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岩手花巻おおはさま。移住8周年に何思う(新社会人・新入生・自分へ勝手なエールを含む)

2015年でしたね、この町にやってきたのは。
来たのは、その年の7月。
ここまで長くいるとは思わなくて、先なんてわからない、将来どうなるかもわからない。明日の事もわからない状態が続いた。ただ、生きてることの実感はあった。

それは今でも…。

おおはさまに来てから、農家と対話し、チンドン屋やったり、勝手に東京でイベントやったり、友人呼びまくって夜通し飲んだり、西和賀町の皆さんとどんちゃん騒ぎしたり、西和賀町の皆さんと勝手に東京でエーデルワインさん巻き込んでイベントやったり、あんどんまつりでは、ゲロ吐きながら酒を浴びたり、そんで、体調悪くして、アルコールはドクターストップになったり、空き家探し回ったり、枡沢という地域の空き家を借りて(現在のかんたはうす)、皆で壁塗ったり、畳を新しいのに交換したり、でも、その裏では地域の人からバチクソ怒られたり、帯状疱疹になったり。ぶどう農家になったり、かんたはうす運営組合という団体つくったり、酒を売るための免許とったり、オリジナルブランド、KANTAWINEを発売したり、民泊の許可とったり、ぶどうの栽培面積拡大したり、栽培出来なくなったぶどう園地を委託でやったり、委託でぶどう園地の薬剤散布やったり、かんたはうすがある地域の枡沢の公民館館長になったり、大迫小学校の校庭にある、ぶどう棚を管理する「ぶどうめげな会」の会長になったり、大迫高校の魅力化コーディネーターやったりと、この8年間は凄まじいスピードで物事が動いていった。まわりの皆様には大変感謝です…。傍からみれば、生き急いでる感があったり。

移住して思うのは、出来る事が増えていく喜び
その多くは、やろうとしなかったこと。
やれば出来るよ、誰だって。ほんとに思う。
最初は失敗するかもしれない。失敗すればいい。失敗を繰り返したら、出来る事が増えていく。
それが喜びになる。チンドン屋でアルトサックスなんて出来るとは思わなかったし、チンドン屋とは?笑って感じだった。移住当時はぶどう農家になりたい!なんて、1ミリも思わなかったし、空き家なんて、誰が住むの?みたいな感じだったし、地域の役員って大変ねー。ふーん。くらいしか思わなかった。

自分の可能性、リミッターを外すか外さないかは自分。やりたいこと。やりたいな!と思ったら、自分は出来ないので…。から入るのではなく、やってみよう!やったらわかる。可能性は他人が閉ざすんだからは言い訳で、自分がやろうとしない。それが最大の言い訳。

今年、2023年は…。何をしていこうか?
やりたいことがたくさんある中で、これだ!というのを絞ろうと思う。

もちろん、ぶどうを軸として。

最近、思うことがある、ぶどう栽培は自分のためではないな。と。ぶどう園地が荒れない為ファーストが強い。もちろん、ぶどう栽培して、販売しないと生活出来ないので、ちゃんと収穫して売るんだけど、園地をちゃんと維持する事が未来に繋がるんじゃないのかな?って、都会で景観整備ってその自治体だったりが知らぬ間にちゃかちゃかやっちゃうけど、農村地域の風景はある程度山々が並び、それがぶどう園地だったり、田んぼや畑は個人の持ち物だから、他人が介入出来ない。当たり前体操みたいだけど、だから、その地域の景観を保つのは個人。4月に入ってひたすら自問自答。今でも。




かんた

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