洋楽の邦題

※今回はかつて僕がアメブロに書いたものです。

最近はあまり見かけなくなってしまいましたが、かつて、洋楽の何割かの曲にはかならず日本語のタイトルがついていました。洋画などもそうですが、邦題というのはより日本人に親しみを持ってもらうためにレコードや映画会社の宣伝部の方が頭をひねって考えた、いわば販売促進のためのものでした。ビートルズの『抱きしめたい』(原題I wanna hold your hands)、エルヴィス プレスリーの「監獄ロック」(原題 Jailhouse rock)、映画ではオーソン ウェルズの「市民ケーン」(邦題Citizen Kane)、アルフレッド ヒッチコックの「めまい」(原題Vertigo)など、まあ、古くはほぼそのまんま邦訳したタイトルが主流でした。が、やはり時代が経ってくればそれなりに宣伝部の方々のネタも枯渇してまいります。七十年代、八十年代になると、もはやヤケになってつけているようなタイトルが目白押しになってまいります。今回はレコード会社の方々が追いつめられて半ば半狂乱になったものや、酒を飲みながらほとんどやっつけ仕事のようにして出来上がった珠玉の名作放題を分類しながら取り上げてみたいと思います。

① 原題の面影が残るもの
これは、どちらかというと良心的です。たぶん、宣伝部の方もそれほどヤケになってはおらず、まだどこか心に余裕があるうちに制作され、企画会議を通ったものではないかと推測できます。
ロッド スチュワートの「アイム セクシー」(原題Da ya think I'm sexy)スティービー ワンダーの「サンシャイン」(原題You are sunshine of my life)など、それなりに長い原題の英語をカットして作ったサービス精神旺盛な作品すらあります。ですが、正直ちっとも面白くありません。あの、邦題ならではのえげつなさ、情けなさは著しく欠けています。やはり、インテリというのはあまり余裕をもって仕事をしてはいけませんね。切羽詰まって知性も社会的地位も何もかも捨て去ったインテリというのは想像を超えるとんでもないものを時として創造するものです。

② 原題を無視してほとんどイメージでできたもの
ここからかなりヤケ指数が高くなります。何度企画会議に出しても通らず、日々の酒量も増え、奥さんから帰りが遅いだのなんだのといちゃもんをつけられ始め、「あーっ、面倒くせぇ! もうテンプレ通りでいいや」と「愛の云々」とか「恋の云々」という判で押したようなものを書き上げ、おそるおそる次の日に企画会議にかけたところ、たまたま上司の機嫌が良く「え、ああ、いいんじゃない、これで」みたいな形で出来上がったことが想像できます。たとえば映画もヒットしたジョー コッカーの「愛と青春の旅立ち」(原題Up Where we belong)、ヒューマンリーグの「愛の残り火」(原題Don't you want me)などがそうです。スティービー ワンダーの「心の愛」(原題I just call to say I love you)などは、凄まじいやっつけ仕事ぶりだなと思わず感心してしまいました。「心の愛」って、何だよそれ?

③ 想像力がすべてを凌駕したイカレた作品群
さあ、これはもう、邦題の真骨頂といえます。これら、間違いなく閉め切りに間に合ってませんね。何度も締め切りを破り、もはや上司は怒る気力が失せはじめ、妻は区役所から緑色の紙をもってきて判子を捺せと迫って来て、グレた倅が家で暴れ、酒も浴びるように飲み始めたころできあがった作品であることが想像できます。ワム! の「ウキウキ ウェイクミーアップ」(原題Wake me up before you go go)、カルチャークラブの「君は完璧さ」(原題Do you really want to hurt me)、ビリー ジョエルの「ガラスのニューヨーク」(原題You may be right)などは、もはや原曲の面影どころかほとんど念頭にすらありません。想像力がすべてを凌駕した瞬間です。これらを制作した人が今でもご存命なこと心から望みます。

その他にも、バンドのイメージを先行して作られたキッス一連の頭に「地獄の」とついた作品群や、ミュージシャンの名前を勝手に邦題につけちゃった、デビー ギブソンの「恋するデビー」などのぐずぐずした素敵な作品も数多ありますが、それはまた次の機会に。

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