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資本主義と民主主義の限界からみる文化的価値の真価〜「価値ある生き方」=「エモい」〜


こんにちはブライアンa.k.a Bです。

今回は、
▷自分の「エモい」を理解している人だけが「価値ある生き方」を実感できる。
▷そして「エモい」は合理性の循環で語られる"経済的価値"とは対極の"文化的価値"に近接する概念である。

という話を、資本主義と民主主義の限界から俯瞰して、順にお話していきたいと思います。



Ⅰ.「生きる価値」を見失った世の中の"閉鎖感"の正体

ではまず、
皆さんにとって「価値のある生き方」とは何でしょうか。
"コレ"のために時間を費やし、心を燃やしているぞ!というものを思い浮かべてみてください。


その"前提"にお金や社会的地位はありましたか?

残念ながら、それらは資本主義という"社会の構造"を通して決定されたもので、本質的な個性や意志なるものからくる「主体性」とは程遠い決定だと思います。


皆さんは人類学者デビッド・グレーバー著の『Bullshit Jobs』というベストセラーを読んだことがあるでしょうか?
ざっくり言うと、ホワイトカラーの仕事は"クソ仕事"だと語られている本なのですが(笑)

皆さんも、毎日の仕事に意義を感じられない(AIや機械学習で良くない?的な)瞬間が山ほどあると思います。


そもそも社会学者のマックス・ヴェーバーは、
「近代化とは、"合理化(計算可能化)"によって、経済を発展させる複雑な社会を営めるようになることだが、それによって計算可能性の中だけで振る舞う"クズ"が増える。」

という閉鎖的で"没主体"な状況を「鉄の檻」と比喩し、19世期の時点ですでに懸念しています。

実際に、計算可能性と社会機構としての官僚制が条件プログラムになったことで、"クズ"な政治家による"奴隷社会"が生まれていますよね。


この"利得への依存状況"は、ニーチェやハイデガーの批判する
「神様が見ているから(良いことがあるから)何かする」
のような、
「知性・理性>意志」の"没主体"な主知主義
に似ているので、

これを、
「意志によって衝動的に何かしてしまう」      のような、
「意志>知性・理性」の"主体的"な主意主義
を是とするライト的なスタンスから批判し、閉鎖感からの解放を提唱していきたいと思います。


皆さんは、
Ⅰ.「合理化して社会がちゃんとすれば」幸せになるという条件プログラムのレフト的スタンス
Ⅱ.「合理化して社会がちゃんとしても」幸せになるとは限らないどころか、社会に依存しては幸せになれない(≒人はクズになる)というライト的スタンス
どちらを是としますかね…??

(ちなみに僕はここまで意図的に"主体性"をキーワードにし、"没主体"="クズ"として語っています。)



Ⅱ.資本主義と民主主義の限界

ここまでを簡潔に言うと、
「個人単位で社会の中の"合理化"を担うって没主体的でしょうもなくね?」
って話なんですけど、それをより深く解説します。


まず、そもそも人類がなぜ"システム(合理化)"を作り依存してきたのか、
それは「不安」だからです。
「自立するのが不安」「出世しないと不安」「生涯の孤独という不安」
これらは、実家、役職、結婚、というシステムへの依存によって解消されます。

では、そのシステムの前提にある「資本主義」とは何でしょうか。
それは「GDPがものを言う世界」です。

ではGDPは何をすれば上がるのでしょうか…?

それは「破壊」です。
GDPが上がる最も簡単な手段は言わずもがな「戦争や災害」です。
それらを推奨できないために生まれたのが「消費」というスローな「破壊」の創造=ニーズの創出という「マーケティング」の体系です。             僕たちは便利さという「破壊」を繰り返していますよね。

つまり、今の社会の正義は、"インモラルな概念"とかなり近接しているのです。


ここでやっと浮かび上がってくるのが、「破壊」と対極にある「保存」によって価値を創出する「文化」です。
これは間違いなくAIや機械学習では補完できない人間の「人格」に寄り添った人間たる価値、豊かさというような「物語」あるものだと思います…。
(詳しい話は後ほど)


ちなみに、
現代のシステムを回す「知能」の構造を説明し、批判しておくと、
・演繹的 deductive な知能=「人工知能」
→AIに置換可能。
・帰納的 inductive な知能=「自然知能」
→ビッグデータと機械学習に置換可能。
となります。

当然、置換可能な「人工知能」と「自然知能」しか持たない存在は、置き換えた方が良く、その理由は人々が"合理性"を志向する限り"最大のノイズは人間"だからです。

システムの完成が人間を消去した時だというのも皮肉ですね。


ここまでの説明も受けても尚、
「システムが完成する前にどうせ寿命が来るのだから、いまのシステムの中で頑張ろう」
「それでもサラリーマンの父親の背中はかっこいいからこのまま頑張ろう」
という方、サチモス的に言うならもうGood night ですね。

これからも間接的なインモラルの中で、知らず知らずのうちに、「破壊」と「仮初の豊かさ」をトレードオフし続けてください。



Ⅲ.「文化」から「エモい」物語をつくり、「夢」を持とう。

ここまで、
経済的価値=破壊⇔文化的価値=保存
という構図の中から、モラリティの高い「文化的価値」を人生の中心に置こうという話をしてきましたが…
実際、難しいです。笑

しかし、今回のコロナ禍を機に、"オルタナティブな生活"の中で、「豊かさ」の活路を見出した方も少なくないのではないでしょうか?

ここで起きたオルタナティブの強制で、
最も注視すべきは、資本主義における「学習」は遠隔でシェアできると実感できた点だと思います。

そもそも昔は、
「世界基準の教育」という「限られた資源」を国力を上げるためにいかに効率良く使えるか、という観点から「偏差値」という評価基準を設けて、「ポテンシャル」順に教育機関を発達させました。

しかし、
今は「学習」がシェアできます。
つまり「評価基準」はどのような「学習」を"選び"、"何に活用するか"という「主体性」や「クリエイティビティ」にフォーカスすべきで、「ポテンシャル」の捉え方が昔とは違うはずです。

日本は「教育」の発想自体が遅れているので、このコロナ禍が転換点になることを願うばかりなのですが。

表題に戻ると、
「豊かさ」の活路は、"学習の選択と活用"による「クリエイティビティ」の中にあり、それが次の「文化」を作ります。

その「クリエイティビティ」を養うために、
まずは身の回りにある「文化」を消費&体感して、「エモい(心が動く)」という実感を意識的に得ることが大切だと思います。
そこで未知のクリエイティブに出会えば出会うほど「エモい」という幸せな脳内物質を実感できるはずです。


ここまでまとめると、
「生きる価値」=「豊かさ」=「エモいの感度」です。


ここまできて初めて、
"経済と文化の折り合い"を考えることになります。

例えば、
年収が約400万円あって、
a.余暇の時間を全て「仕事」の脳で支配すれば年収が100万円増える。
b.余暇の時間を全て「エモい」という幸せな脳内物質を生み出す時間に使う。

どちらがより"豊か"でしょうか…?


「エモい」が実感できない人はSEXだと思ってください。
(僕は日本で「資本主義」と「恋愛至上主義」がどうしても同じベクトルで日常を占領してしまうのは、日本がヨーロッパに比べて「アート」に使う金額が1/7以下だからだと思っています。)

本来「エモい」という幸せな脳内物質は、
小説や映画、音楽、ファッション…その他あらゆるものから生み出すことができます。
(そもそも幸せな脳内物質とは"三大幸せホルモンの良いバランス感"を前提に話しています。)

もしAIが世の中の大部分を担い、何もしなくても収入が安定する世界が訪れたとしたら、aの前者はこれまで仕事に投資していた時間と脳みそを何に使うのでしょうか…?

そんな不毛な問いに答えを出すべく、        僕が思う「文化的価値の体現者」を1人例に挙げて参考にしたいと思います。
1サンプルでも十分過ぎる強者、皆さんご存知のイーロンマスクという人なのですが。笑


あのアイアンマンのモデルになっているリアルアベンジャーズ、何でも作ってしまうリアル錬金術師、火星に住もうとか言い出すリアルテラフォーマーです。    

イーロンマスクの人生を見ていると、「仕事をしている」というよりも、ただ純粋に子供の頃から想像していた"自由"な「夢」の世界を追い求めているように思えてしまうのです。(イーロンレベルになると"重力から自由になろう"という視点もちゃんとあります。笑)


このイーロンマスクの例から結論付けるに、
"経済と文化の折り合い"を付けるには、
「エモい」=「夢(自己実現)」にできるかだと思います。
「経済」は今後「エモい」の活力と規模感によって変動し付いてきます。


そこで初めて重要になるのが、「エモい」という「夢」に挑戦する「機会(運)の創出」です。

それを助ける代表的なサービスが「クラウドファンディング」などであり、文化を応援する「応援経済」という在り方です。これこそまさに"経済と文化の折り合い"の着地点ではないでしょうか。

(最終的には「ベーシックインカム」という社会システムとして実質的に内包されていくはずです。)
どう考えても"豊か"ですよね…。

皆さんは、「応援したい」「共感した」から「お金を出す」ことがありますか?
なければきっと貧しいです。
「エモい」不足ですね…。



Ⅳ.最後に

長くなりましたが、

「生きる価値」=「豊かさ」=「エモいの感度」=「夢」
⇒「価値ある生き方」=「夢を追う」
を理解してもらえたでしょうか。


僕はよく周りの人に、
「価値観が少年ジャンプ」
と言われるのですが、これを当てはめると誇りに思います。笑

そもそもなぜ、少年ジャンプを初め、共通の映画や小説、音楽に人々は熱狂し続けるのでしょうか。


それは、人間に「人格」があり、身体性に基づいた「経験・記憶」があり、その保存の先に必ず「物語」が生まれるからです。
知らず知らずのうちに自分の人生という「物語」をそれらに投影しているのです。
きっとこの「物語」の在り方こそが「文化的価値」なのだと思います。AIにはそれができません。


「運命」という"非合理的"な出会いや経験が人を強くし、幸せを学び、「人格」を形成していく。
僕たちはもはやナルトやルフィなんじゃね?
と思います。笑

皆さんの人生にはそんな「物語」が今ありますかね…?


最後に、
僕は今、ファッションという「文化」の虜になって、そこにアートや音楽、映画が連なっていき、永遠に僕を飽きさせません。

「文化」は必ず派生、シンクロし、人生と繋がっていくので、まずは僕と服を楽しむ「経験」の共有から、一緒に「エモいの感度」を上げませんか…?

より多くの人と「エモい」を共有できる人生が僕にとって「価値のある生き方」であり、
それがWin-Winであると心から信じています!


ということで、
今日も新しい人との出会い、そして「エモい」を探しながら、
物語のあるチルをしてきます…。

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