着信
退屈退屈退屈
この間友達と電話をした。用事があったから話したかったのだけど、気がついたら5時間も話していて、会話ってこんなに楽しいんだと思った。
帰る時間も気にしないで日々の不安とか焦りを一通り話し合って、楽しい予定をいくつか立てた。
稀にまるで未来に色があるみたいに見えるのは、何の縛りもない自由な予定があるからなんだと思う。全部私が好きな人達のおかげ。
忙しくしていても面白みがないとつまらない。
朝決まった時間に起きて決まった電車で決まった場所に行く。それを安定と呼べば聞こえは良いけど。
心が踊ることは年々、減っていくかできなくなるかそんなところだと思う。
生き方を決定した後にどうしても色んな制限が出てきてしまって身動きが取れなくなるのはどの職業でもあること。
その制限の中でいかに自分を開花させて活き活きできるかは自分にかかっている。
ある程度大人になると責任の色が濃くなっていく。この責任の存在を受け入れてしまった途端本当に自由が少なくなる。
責任放棄をし続けて生きていればきっと、もっと自由になれるんじゃないかと思うのだ。
働く責任稼ぐ責任発言の責任関わる責任生きる責任
そういう子どもには意識しづらい責任が私を縛り付けて仕方がない。あれを言ったからにはこれをしないと、とか生まれてきたからには、とかそんな具合で。
責任とは他者との間に生まれるものであるから責任を意識するようになったということは他者を大切にすることができるようになったということでもあって、半ば喜ばしいことではあるけどね。
ただ他者を尊重する代わりに自分のどこかは歪ませる必要が出てくるものなのだ。
責任を果たすために奔走している傍らで、失われていく自由、楽しさ喜び。見るからに他人からすれば価値のない、自分のテリトリーにあるものが失われていく。
どうしても希望がないと生きる意味を見いだせなくなってしまう私は自陣にあるものを手放し続けていると生きられなくなってしまう。
だから責任を少しだけ放棄したり停止したりして自由や楽しさに目を向ける時間が必要なのだ。
必要が無い楽しさなどなくて、楽しさや自由は全て自分が他者への責任を果たすためにも要るもの。(他者に害を与えるものは除く)
忙しくて眠れていないとか疲れていて気力が無いとかいう状況で、真っ先に削ろうとする自分の時間をもっと頑なに握りしめていないといけない気がしている。
また友達に話聞いてもらお。
自由がゼロになる前に好きなことをしましょう
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