します。

 念のため書いておくと、ブラジルで作られた賛美歌です。

 その一方で、ここ数日の大雨に関する報道を見ると、人間の限界性を改めて突き付けられる思いです。被災地の方々のご無事を祈るばかりですが、疫病だけでなく毎年のように災害との対峙を余儀なくされるこの国の「力の入れ所」はどこにあるべきなのだろうかと、改めて思わされます。
(疫病と書きましたが、去年の今頃問題となっていた「自粛警察」はどこへやら。陽性者に対する言われもない差別に加え、ワクチン接種を希望しない人への偏見も耳にします。これだけでも本当に心が痛むばかりです)

 オリンピックは、(特に開会式で)世界中のほぼすべての国・地域に目を向けるという大きな役割を果たしたと思います。しかし、同時に日本の様々なほころびをも露呈したのではないでしょうか。それをさらに引きずったままでは、さらなる悲劇を生むだけではないかと思います。それだけは避けてほしいと願うばかりです。

 最後に、個人的に非常に励まされたnoteをご紹介します。


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