【素の自分へ】 臭いものにはフタをしてはいけない理由
結論を先にいっておくと「取り繕わずに、ありのままさらけ出して人と接しようよ」ということです。
あなたは知らず知らずのうちに自分を美化しようとしている、なんてことありませんか?
「できない自分を知られたくない」
「要領よく思われたい」
「誰からも好かれる存在でありたい」
etc…
この完璧主義的な考え方や、八方美人な姿勢、今は良くてもじわじわと人生に影を落としていきます。
なぜかというと、この考え方が続くと「心許せる親友」や「心休まる時間・場所」が得にくくなってしまうからです。
まず、心許せる親友が得られないについて。
HSPで繊細なあなたは、相手の取り繕った言動からも「ん?この人なんか違うな…」と気づくこともあるでしょうが、世間一般の鈍感さんは違います。気づけませんし、あなたの取り繕った一面をあなたの「すべて」と思い接してきます。それでは心を通わせる間柄にはなれませんよね。
心休まる場所や時間が減るのも同じです。あなたが取り繕った関係性を広げると、並行して素を出せる場所はどんどん減ります。仮面をかぶり鎧を装着したあなたの行動範囲が広がるだけ。それを脱ぐ機会は日ごとに減っていきます。苦しくなる一方なんです。
ぼくは、取り繕う生き方は「臭いものにはフタをする」と同じだなと感じます。自分の臭い部分(本来の自分)を封印して、周囲の人が好むような香りを外付け(取り繕う)するんです。
それ続けるの、あまりにしんどくないですか?虚しくないですか?
ぼくはキツイと思いました。
だからこそ、対人関係において臭いものには蓋をしないで欲しいんです。
自分の臭い部分を出すことを恐れないで欲しい。
その臭いが好きな人が30人中、1人は絶対います。
ガソリンのにおいが好きな人いますよね?でも多くの人は「クサイよ」といいます。でもガソリンの臭いが好きな人からしたら、ガソリンスタンドなんてご褒美です。
それと同じ。
あなたのガソリンのような、癖になる臭いをだし続けていると、確実にその臭いを「いいねぇ」と思ってくれる人は現れます。
素の自分を理解し受け止め、愛してくれる人が現れます。
その人がいればそれだけで幸せじゃないですか?
少なくとも僕は幸せだ、と思います。
あなたがこの記事を見てどう感じたか、上辺と感じたか、刺さったか。今後どう生きていきたいと思ったかなど、コメントで書いて貰えると嬉しいですし、ぼくも勉強になります。
ふと、ぼく自身も思うことがあって書いたこの記事、必要な人が必要なタイミングで見てくれますように。
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