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ちゃんぷ、フォーエバー。


ローカルな話をしよう。


「CHAMP30」の風船が可愛かった。

30年という月日は長いと思う。ボクが東京で2歳くらいの時に、おおはさま町では「ちゃんぷ」というお店が開いたという。たくさんの人が出入りし、たくさんの笑い声が響いたであろう、そのお店は今月(2月26日)、長い歴史に幕を閉じた。

東京で2歳といえば、ボクはこれ。


もう何百回言われたかもしれないけど、マスターほんとうに、ありがとうございました。ボクがこの地域にやってきて、たくさんたくさん美味しい料理と美味しいお酒、楽しい時間をありがとう!!マスターとの出会いは、移住して初っ端だった気がする。よく覚えてないけど、気が付いたらそこにいた感じがする。ボクはここにいた。

それより、2次会で「ちゃんぷ」に行くことが多かったから、ハッピー全開でカウンターに座り、「ビール!」とか、「ハイボール!」とか、時にはフラって入ってきて、「マスター!お腹すいたー!」って言って、マスターは「白米ほとんどないぞ」って言って、それでも白米を出してくれて、料理をササッと色々作ってくれて、「ほれ、これ食べろ」ってお腹を空かせたボクにたくさん、お腹いっぱい食べさせてくれた。マスターが食べるはずだった白米食べてごめんね。「肉が食べたいの?魚が食べたいの?」とか、聞いてくれる優しさ。

酔い潰れて、朝起きて喉ガラガラ状態で、マスターにお詫びの電話をしても、マスターはいつも笑って許してくれた。むしろ心配してくれた。その繰り返しだった気がする。あと、いつかのあんどんまつりで、ちゃんぷにかけこんだら、濃い目のレモンサワーをマスターは「飲んでくか?」って言うから、水をイッキ飲みするかのようにグビグビ飲んで、めちゃくちゃ酔っぱらった事は良い思い出(たぶん、移住2年目くらいのあんどんまつりだった)
ぶどう農家で頑張るよ!って独立の話をした時も、マスターは心配してくれた。誕生日の日は祝ってくれた。

マスターはお酒飲めないのに、KANTAWINEを2本購入してくれて、お店の中で、目の前にいるボクにわざわざ電話して、「えー。ちゃんぷですけど、KANTAWINEを2本買えますか?」って。あれ、ちょっと可愛かった笑


よく見えねえなー。って言ってちゃんと見てくれる。愛。


恵比寿ビールの鯛2匹ラベルの縁起物と一緒に。

まだまだお店に連れてきたい人たくさんいて、まだまだ楽しい話で盛り上がりたかった。愛に包まれた店だった。

マスターとの会話の中で、「マスターがつくる玉子焼き美味しいなー。」って料理の味の感想を言うと、マスターは「命かけてるから笑」って言う。これが、結構印象的だった。
「だよねー!笑」ってボクは返していたけど、
ぶどうをつくる側としては、その思い。伝わってたよ。

最後に行ける日はいつだろうか?と考えて、2月24日(金)に食べに伺った。その最後の最後に頼んだのは、麻婆ラーメンだった。

あったまるんだよねー。

カウンター5席、座敷2テーブルのお店で、この日、こんな会話が印象的だった。とあるお客さんが、なんの会話の流れか分からなかったけど、「明日行くから〜」と言ったら、マスターは「あ?うるせいな笑」って。

お客さん達は「わはははは」と皆が笑った。

その後、カウンターの向こう側で、マスターは「楽しいな〜」ってつぶやいた。この店の愛され方が凄くて、それをどうやって表現したらいいかわからない。なんだか、表現しなくていいのかも。だから、いいのかもしれない。

たくさんの愛がこの店には詰まっていた。いや、愛が詰まるより、溢れていた。

ボクは麻婆ラーメンと一緒にハイボールを飲んだ。食べ終わって、もう帰ろうかな。と思い、お会計を済ませ、立ち上がった。

ボクは最後の言葉のように、それが始まりの言葉のように、グッと一呼吸置いて、「ありがとうございました」と伝えた。マスターはいつものように、「ありがとう!また!」と言って、「長い間ありがとね」と。

「こちらこそ!」としかボクは言えなかった。

まだまだ感謝の気持ちがあり、伝えたい思いだけが溢れていた。

ちゃんぷの「ぷ」がない暖簾を出た。

もう、この灯りが、3月には懐かしいと思ってしまうのだろうか。また、この灯りがあたたかい。と思える日が、いつか来るのかな。


「ぷ」が頭に当たるからって取ったらしい。


これで終わりではないから、また、ボクがつくったぶどうを届けるから、食べてほしいから、元気でいてね。


かんた


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