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東北食べる通信8月号に掲載。ボクがほんとうにぶどう農家になった瞬間。

まるっと1冊、鈴木寛太。というのは人生初めて。そんな情報誌と共に読者1人ずつぶどうを発送した。その数700箱以上。ボクのぶどうはどうやら日本全国、東北食べる通信の読者に行き渡り、おそらく、岩手県でぶどう栽培してるんだ!という事と共に、鈴木寛太という人間の生き様が多くの人の頭の片隅に記憶されたんじゃないかと思う。

ちなみに、東北食べる通信とは?

今回、東北食べる通信掲載の経緯については、今から遡ること、去年12月頃、冬の岩手県は西和賀町にて。ボクらの拠点、自炊の宿でおなじみ、鳳鳴館(ほうめいかん)で東北食べる通信3代目編集長と話した事がきっかけだった。

「おおはさまぶどうの現状を全国に伝えたい」

確か、そんな事を言った気がする。

今年でぶどう農家になって6年目となる。1年に1回の収穫はとても神経を尖らせる。気がついたら、あれよあれよとたくさんの畑を抱えていて、おおはさまの皆さんがよくボクに声をかけてくれる、「それにしても、よくやってるよ。」は、ボクを強くさせてくれるひと言かもしれない。でも、最近思う。いくら頑張っても弱いんです。ボクはおもうように強くなれない事がわかった。

よく思うのは、

「誰もやったことがないことをやりたい!」

と言うわりには、心が押しつぶされそうになる。正直なところ、今にも切れそうな細い糸の上を歩いている、そんな不安定な毎日かもしれない。

東北食べる通信8月号の裏面には「生産者のひとこと」が掲載されている。そこには、ボクは相当な負けず嫌いなのかもしれません。と書かれている。ボクは負けず嫌い。

確かにその通りだけど、負けず嫌いというのは、自分が納得しないと嫌なんだと…。そういう意味に最終的に落ち着く。納得感を得るために日々奮闘するわけだけど、それはぶどう農家になって、自分はどうやって生きたいのか??突きつけられるような毎日でもある。やってもやってもうまくいかない。「売れない芸人」のようだ。と思ってしまう。夢を追いかけるパターンのやつ。うまく収穫を迎えても、後で話に出てくるが、動物に食べられて収穫量を減らされる。あの光景を見たらこの1年の苦労はなんだったのか。肩を落とす。絶望を具現化したもの。

そんなある日。今から4年前くらいになるのか。ある人から言われたひとことがある。

「ぶどうをタダで送れ」

言われた瞬間、カチンとくるものがあった。別の人にも言われた。

ちょっと、お前、こいよ!ってなる。

言われた場所は東京で、ちょうど里帰りのタイミングだった。ボクはなんとも言えない、悔しさのような気持ちに似ていた。似ていたという事もあまり覚えてないが、率直に言えば怒りという感情だったと思う。けど、相手に直接怒れなかった。怒ってもしょうがないと思ってしまったから、ボクは次の日、朝イチの新幹線に飛び乗り、おおはさまに帰るため、新幹線の席につき、「あー、なんでこんな事で怒ってるんだろうか」と、我にかえる。いや、これを「こんな事」で片付ける自分がもっと情けなく、下唇をかみながら、ときに奥歯を食いしばり、涙袋で涙をためていたが、東京駅を出発して、秋葉原くらいでボクは涙をこぼした。新幹線の中で泣いた。生産者の現状を分からない人がたくさんいるんだろうな。当たり前だけど、たくさんいる。生産者と消費者の理解を埋めるのは不可能だと思う。それはわかるけど、これでいいの??このままで。

生産現場がわからないから、「ぶどうをタダで送れ」って言われるんだよ。全てのぶどう農家への侮辱でしょ。いや、第一次産業に携わる人への侮辱でしょ。生産者はこうやってずっっっとこのままで、消費者のわからんところで、謎のまま、埋もれてしまうのではないか。いや、もう埋れてるかもしれない…。

このままでいいのか??

これは、しょうがないよね…。って自分の中で無理やり納得して、目の前の栽培をやるしかない自分が情けなくて。栽培をやることで自分を肯定することしか出来ない。でも、必ずやってくる、なんでこれをやらないといけないのか。こんなこと、やらないといけないのか。

「こんなこと…」と思う自分がやっぱりいる。

農家同士であれは辛かった。あのときはこうだったと共有するのも大事だけど、その会話に消費者も混ぜることがボクがやりたいことだとなんかわかってきた。

何が言いたいのかというと、この生産現場を知ってほしい。

振り返れば、たくさんの人をこのおおはさまで受け入れてる。これについては、ボクのボク自身に対する負けず嫌いで、自分が納得するまで、相手がぶどうの現場を理解してくれるまで、受け入れ、少しでも、ここにある生産物は、誰かが誰かの為に命を削りながらつくってるものだと、知ってほしい。

幸いにも、友人がたくさん来てくれたり、研修で学生を受け入れるけど、この時期は本気のぶどう収穫で、全て本気。体験ではない。収穫作業!

収穫したら、ちゃんと腐れを取り除く、選果(せんか)を行い、丁寧に箱に詰めていく。そこまでやってほしいし、やってもらう。

さて、話を東北食べる通信に戻すと、生産者の情報誌冊子と、その生産者の生産物を読者に発送するわけだけど、今回、ぶどうを梱包し、発送するのは、大変な事だった。でも、絶対に最後まで皆に届けたい!と思ったのは、おおはさまという小さな町で70年も前からぶどうが栽培され、県内では産地になっているが、一歩、二歩、県外に出ればこの当たり前は消えてしまう。これがもったいないし、ボクは納得いかない。生産現場を少しでも知ってもらいという気持ちは強いから、知ってほしい。

例えば、シャインマスカットは勝手に種無しにはならないし、一房ひとふさちゃんとタネ無しの薬をつけないといけない。それもタイミングを逃さないようにしないといけない。そのタイミングを逃すと、あんな立派にはならないんだよ。ぶどうは待ってくれないから、人間都合ではどうにもならない。ぶどうが立派になるように、人間はぶどうにタイミングを合わせないといけない。家庭菜園みたいに水を浴びせてるだけで立派にはならない。毎日なんです。毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日ずっとずっと毎日畑にいかないと手元にぶどうは届かない。やらないといけない。どんな勇気が湧き上がる曲を聴いても、頑張ろう!って思えない日なんか日常。それが、食べる人に伝わらない。伝えても伝えても伝えてもどんなに頑張ってもとどめは動物たちがぶどうを食べにくる始末。

金を払え!!!!

そう言い放ちたかった。今年、熊に過去イチ大きな被害を受けた。

サニールージュ(ぶどうの品種)は全滅

熊はとりあえず置いといて、みんな、ぶどう食べるじゃん。ぶどう好きじゃん。産直ですごい買うじゃん。だから、自分が食べてるぶどうがどうやって出来るのか、知ってほしい。

毎日の積み重ねでぶどうは出来上がる。だから最近、ボクは思う。「毎日は尊い」

東北食べる通信では、今年の夏、おやこ地方留学でおおはさまに来てくれた子供達も載っている。

おやこ地方留学とは?

今回、おやこ地方留学は初めての受け入れだったが、全日程受け入れた。そこには、子供達には、知ってもらいたい事がたくさんあったから。

夏に首都圏から岩手に来てくれた子供達

繰り返しになるが、この夏は異常なくらいに県内外の学生達を受け入れている。そこまでしてやることの意味とは、やっぱり生産者と消費者の食への理解、生産現場の差を埋めたい気持ちが強い。少しでも多くの人に知ってもらえたら、救われる生産者はきっとたくさんいる。

今回の東北食べる通信8月号のおかげで、ボクはほんとうの意味で、ようやくぶどう農家になった気がする。ぶどうの梱包作業中にそんな事をおもった。やっぱり、このぶどうの海を泳いでいたいし、泳ぎきりたい。泳ぎきれるのかは分からないけど、まずはプカプカ浮かんでいようと思う。

東北食べる通信で発送されていったぶどうの海




かんた


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