おもしろいのか?

おはようワンツー、

さて、私の看護師生活が終わったところまで話したっけ?忘れました。

転職のためにバイトをした、というところまでお話ししました。

で、私は結果的に転職先を蹴って振り出しにもどる、というお話です。今回は。笑

今回は特に濃いエピソードはありません。



〇念願の退職 おせわになりました

看護師3年目の終わりごろくらいに退職届を出した。退職日は次の年だ。

一年前から退職の予約って変な話よね。

その頃は退職希望者が続出で、それに参った師長が全員をハッキリと止めていた。笑

病棟の雰囲気は良い。

負担の多さと給料の低さが原因だろう。
3~5年目の看護師がこぞって退職希望を出していた。
(三交代制フルで働いて20万くらい。)

顔面偏差値が高い病棟。
みんな美容整形外科に転職すると言っていた。すごいな。

そんな私は有休について、師長と何回かバトル連発。
なんでか看護師は退職する際の有休がとれない。

私は『〇〇だからできない』とか、変なルールがとにかく嫌い。

最終的にはムカつきすぎて体調不良で休んで有休休暇に充てたりしていた。

泣き寝入りなんて絶対しないよ!!



〇来年どうしようかな? 消えてみるか

転職先は決まってたけど、なんだか海外が気になってしまって内定を蹴ってしまったカト。

まったく、全然興味なかった海外。

誰かが旅行に行っても、海外って殺されたりするんじゃないの?と心配していたくらいだ。ご飯も日本のほうがおいしいし、ネットで観光地の写真見れるじゃん。

夢がない考えだ。


ちょっともう日が経っちゃって、この時の感情がぼやけている。

私はおそらく人生に満足しきっちゃったのだと思う。

念願の看護師になれた。一人暮らしも経験できたし、賃貸借りる時だって『看護師さん?それなら早く手配しますね』と言われるくらい、不動産屋さんの態度も違った。

事務員の時と全く違う態度、それだけ社会的地位が高いのか。

ていうか、私の夢ってなんだっけ?自立?自立できたよ?そしたら次は?

ほしいものは?たべたいものは?やりたいものは?


そのあとが全くなかった。欲がない。


通常なら、看護師として役職をもらう、大好きな恋人と結婚する。とかだと思う。

看護師の役職、めちゃくちゃ興味がなかった。
認定看護師、勉強は好きだ。だけどしがらみがすごすぎる。
師長、意味が分からない看護師や医師の相手はしたくない。
(本当に話が通じない医療従事者って多いからね)

あれだけ総合病院に憧れて入職したのに、最終的にはすごくちっぽけな世界に感じたのだ。少し悲しい。

大好きな恋人?
…いなかった。


私の夢はぜんぶ叶っちゃったのだ。夢を小さくしすぎたのかもしれない。

人生に満足してしまったのだ。

もう、惰性で生きるだけよ。と耳元で聞こえてくるような感じ。

恐ろしいと思った。まだ30歳で、おじいちゃんみたいな感覚だ!
次は、死。

90歳のおじいちゃんの感覚だ!(失礼か)

そのときの私の唯一の幸せは、『一人で飲んで、美味しいものを食べながら寝る』だ。

それはそれで幸せだけど、それを何十年も続けるのか?

なんか絶望感が襲ってきた。


誰もいない、何もわからない土地に行こう!と、とっさに思った。

世間の暗さだったりが、自分の心にもやってきたのかもしれない!

逃げるというより、今まで背負ってきたものを降ろしてとりあえず本当のゼロに戻したい!


初めての感覚だ。
せっかく積み上げてきたものをまた降ろしたいなんて。

仕事には全然いける。だけど終わればグダグダドロドロになって寝転ぶ。1日終わり。

こっわ!!!これが何十年も続くわけ!?
頭のなかでは動きたい!!だけど家に帰ると動けなくなるのだ。
お酒を飲んでいない日でもそうなる!!

早すぎる燃え尽き症候群だ!

とにかく今の生活を全部捨てよう!変えよう!これは満足による怠慢だ!知らんけど!


「海外に行ってみよう!!!」
「日本じゃどこでも同じ感覚になる!」



本当にそれだけの理由。



本当に海外に無知な私は、また先生に連絡をとるのであった。



〇目的がないのに行くの? 羊の国へ

久々に会う先生。
看護師になってから2度目、期間でいうと3年ぶりだろう。

私はカフェで彼女に食事をごちそうした。

先生はお金を出してくれるなんて立派になったねと感動していた。

『で?なんで海外に行きたいの?』

特に理由はない。生死を精神的に感じているなんてこの人に言っても相手にされないだろう。

『目標がないのに行くのはおすすめしないけど』

『ただ、世界に目を向けられるようになったことはすごいこと』

最初は疑心暗鬼に聞いてきたけど、意外にもあっさり理解してくれた。

そのあとはワーホリだったり、いろんな国のことだったりを教えてもらった。

『先生は、娘さんに行かせるならどこですか?』

『オセアニアの羊国』

先生は即答。
私は即決。

理由は比較的安全、移民が多い、差別が少なめ。

まったく喋れないアジアの女が行ってもまぁ殺されはしないでしょう。ということだった。

さらに、先生の娘さんが中学の時に留学していたそうで、そこでお世話になったホームステイ先に連絡をとってくれたのだ。


そこもスムーズに了承。

あっという間に決まってしまった。

『あなた英語本当にできないんだから、せめて英検取れるだけとってから行きましょう』
『家庭教師は私の娘にして。いいお小遣い稼ぎ、WIN WINです。』


羊国に行くまでの数か月間、週3回ペースで娘さんと勉強することになった。

本当にイチからなので英検3級から。

中学卒業レベル。できねーーーーーーーわかんねーーーー普通に!

試験会場には幼稚園生っぽい子から中学生くらい。

みんな、こんな年齢から一生懸命勉強してるんだな…

そんなこんなで英検3級は合格。

英語の勉強も同じだ。

やらなきゃいけないのに仕事から帰ると動けなくなり進まず。
これ、何か精神的にやられてるのかな?と本気で心配になった。

一応メンタルクリニックに行った。

『燃え尽きみたいなものかもねぇ。』
『もう辞めるなら気にしなくていいじゃない、少し休んだらまた変わるよ』

赤い豆粒みたいな薬をもらった。

プラセボでもいいから効いてくれよ。効いてねえよ!ぶん投げた。

看護師をやめる半年間くらいは『やる気がない』、という点でメンタルが死んでいた。


みんなが気づくレベルならいいけど、自分しか分からないレベルだから本当に厄介だった。

〇笑顔で退職 死にませんよ

同期だけが海外に行くことを知っていた。


『居なくなったら寂しいと思うひとはいるからね』と、急にノムから言われたことがあった。


海外という意味じゃない、死んだら、という意味だ。


ふと居なくなってしまいそうだという意味だろう。


ほかにも数人からこそっと言われたりした。


あの・・・・死にません。笑
なにかもし事故で死ぬなら満身創痍、人生大往生あっぱれで逝くけど、あの・・・自分で死は選びません。笑



私は1月末に総合病院を退職した。


あっさりと。誰一人泣かず。(泣けよ!)

と、いうのも私はやめる1日前にブリーチで初めての脱色を試みた。

ド金髪になった。

さすがにやりすぎてしまって、焦って。

朝早く来て夜勤の後輩に『頼むすまん』と、1日黒染めスプレーを渡した。

患者のシャワー室でスプレーをしてもらった。同期と後輩に。

その日やめる人間が黒スプレーをしてもらって、まだらな髪の毛で仕事をして、花束をもら…

花束さえもらってないのだ!
柿ピーとお酒をもらった。

なんだよ!!!

おかしな話だ。そりゃ誰も泣かないわ。
ただ同期も後輩もみんな来てくれた。ありがとうね。


「もうカトさん、いい加減にしてー。」


みんなの口癖。



◯まさかの病気発覚 阿部総理とおそろい

また少し話が遡るのだが。

辞める半年くらい前からお腹がキリキリする日があった。

面倒臭い人と夜勤する時は特に頻度が多い。

なんだか痛い。

私は子どもの頃、何度もガスだまりで病院に行っていた。

またガス溜まってんのかな?とか軽い気持ちだった。

そしていつからか肛門から出血するようになった。

私は元々地主(痔の持ち主)なので、それもあんまり気にしてなかった。

痔が悪化したかな?と思って肛門外科に行ってみたら過敏性腸症候群と言われた。ガスだまりと便秘はそれが原因だろう、と。

本当にそうなのかなぁと思ったけど、とりあえず緩下剤をもらってその日は後にした。

そして冬ごろ、やっぱりだんだんとおかしくなっている。

便の回数が異様に多い。漏れそうな感覚。やばいと思ったら5分以内には行かないとオナラと共に漏れてしまう。

これ、痔じゃないだろ。

過敏性腸症候群の下痢型に移行?

いやでも便というよりピンク色の粘液で、出血に近い。

このまま海外行けば飛行機でうんこ漏らすわ。と考えていた。ちょっとはっきりさせたいからと大腸内視鏡検査を申し込んだ。



結果

潰瘍性大腸炎 中等度

難病ですね〜。と、先生

なんやっけ?これ勉強したな?てか難病?わたしが?

えっ来月海外のチケットもうとってるんですけど…

やめといた方がいいんじゃないかなぁ。ひどくなったら大変だよ?


いろんなやりとりがあったあと、難病のお薬(飲み薬と注入薬)を2週間分もらった。

その期間に症状治らなかったら行くのやめるか延期にしましょう、と。

参った。

やばいなぁという思いとは裏腹に、薬を内服し始めて2日で症状が治った。

すごいな、薬。

ただ、色々調べたら、薬をやめた途端に爆発するように大・大再発するらしい。

しかもこの難病、ストレスだとか食生活だとか、原因はいまだにわかっていない。

毎日の過剰な飲酒
夜勤で体内時計狂ってる
夜勤明けのインスタント食品
激辛の刺激物の摂取
嫌いなスタッフとの夜勤
飲み過ぎたら吐く
ダブルワークの長時間労働

思い当たる節はありすぎてどれか分からぬ。

とにかく辞めたら夜勤なくなるし、仕事も1ヶ月ニートだったので一か八の様子見!

◯身辺整理 ミニマリスト、カタ


渡航は3月。日本にいる期間はあと1か月だ。

うんちの薬を使いながら、私は身辺整理を進めた。

一人暮らしのマンションにはベッドやらテレビやら置いていた。

過去は患者だった友達、ババッチに手伝ってもらい1Kの部屋は塵ひとつなく片付いた。

実家にもっていったものは、オーダーメイドのスーツと私の奨学金明細が入ったファイルと、おじいちゃんの形見。両手で余裕で持てるくらいの荷物のみ。


なんとなく日本には戻らない気がして。

ほとんどのものを捨てた。

引くほど捨てた。

元々ミニマリスト気質だが、片付けはやっぱり大変だ。

羊国に向けて、大きくて高価なブランド物のキャリーケースを買った。投げられても壊れないやつ。

服とジャンパー、靴。猫耳帽子。ノートパソコンとスマホ。
母親がくれたふわふわのチョッキ。猫のフィギュア3体。


それだけあれば十分だろう。
あと死んだときに私が誰かわかるように戸籍謄本。(なんで?)
なんとなく家族全員が記されているものを持っていきたかった。


この頃には完全に難病の症状はほぼ全快していた。

いよいよ飛行機に乗る日。

母親に近くの駅まで送ってもらった。

私は猫のフィギュアを忘れてしまった。

母親は戻ってくれたのだが、猫たちは見つからなかった。

そして2月28日、日本にさよならしたのだ!


あとで小さなバッグから猫3匹は見つかった。


〇無計画はやめよう 羊の国

私はあまり遠出の旅行をしたことがなく、飛行機は1回しか乗ったことがない。

だけど何となく、どうにかなるよな。と思っていた。

そして案の定、空港を間違えた。

さらに時間もギリギリだった、私が最後の一人。

本当に肝が冷えた。もう無計画はやめよう。


福岡空港→仁川→羊国



なげぇ!!!
多分韓国から羊国の間に4時間くらい待ち時間があった。

英語も韓国語も素晴らしく読めない!!
怖い!ここで間違えたら詰む!!!!


じっと身を潜め、ようやく4時間後に羊国の飛行機に乗ることができた!


飛行機の中では眠れないとかよく聞くが、この時点で私は爆睡だった。
あっという間に羊国へ着いたのだ。



羊の国の空港。


みんなが言ってること、まったくわからぬ

顔が、彫りが、深い。
小さな人から大きな人まで。
人種もいろいろ。
私はつくづく平らな顔族だと実感。

犬がうろちょろしてる。

日本の3月は寒い。こっちは季節が逆になる。

暑すぎる。

ユニクロのヒートテック着てガウン!!!アツいアホか!!!


そしてやっと空港から出た!!!



が、どうしたらええんや!!!わからぬ!!!!!

先生は『ホームステイ先はアホほど遠いし英語がわからんで事故するくらいならタクシーで行け』と、言っていた。それは予約していた。


いや…どうやって探すの!?



この時点で結構パニックになっていた。タクシー乗り場に行けば乗れると思っていたが、そうではなさそうだった。



メールには『ボードを持って立っています』、と。


…どこにだよ!!!!!
私の小峠が飛び出してくる。

そうして外をうろちょろ、泣きそうな顔したアジア。

のどが渇いて買ったお水は炭酸水で、ブンブン振ったから開けた瞬間に半分なくなった。

ええええええ。と、ドン引くアジア本人。

うろちょろした挙句、半分飲み水を無くすアホな私をずっと見ていたナイスガイ。

君どうしたの?迷子か?

Yesだよ。Yes!!! メールの内容をナイスガイに見せた。

これ、どこで待ってるか分らんわ。的な顔をされた。

いや、そうだよね!?

その人も一緒に探してくれて、どうにか見つかった。

白人のおじいさん。

私はよくわからない白人のおじいさんと2時間車の時間を共にするのだった。


私は本当に簡単な言葉しかわからないので、自己紹介くらいしかしていないが緊張していたからか2時間あっという間だった。

道中は牛だらけ、羊じゃないんかい。

丘だらけ、丘の上に羊が見える。

緑だ、空が青い。草や森のにおいがする。

なんだか心が洗われた。

と、思っていたらすごい田舎に入った。くねくねした道を行って、広いところに出たかと思えば、でっかくて低い平屋が並んでいる。

・・・村かな?

ここだよ。と、おじいさん。

ここかーーーーい。なんもない!え!?なにもないよ!

とっても大きい家だ!でかい!奥のほうで金髪の女の人が庭作業している。

あの人だーーー!私のホストマザー!!!!!!
私は白人を初めて間近で見た。顔が全然違う。慣れない変な感じ。

目が青くて、白くて、金髪で三つ編みで、長靴履いてトラクターに乗って雑草を刈っている。その後ろを家族が飼っているアヒルが走って追いかけている。

周辺にはお花畑や、野菜畑がある。

ハイジみたいな。

頭の中で歌が聞こえる。

海外だ。これは海外だ。

『はじめまして、カタです。』


そのあとはおじいちゃんがホストマザーに『英語ゆっくり話してあげてね』って言っていた。ありがとう、おじいさん。



More Cow おじいさんが言った言葉が忘れない。

牛多かったな。

こうして私の海外生活がゆっくりとはじまった。



びっくりするくらいオチがないおもしろくないお話だ。掘り下げればたくさんありそうだけど。この頃非常に病んでいましたね。クォーターオブクライシス、というらしいです。30歳になって人生の焦燥感に駆られる的な。人生に迷いがでるというよりかは、やりきってやる気がなくなったような感じでした。なんであそこまで体が動けなくなったのかはわかりません。飽きっぽいのは性格上あるけどね。病気は驚くほどおさまった。薬に効果をあれだけ感じたのは生まれて初めてかもしれない。あともう1エピソードで終わって、今後は適当につぶやくnoteにしたいです。


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