音楽酒場モトロク

都内小岩駅南口で生演奏の店をやってます。楽器ができる人も、生演奏で歌いたい人も、みんな…

音楽酒場モトロク

都内小岩駅南口で生演奏の店をやってます。楽器ができる人も、生演奏で歌いたい人も、みんなで楽しく飲みながらどんちゃん遊びましょう。 住所 東京都江戸川区南小岩7-25-13第六山喜ビル201 電話 08041707678

最近の記事

創作するなら愛をくれ

ここのところ、漫画の原作とドラマ化の話がよくメディアに取り上げられています。1人の才能ある漫画家が自ら命を絶ってしまったことを発端に、各メディアで激しい論争が繰り広げられています。漫画が映像作品になる際のトラブルは今に始まったことではありませんが、事態をここまで悪化させたのは、間違いなくテレビ局です。僕はもう観なくなって10年以上経ちますが、テレビはもはや、ひとつも責任取らないくせに、やたらと権威をひけらかして威張り散らす、定年間際のダメ上司みたいな存在に成り下がりました。か

    • 50年。長いか短いか

      僕が子供だった1970年代はまだ、自宅に風呂がない家がたくさんありました。近隣にある銭湯はある種の社交場で、常に不特定多数の人が出入りして、文字通り裸の付き合いをしていました。当時は僕の家も風呂がなく、近所の銭湯に日参していました。『この顔に、ピンときたら110番』。風呂上がりに脱衣場でコーヒー牛乳を飲みながら、そんなコピーが書いてあるポスターをよく眺めていました。そこにはなんだか怖そうなおじさんたちの顔写真が並んでいましたが、その中に1人だけ朗らかな笑顔の長髪青年がいました

      • 年末に想うこと

        早いもので、もう師走も半ばです。駅前はきらきらとイルミネーションが輝き、街を歩けば酔客だらけのこの季節。毎年毎年僕はある方を思い浮かべます。その方の名は、そう、山下達郎さんです。 『クリスマス・イブ』。この曲、実はリリース時にはそこまでヒットしてません。1983年のシングルリリース時はオリコン44位。しかも普通のシングルではなく、3万枚限定の12インチでした。それがその5年後の1988年、JR東海のCMソングで使われたことで爆発的な人気を得て、いまやクリスマス定番曲としての

        • 洋楽の邦題2

          ※これも、かつてのものです。続き物なので 前回の洋楽の邦題問題について、なんだか尻切れトンボな感じがしたので、急遽、続きを書きたいと思います。だって、掘り起こすとバラバラ出てくるんだもの、変な邦題って……。とくに、八十年代ものはちょっと他の年代の追随を許さないような破壊力抜群のダサさを持っています。あ、余談ですが、この「ダサい」という形容詞も八十年代ものですね。たしか、「ダサい」の対語は「ナウい」だったはずですが、そちらのほうはもうすっかり死語ですね。今どき「彼女の服、ナウ

        創作するなら愛をくれ

          洋楽の邦題

          ※今回はかつて僕がアメブロに書いたものです。 最近はあまり見かけなくなってしまいましたが、かつて、洋楽の何割かの曲にはかならず日本語のタイトルがついていました。洋画などもそうですが、邦題というのはより日本人に親しみを持ってもらうためにレコードや映画会社の宣伝部の方が頭をひねって考えた、いわば販売促進のためのものでした。ビートルズの『抱きしめたい』(原題I wanna hold your hands)、エルヴィス プレスリーの「監獄ロック」(原題 Jailhouse rock

          吉田拓郎について考える

          僕は1971年生まれの52歳なので、この方の全盛期にはまったく間に合っていません。生まれた頃から5歳くらいまでが彼の全盛期なので、さすがに知識はすべて後付けですし、思い入れも世代の方に比べればまったくありません。物心がついた時にはフォーライフレコードの社長として経営者になっていたのが最大の原因だと思いますが、もはや過去の人のイメージが強く、同時代のもう一人のヒーロー井上陽水さんに比べて現役感は少なかった印象です。吉田拓郎の本当の凄さを理解したのは、それこそ30代後半になって今

          吉田拓郎について考える

          あいつらのこと

          夏休み。みなさん楽しく過ごしてますか? 台風の影響で大変なことになってる地域の方もいらっしゃると思いますが、どうかご無事でありますよう、みなさん充分気をつけて下さい。今日は8月15日。自分なりにこの日について思うことを書こうと思います。少し長くなりますが、どうかお付き合い下さい。 今から25年前。前世紀の終わりごろ。僕はアルコールに耽溺していました。98年の終わりに3年住んでいたイギリスから帰国した時にはすでに酒が切れると手が震え出し、粘っこい汗を大量にかくようになり、白目

          あいつらのこと

          禿頭記2 現人神

          濡れた後頭部を指さされて『ヤダッ!』と叫ばれたのは、僕が36歳になる頃でした。それ以来ゴルゴ13ばりに、背後に他人がいることが気になるようになりました。そして、頭が濡れることを極端に怯えるようになりました。額が後退するタイプの方はまた違った危機感をお持ちなのでしょうが、僕のようにつむじ付近から目減りしていくタイプの人間は、自己確認がとてもしづらいのです。ごまかそうにも、目視できなければ適切な処理ができません。疑心暗鬼はつのるばかりです。表向きは普通を装っていましたが、内心はそ

          モトロク的歌詞考察1『中島みゆき』

          中島みゆき。昭和後期から平成中期までの彼女の活躍がなかったら、その後の女性シンガーソングライターたちの何人かはいなかったか、違う形になっていたでしょう。女の人がなかなか活躍できない国と国際的に言われる日本において、彼女は自力で現在の地位を確立してきました。そういう意味でも、戦後日本ポピュラー音楽史の最重要人物の一人であるのは間違いない人です。今回は彼女の作品を一つ一つ検証するのではなく、ざっくりと初期作品の歌詞を追っていこうと思います。 1975年に『アザミ嬢のララバイ』で

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          喜ばしい無茶

          俳優、ミュージシャン、芸人、作家。すべて、成り難い仕事です。近年はSNSやネットのおかげで、かつてほどの成り難さはないかもしれませんが、それを生業にして生きていくという意味では、いまだに狭き門なのだろうと思います。スポーツ選手なんかも成り難い仕事ですが、この場合はかなり子供の頃から両親など大人の協力のもとやっていくものなので、少し毛色が違う気がします。一本独鈷で狭き門を潜り抜けた先にある仕事。先の四種の仕事は、きっといつまでも成り難い仕事の四天王であり続けるでしょう。 では

          ダンディズム

          先日、作家の原寮さんが亡くなりました。今では本当に少なくなった一人称の探偵小説、すなわちレイモンド チャンドラーに代表されるハードボイルドの、本邦における第一人者でした。原さんは1988年に『そして夜は蘇る』でデビューして以来、長編小説は5作しか遺していません。35年間で5作。本当に寡作な方でしたが、どれも素晴らしい作品でした。ファンとしては、正直まだまだ読みたかったです。 ハードボイルドとは、やせ我慢の物語です。一人称で語られる主人公はどんな時も自分の美意識や規範に則って

          禿頭記①

          音楽酒場モトロク店主である私は、もうだいぶ前から頭髪に難を抱えております。もう15年以上前になりますが、雨に濡れた髪を拭き終わった後、『やだ‼︎ ヤバいでしょ、スケスケ』と、指差して知人に指摘されました。それが全ての始まりでした。それからもうじき20年。もはや我が頭の透明感たるや、スケスケどころではありません。磨き上げたアクリル板のごとしです。 世の中には、禿げたくて禿げる人はいません。毛量が多すぎて困っている人はいると思いますが、そんな方も少なくしたいと思っているだけで、

          小岩の音楽酒場

          これから、ブログを書いていくつもりなんですが、店の宣伝とか、お店にまつわることだけ書くつもりはあんまりありません。 宣伝って、受ける側に立って考えると、かなりこちらの神経をイラッとさせるものがあるからです。欲しくもないものの広告が、楽しく観ている動画に唐突に入ってきて、『死んでも買ってやるか!』という気になったことが一度や二度ではありません。またねぇ、ネット広告って、そこで入るか、ということろで入ってくるんですよ。しかも、本編よりも少し大きな音量で。あれは、『そんなに嫌なら有

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