鈴木寛太

2015年岩手県花巻市大迫町(おおはさままち)に移住。 2021年に独立して現在はぶど…

鈴木寛太

2015年岩手県花巻市大迫町(おおはさままち)に移住。 2021年に独立して現在はぶどう農家

最近の記事

やりたいことを見つけるために必要な思い。後悔はしたくない思い。

4月になった。新入生16名が入学。年間スケジュールを見ながらどうやって関わっていこうか?どんな事を一緒に出来るか?模索していたところだった。 気が付けば、魅力化コーディネーターは4年目へ突入。職員室に自分の机が用意されても不思議じゃないくらいに職場化しているのは県立大迫(おおはさま)高校。 3月に3年生が卒業したけど、その3年生は1年生からずっと一緒に活動してきた。感慨深い学年だった。 新3年生も1年生の時から知ってるから、皆が成長していく姿をこうやって見ることが出来て

    • 卒業の日、二十二の瞳へ

      あっという間の3年間でした。 とても貴重で、尊くて、振り返るとそんな時間だった。11人が卒業した。 ぶどう畑にも来てくれた。何度も何度も学校に行ったし、神楽の練習も見学させてもらったり、神楽の発表会も観させてもらった。様々な事に奮闘していたし、くだらないバカ話をしたり、大学入試の事で学校に缶詰になった日もあった。でも、その全てが楽しかったです。 ボクもこの3年間、学びと発見があった。皆のおかげで成長出来たと思ってる。ありがとね。 そういえば、入学時からコロナがつきまとっ

      • 一夜限りの雪あかりで豚汁250人前を売る男の物語

        2024年2月10日。岩手県西和賀町の年に一度のまつり、雪あかりに参加。去年は友人である、瀬川然のネビラキランドを雪でつくる事に集中し、ボク自身、何かを売ることはしなかった。お客さんが押し寄せ、道路を埋め尽くす光景を見て、「何かやりたい!」という少年のような気持ちに火がついた。去年の思いを綴ったのはこちら↓ 「豚汁をやる!」 というのは、実は去年から決まっていて、絶対大丈夫!という鈴木寛太の悪い癖。裏付けのない自信があった。そんな話を友人の小野裕輝さんに話をしたら、キッチ

        • 「ワインバーちよ」をやってみてこの町に必要なものがみえてきた。

          素敵な2日間でした。「1月にイベントやっても集客なんて見込めないだろう!」と周りが言う暇なく開催した笑。仲間と知恵を出し合い、それを実行したら、それが答えだった。 普段は「スナックちよ」として営業されている店を2日間お借りして、マスターをやらさせていただいた。すると2日間で約70人のお客さんが来店された。 実は去年の5月の日本ワインフェスティバル花巻大迫2023では、ゲリラ的にワインバーちよをやってみた!その時は2日間で100人以上のお客さんが来場してくれた。去年の感動を

        やりたいことを見つけるために必要な思い。後悔はしたくない思い。

          クロネコカンタを1ヶ月やって思ったこと。

          「カンタさん、今年の冬、クロネコでバイトしませんか?」 クロネコドライバーさんから、その話が出たのは2回目で、相当人がいなくて困っているんじゃないかと思った。 2023年の夏は東北食べる通信8月号のぶどう発送で大変お世話になった。約700箱のぶどうを全国へ発送した。 東北食べる通信とは? ぶどうを梱包したあと、クロネコヤマトさんに電話をして、集荷に来てもらうのだが、「今日はかんたはうすではなく、大迫高校に来て下さい!100箱は出ます!!」 「えぇ?100

          クロネコカンタを1ヶ月やって思ったこと。

          東北食べる通信8月号に掲載。ボクがほんとうにぶどう農家になった瞬間。

          まるっと1冊、鈴木寛太。というのは人生初めて。そんな情報誌と共に読者1人ずつぶどうを発送した。その数700箱以上。ボクのぶどうはどうやら日本全国、東北食べる通信の読者に行き渡り、おそらく、岩手県でぶどう栽培してるんだ!という事と共に、鈴木寛太という人間の生き様が多くの人の頭の片隅に記憶されたんじゃないかと思う。 ちなみに、東北食べる通信とは? 今回、東北食べる通信掲載の経緯については、今から遡ること、去年12月頃、冬の岩手県は西和賀町にて。ボクらの拠点、自炊の宿でおなじみ

          東北食べる通信8月号に掲載。ボクがほんとうにぶどう農家になった瞬間。

          なぜ、再びここに来ようと思ったのか?5年前、中学生だった3人の思い出

          5年前、千葉県から3人はやってきた。花巻農協が母体となっているグリーンツーリズム協議会。その組織に入っている農家さんは年に数回、首都圏の中学生等を泊まりや日帰りで農業体験をさせる。その時にたまたま、彼らを受け入れたのがボクだった。ぶどう畑で作業をさせたが、どんな作業をさせたのか、ボクは忘れていた。 「永遠に草刈りしてましたよ!」 言われるまで忘れていた。当時ボクは27歳で、彼らは15歳。12歳の差がある。ワイン用のぶどう畑でずっとカマを持って草刈りをしたらしい。全く覚えて

          なぜ、再びここに来ようと思ったのか?5年前、中学生だった3人の思い出

          移住8周年。今、おもうこと。

          2015年7月25日は東京から岩手に引っ越してきた日。2015年は人生が変わった年だった。たくさんの仲間が手を振ってくれた。 2015年7月25日深夜0時(26日になりました)に、地元の友人が車を出してくれた。引っ越し屋さんに大きな荷物を先に送り、細々とした荷物は友人の車に詰め込んだ。中学3年の最後に購入したギターも一緒に(このギターが後の祝い事には欠かせないギターとなる)。 友人の車の後部座席に座り、どんどん遠くなる実家の外には母と珍しく兄貴がいた。父は家の中にいたと思

          移住8周年。今、おもうこと。

          【2日間限定でオープンする「WINEBARChiyo」をやってみて】

          日本ワインフェスティバル花巻大迫2023の2日間、おおはさまの中心街にある「スナックちよ」というお店で、2日間限定の「WINEBARChiyo」という名前で開店。2日間の限定店長?やらせていただきました。 日本ワインフェスティバルについてはこちらを参考に。 きっかけは友人の一言。「スナックちよで、ワインフェスの日、ワインバーとしてやらない?」 「スナックちよ」とは? この町にはワインを楽しめる飲食店がなくて、移住当初から、ワイン専門店的な飲み屋あればいいのになー。と、

          【2日間限定でオープンする「WINEBARChiyo」をやってみて】

          岩手花巻おおはさま。移住8周年に何思う(新社会人・新入生・自分へ勝手なエールを含む)

          2015年でしたね、この町にやってきたのは。 来たのは、その年の7月。 ここまで長くいるとは思わなくて、先なんてわからない、将来どうなるかもわからない。明日の事もわからない状態が続いた。ただ、生きてることの実感はあった。 それは今でも…。 おおはさまに来てから、農家と対話し、チンドン屋やったり、勝手に東京でイベントやったり、友人呼びまくって夜通し飲んだり、西和賀町の皆さんとどんちゃん騒ぎしたり、西和賀町の皆さんと勝手に東京でエーデルワインさん巻き込んでイベントやったり、あ

          岩手花巻おおはさま。移住8周年に何思う(新社会人・新入生・自分へ勝手なエールを含む)

          新年度だよ!入学おめでとう!の皆さんへ、青春とは大きな人生の大きな舞台。

          2023年4月1日。新年度がスタートした。(4月1日(土)、2日(日)だから、スタートは3日(月)の人がたくさんかな?)ピカピカの1年生(学生や社会人)にとって輝かしい日。外が晴れているだけで、期待とワクワクで胸が躍る。新しい環境の自分の座るべき席に着くと、その空気感だけで緊張するし、ドキドキする。どうしたらいいか分からない不安もあったりするけど、あの頃を振り返れば懐かしさで、仲間と盛り上がる事だって出来る。新年度のフワフワ感をどうやって一言で表現出来るだろうか? ボクは約

          新年度だよ!入学おめでとう!の皆さんへ、青春とは大きな人生の大きな舞台。

          ようこそZ世代!ここが、まほろば、おおはさま。

          2泊3日で東京から東京大学の学生2名が来てくれた。1人は去年夏に東京大学の体験活動プログラムを利用して、ここ、おおはさまにやってきた。彼は岩手の盛岡出身で、現在は東京に住んでいる。ふるさと岩手に何かしらの形で関わりたい!という思いがあり、一瞬にして打ち解けた。そんな彼は学生団体に入っており、その団体のインタビューをボクは受けた。 そのインタビュー記事を読んで、彼の友人がおおはさまに興味を示してくれた。興味を示しただけでなく、実際に足を運んでくれたのが、3月7日という日だった

          ようこそZ世代!ここが、まほろば、おおはさま。

          おおはさまが、ずっと夢見続けていた雛まつり。

          世間とは違うズレのような事がある。突き進んでみるのはいいけど…。ん?これ、皆とズレてる??と思うことってたまーにある。でも、自分が信じた道を一生懸命やれば、それが多くの人に届いたら、それはもはや、ズレではなくなる。それが当たり前になる。っていつかのオールナイトニッポンで星野源が言ってた。たぶん、「チンドン屋」の世界でも、それが言えるかもしれない。大人になっても、これでいいんだよって、自由に生きていいんだよ~。って。 2022年12月下旬、とある方から「今年はチンドン屋やるの

          おおはさまが、ずっと夢見続けていた雛まつり。

          ちゃんぷ、フォーエバー。

          ローカルな話をしよう。 30年という月日は長いと思う。ボクが東京で2歳くらいの時に、おおはさま町では「ちゃんぷ」というお店が開いたという。たくさんの人が出入りし、たくさんの笑い声が響いたであろう、そのお店は今月(2月26日)、長い歴史に幕を閉じた。 もう何百回言われたかもしれないけど、マスターほんとうに、ありがとうございました。ボクがこの地域にやってきて、たくさんたくさん美味しい料理と美味しいお酒、楽しい時間をありがとう!!マスターとの出会いは、移住して初っ端だった気がす

          ちゃんぷ、フォーエバー。

          冬の除雪仕事〜西和賀町の「雪あかり」が教えてくれたこと〜

          「皆さんがやる仕事は、使命感のある仕事です!!!」 JR除雪の顔合わせで、そんな話があった。 岩手県西和賀町の「ほっとゆだ駅」の線路内を除雪する。ひたすら雪を。 「年末年始は、帰省される方もいます。北上線が動かなくなると大変なので皆さん、よろしくお願いします!」という締めの言葉で顔合わせ会は終わった。 〜〜〜〜〜 岩手県西和賀町は県内でも有数な豪雪地帯で、 これでもか!ってくらい雪が降り続く。 一晩で調子が良いときは50センチくらい降る。 もっと降るか。そんな西和賀町で

          冬の除雪仕事〜西和賀町の「雪あかり」が教えてくれたこと〜

          これからの生き方について。

          2022年9月1日からスタートさせた人生5回目の収穫。7月頃までは、「きっと上手くいくだろう」とずっと思っていた。「今年は豊作になるに違いない。」それは多くの農家が思っていたはず。 その気の緩みが天に届いてしまったのか、8月は全くお天道様も見えないし、雨×雨×雨で、かんたはうすの前を流れる川はアマゾン川のような色をしながら濁流となり、少し緊張した。そんな事がありながらも、毎日のようにぶどう畑に足を運んだが、ぶどうはまったく元気を無くし、過去最悪の収穫を迎えた…(泣) 一生

          これからの生き方について。