見出し画像

服を着る意味、僕が作る意味〜僕に顧客様はいない〜

こんにちは。
Bです。

最近僕のディレクションしたブランドがローンチしまして、、
改めて、服を着る意味、僕が作る意味を考えさせられました。

まずは、展示会に足を運んでくれた皆様、
応援してくれる皆様、共に作り上げた皆様、
本当にありがとうございます。

画像1

insta @linoh__official @hsk_ysmt


展示会が無事成功した今、
期待と不安が入り混じったカオスな心を整えながら、風の行先を辿るように、我儘な雲を掴むように、自分の今いる場所を再確認し、可能性を必死に模索していきたいと思います。


今回はエッセイのノリで書くので、
ブランドを立ち上げたことに興味がある人はぜひ僕の心の整理整頓に付き合ってください。


①服を作る意味〜僕のフラストレーション〜

今回ブランドが立ち上がったわけですが、遡れば中学生の頃から僕はブランドを作りたいと言い続けてきました。
今思えば、服でなくても良かったのかもしれませんが、自己表現が苦手な自分が嫌いで、ただただ何かを生み出したかったのだと思います。

それこそHipHopも大好きで、インストにオリジナルのリリックを乗せて部活友達とふざけ合ったりしたことも愛しの黒歴史です。
(処女作『Change the world』はデスノート好き厨二病全開だった僕の放った恐ろしい迷曲。エリッククラプトンもびっくりの尖り中学生です。)

そんな激イタムーブをかましていた僕ですが、
その生い立ちに僕のフラストレーションとクリエイションの根っこが潜んでいるので、ここぞとばかりに少しだけ自分語りさせてください。



僕の小・中学時代は、"いわゆる"なやつでした。
サッカー部、足がクソ早い、勉強できる、マイルドヤンキー、、みたいな自分なりの"完全無欠風"ブランディングを心掛けたといったところでしょう。
つまり、キラキラ厨二の"王道"をやり抜いた自負があります。

しかしその反面、とても人見知りで新しい学年やクラス替えの時に自分から誰かに話しかけた記憶はほぼありません。
王道でいれば全て解決したのです。
本当は小6の頃の好きな教科ランキングに<1位・道徳>を持ってきてしまうナイーブさがずっとありました。

そんなデスノートと心のノートを交互に持ち変えていた僕のアンビバレンツは、喫茶店のカフェラテのように絶妙な二層のバランスを必死に取り合っていたのです。

そして、そのバランスが崩壊した高校時代。
勉強に運動、人付き合い、今までポテンシャル頼りでサボってきた全てのツケが回ってきます。
トップランカーだった成績は進学校で最下位に。足の速さも運動も1番じゃなくなり、プライドだけ残った僕は途中でぼっちを決め込みます。

完全にダークサイド落ちした僕は独自のニヒリズムを胸に突如下北に目覚める大学生かの如く、生まれ故郷のDr.Dreに想いを馳せてはハスりにハスリングしていきます、、

しかしそんな中で、
逡巡とした僕に唯一心の安寧を齎してくれた2人の存在が僕の起点となってくれました。

それは、ずっと一緒にいて趣味をたくさん共有してくれた1人の友達と、同い年ながら明確なビジョンを持つ1人のお洒落なセレクトショップ店員です。
1人は今も好きな人で、1人は若くしてベルリンに立ち自分のブランドを作っています。

その後も僕を変える出会いはたくさんありましたが、
自己喪失真っ只中の時代に新しい美意識とビジョンをくれた2人との出会いは、
「好きなことに没頭することの喜び」を知った最初の大きな出会いです。

これが無ければ、僕は高校時代を真面目ちゃんが通うクソ高校と思い込んだまま、記憶の彼方に封印のエグゾディアし、インセクター羽蛾のように海に投げ捨てていたでしょう…


そこから今に至るまで、そしてこの先も、
僕は尊敬する友達に誇れるようなクオリティじゃないと表現に満足できないですし、
大好きな人に振り向いてもらうために服を作り続けてしまうと思います。


このように僕はフラストレーションを抱え、コンプレックスを自覚し、それがクリエイションの出発点、原動力となっています。

この時から今まで、
「カッコいい」=
「好きなことに没頭し、追求し、突出すること」   という考えは変わりません。

そして、その全てが、
「人との尊い繋がり」に必ず直結します。


そんな紆余曲折があり、
僕の自己表現の核は、唯一平等に全人類が身に纏う「衣服」に帰結し、
好きな服を身に纏うことが、苦手な自己表現を補う形でたくさんの繋がりを生んでくれました。

結果として、
僕を信頼して一緒に服を選んでくれる皆さんも、一緒に働く仲間も、本当の兄弟のように想えますし、
この仕事をしてる今が1番幸せだと言い切れます。


まとめると、

僕が服を作る意味は、
「自己表現の内発的動機付けをし、人との繋がりを広げるため」です。
※noteの命題と共通します。

好きなものを共有し合える繋がりはきっと永遠です。

昔の僕のように、
自己表現が中途半端な人、
何かと卒なくこなせるが、愛せるものがない人、
本物の繋がりを切望している人、
ぜひこのブランドを手に取ってください。


特異な個性や世間とのギャップから生じるジレンマを解き放つ作業も、
好きな世界観や感情を表現したい形に落とし込む実験も、                       もちろんとても大切ですが、

一番は「人とのつながりを実感できる」
そんな尊い体験のために服を作れるのが、
僕が服を作る意味です。

それを実現する仕掛けをブランドにたくさん施していくので、期待していてください。

このブランド自体が、
僕と僕の周りの人をフックアップし、本物の繋がりを広げてくれるプラットフォームになると思います。



②大切にする美意識〜僕に顧客様はいない〜

会社にとって1番大切なものは何か。
言わずもがな、顧客様の存在です。

しかし、僕は「顧客様」という表現を使うことがほぼありません。
なぜなら資本主義臭がして業務的な気がするからです。

言葉の綾かもしれませんが、感覚的に苦手なものとは距離を置きたい性格なので、
いつも来てくれる人のことは、意図的にbroやマイメン、仲良し、友達、と呼ばせてもらいます(笑)

社会不適合で、一見無駄なこだわりに見えますが、僕がこの社会をサバイブする上でとても大切にしている美意識です。

かっこいいものはかっこいい。
ダサいものはダサい。
これを言い切れる潔さを、僕はHipHopから教わりました。

そしてそのためには、
「なんでも言い合える関係性」と「言葉の責任感」が必要なのです。

ここを等閑視していたら、売りやすい物を売りやすい人に売るだけで、自分の感性を磨き続けることを辞めていたと思います。

InstagramやZozotownなど、ファッションを共有し吸収できるプラットフォームは山ほどありますが、
僕はマーケティングに囚われない「人の脳」という絶対的なプラットフォームにしか興味がありません。

だからこそ、「ダイレクト」で「クリア」であることがとにかく大切なのです。

それは、ファッションや音楽、映画、小説、絵画、サイエンス、政治、経済、歴史、などなど…
とにかく多ジャンルにビンビンにアンテナを張り、ダイレクトに感情が動いたものだけを抽象化して表現することもそうですし、

自分本位の理想を押し付けることよりも、店頭でダイレクトに感じた街の空気感やニーズに寄り添い、擦り合わせることもそうです。

その上で、その人にとっての「イケてる」をダイレクトに伝え、表現します。

例えば、古着好きの人がいたなら、
なぜ古着が好きなのか、歴史?クオリティ?文化?値段?コミュニティ?…
仮に億万長者でも本当に古着を買い続けるのか?
そこまで知らないとその人にとっての「イケてる」は提案できません。

人の脳を支配する「なんか好き」の正体を自覚できない人は自分で自分の五感を喜ばせることができません。

美しいものを見て、素敵な音を聴き、癒されるものに触れ、美味しいものを食べ、好きな匂いに寄り添えてさえいれば人は幸せな気がします。

だとしたら、自分の「好き」を深掘りできていない人がいかに不幸で貧しいかとよく考えます。
いつまで日本人は恋愛至上主義に振り回されて"タイミング"で結婚し続けるのでしょうか…

0か100かで選び抜いた自分の美意識に従って、本質的な豊かさを問い続けた先にこそ、人生というストーリーの完成があると思います。

それを意識するきっかけが、全人類が平等に身に纏う「衣服」であったら良いと心から思います。

そのために僕は大きな主義思想に呑まれることなく、「ダイレクト」で「クリア」であり続けるのです。



③服を着る意味〜理想の世界へ〜

ここまで服に対する熱意をお伝えしてきましたが、
そもそもなぜ人は多種多様な服を着るのか、という本質については触れていませんでした。

結論から言うと、「符合する」ためだと思います。

それは、
「理想」と「現実」の符合であり、
「人」と「人」の符合であり、
「過去」と「現在」の符合であり、
「ファンタジー」と「リアル」の符合であり、、

あげれば枚挙にいとまが無いのですが、
とにかく「自分という個体」を「別の何か」に近づけるために、布1枚分噛ませているのだと思います。

美しいドレスは着た人を憧れのステージへと連れて行ってくれるかも知れません。
ユニフォームは着た人たちの団結力をより強くしてくれるかも知れません。
そんな単純明快なことです。

そもそも僕がこのnoteで「総アーティスト時代創造」という夢を掲げるのも、
自己表現の自由度が近づきたい「何か」への距離を縮めてくれると思うからです。

その第一歩が「衣服」であることはきっととても簡単で楽しいことです。

だから僕は「服を着る意味」を常に問い続けて、服好きな皆さんと共に、新しい景色をたくさん見続けたいと願っています。



最後に、
noteでは何度も言いますが、
結局のところ僕は知りたいのです。
人と人とは完全には分かり合えないものだけれど、
知りたいと思えることはとても崇高で、知らないということは時に怖ろしくて不安です。

だから、内面の一番外側が「衣服」なのだとしたら、
「着飾る」ことで少しだけその人を理解できるような気がして安心します。

だから着飾る文化と美意識を何歳になっても忘れないために僕は服を作りたいのです。
そして着飾る人をもっと知り続けたいです。

僕がブランドを作ったのは、
みんなが自由に自己表現できる「総アーティスト時代創造」のための第一歩でしかありません。

これを一本槍で終わらせる気はさらさらなく、
長期的に一つのブランドを育てる感覚というよりも、短期的に新しいコンテンツを次々と生み出し続けるための永久機関を僕の中に生成している感覚です。

このブランドやこれから創るコンテンツが僕たちを符合させ、仕掛けがシンクロニシティを起こす時、    その全員が風の時代のノリ方をちゃんと実感し理解できるはずです。

その瞬間を楽しみに、ぜひ僕の描く輪の中に入っていてくれると嬉しいです♪


では、#LiNoH を一緒に着られる日まで✋

この記事が参加している募集

業界あるある

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?