50年。長いか短いか

僕が子供だった1970年代はまだ、自宅に風呂がない家がたくさんありました。近隣にある銭湯はある種の社交場で、常に不特定多数の人が出入りして、文字通り裸の付き合いをしていました。当時は僕の家も風呂がなく、近所の銭湯に日参していました。『この顔に、ピンときたら110番』。風呂上がりに脱衣場でコーヒー牛乳を飲みながら、そんなコピーが書いてあるポスターをよく眺めていました。そこにはなんだか怖そうなおじさんたちの顔写真が並んでいましたが、その中に1人だけ朗らかな笑顔の長髪青年がいました。明らかに他の指名手配の人たちと違っていて、こんな優しそうな顔のお兄さんが、いったいどんな悪いことをしたんだろうと、『爆弾』などの文字がまだ読めない僕はよく考えていました。


先日、あの優しそうな顔の長髪青年を名乗る男が亡くなりました。男の名は桐島聡。極左テロ組織に所属していた男でした。享年70歳。20歳そこそこで指名手配され、それから50年近くの間、ずっと潜伏生活をしていた計算になります。あの頃コーヒー牛乳を飲んで指名手配のポスターを見上げていた子供はすでに五十を過ぎて、今や飲食店を経営して糊口を凌いでいます。長いといえば長い年月です。だんだんと浮き彫りになっていく彼の潜伏生活を眺めていると、なんだか不思議な気持ちが去来してきます。僕が学校を卒業して渡英して、帰国して、アルコールの病院に3回入院して、今に至るまでの間、彼はひたすら警察の目から逃れて暮らし、健康保険も何もないまま人生を終えました。楽しいことも辛いことも、すべて潜伏下という条件付きで体験しているのです。それがどんなものなのか、僕には想像しようもありません。


酒と音楽が好きだったと、報道で彼の同僚や知人が語っていました。うちのような生演奏の店に通っては、アップテンポの曲では踊ったり掛け声をかけたり、静かな曲ではグラスを傾けてじっと聴き入る。なかなかのいいお客さんぶりですが、酒が入りすぎると他のお客さんに絡んだりして、そこそこクセが強かったようです。彼の耳に音楽はどう聴こえていたんだろう?  彼が好きだったらしいジェームス ブラウンやブルースは、きっと僕が聴いているのとは違うはずです。音楽、とくにポピュラー音楽というのは、その人それぞれの過ごしてきた人生や経験が影響するものです。官憲の目から姿を隠して生き、身分証も持たずに偽名で暮らし、誰にも深入りせずに暮らす。そんな男の聴いた音。それがいったいどんなものだったのか? 今や知る由もありません。人生は主観では短く客観では長いものです。

今月、音楽酒場モトロクは1周年をむかえます。主観的に短い1年でした。文字通りあっという間の印象です。音楽や酒は、人に対して等価であると思っています。店内で何かしら面倒ごとにならなければ、どんな人にも等しく楽しんで帰ってもらえるようにしようと考えています。それはお役人も潜伏している指名手配犯も同じです。楽しいことに柵を立てるような野暮なことをする気はありません。どなた様も安心して楽しみに来てください。まあ、どう考えてもあと50年はできませんが。

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