ダンディズム

先日、作家の原寮さんが亡くなりました。今では本当に少なくなった一人称の探偵小説、すなわちレイモンド チャンドラーに代表されるハードボイルドの、本邦における第一人者でした。原さんは1988年に『そして夜は蘇る』でデビューして以来、長編小説は5作しか遺していません。35年間で5作。本当に寡作な方でしたが、どれも素晴らしい作品でした。ファンとしては、正直まだまだ読みたかったです。

ハードボイルドとは、やせ我慢の物語です。一人称で語られる主人公はどんな時も自分の美意識や規範に則って行動し、それを曲げることを良しとしません。今の価値観では単なる独りよがりに映るかもしれませんが、ダンディズムとは本来そういうことです。周りから見たら滑稽ですらあるこだわりを持ち続ける。難しいことです。場合によっては、単なる面倒臭い人になってしまいかねません。実際、そういう人はよくいますが、まあ、確かにちょっと面倒臭かったりします。

では、なぜハードボイルドの主人公はこだわりや美意識を持ちながら面倒臭くないのか? そんなややこしいものを持ちながらも、読んでいるこちらが格好いいと思えるのか? それは彼らが総じて軽妙な軽口や冗談を語り、時には黙して行動だけで自分を示し、面倒臭いものはすべて語らず、腹の底にしまっているからです。ひたすらやせ我慢をしているからです。ダンディズムの本質とは、そんな自意識のことだと思います。

音楽酒場モトロクには『ダンディ』の愛称を持つ方がいらっしゃいます。そのマイルドで柔らかな美声の弾き語りでそう呼ばれ始めたのですが、実際、この御仁はダンディズムに貫かれた方だと僕は思ってます。自分のキーにしっかりと合わせた選曲。歌を決して壊さないギター。飲んでいる時の周りに対する配慮。声高に自分を語らない佇まい。すべて、何かしらの矜持の上に成り立っている気がするのです。なにより、その方が必ず一曲目にやるのが、河島英五さんの『時代おくれ』です。作詞の阿久悠さんが、たぶん宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を下敷きにしたのだと思うのですが、ひたすら男の矜持について、時代おくれの男がこうありたい自分について語る歌なのです。それを、どんな時も一曲目に持ってくるのです。

そんな、ダンディ=石川さんも来月から北海道に単身赴任になってしまいます。寂しい限りです。北の大地でも、あの声で、あの静かなこだわりと柔らかな物腰で、たくさん飲み仲間を作って楽しく過ごしていただきたいと思っております。もはや絶滅の危機に瀕しているハードボイルドの魂は、そんな一人のサラリーマンの中にしっかりと生きています。僕もぜひその魂を受け継ぎたいと願っているのですが、ベラベラベラベラ喋りすぎるのでやめておきます。

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