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移住8周年。今、おもうこと。


2015年7月25日は東京から岩手に引っ越してきた日。2015年は人生が変わった年だった。たくさんの仲間が手を振ってくれた。

2015年7月25日深夜0時(26日になりました)に、地元の友人が車を出してくれた。引っ越し屋さんに大きな荷物を先に送り、細々とした荷物は友人の車に詰め込んだ。中学3年の最後に購入したギターも一緒に(このギターが後の祝い事には欠かせないギターとなる)。

友人の車の後部座席に座り、どんどん遠くなる実家の外には母と珍しく兄貴がいた。父は家の中にいたと思う。こういう時、父は外に出てこないんだよなー笑

高速道路を走る。

左にはいまだにのぼったことのないスカイツリーが光っていた。あれからいろんな事があった。でも、しぶとく生きてる。

2022年年末に実家に帰った。

年末の時の話かどうかは忘れたけど、母と酒をたくさん飲んでいるうちに、鈴木家の教育方針に触れる。

ボクが幼い頃は毎晩必ずと言っていいほど、味噌汁が出た。母はいつも、「はい!今日のお味噌汁の出汁はなんでしょー?」とクイズ形式でボクら兄弟に味噌汁の出汁をあてさせた。

3択問題とかではなく、ヒント無しのクイズ。

最初はわからなかったけど、毎日のように出汁あてクイズをやると兄弟はわかるようになってくる。

どんなにボクら兄弟が不機嫌な日でも、母の「はい!今日のお味噌汁の出汁はなんでしょー?」と言われたら、兄弟2人は無言で味噌汁を啜り、「んーー。かつおぶし?」

とか言う。これがコミュニケーションのひとつだったのかもしれない。

母:「ブブー!今日はにぼしでした!」
とか言ってご飯がスタートする。

「こんぶ」+「にぼし」
「かつおぶし」+「にぼし」とか、もちろん「にぼし」だけとかの日もある。とにかく出汁をあてさせるクイズ。その組み合わせ無限大!

たまーに、「今日は化学調味料でした!わかった?」

とか、とにかく毎日のように行われた。

あの頃を母と懐かしく振り返る。

寛太:「味噌汁の出汁をあてるのやったよね」

母:「あれは、兄弟にとにかくちゃんと味覚を分かる人間になってほしかった。鈴木家の教育方針のひとつ!」と。母は話していた。

おかげさまで味噌汁を作る時は、やっぱり出汁を取りつくる。

今思うのは、母はさすがだなーー。と。母のこだわりはボクら兄弟にいいモノを食べさせる事だったらしい。少し高くても、安いものではなく、いいモノを買って食べさせる。

今思うのは、それが愛だったということ。

おかげさまで頭の片隅でそれが残っていて、買い物をする時は、どんなにお金がなくても、国産のものを手に取る習性がある。マジでピンチな時は違うけど笑

あと、母はとにかく誰でも受け入れた。

夜遅くに友人を家に連れてきても、朝早く友人を連れてきても、「あら!いらっしゃい!」と受け入れた。今思うと、息子の無茶ぶりをダメ!とか言うのではなく、全て打ち返していた。息子は打ち負かされていた笑

おかげさまで、ボクも特に誰かを特別にかんたはうすに!というわけではなく(友人知人に限定はしているが)、受け入れる。

そんな事を8年くらいやっていると、

今日(7月26日)、大迫町から紫波町に買い物をするため、車を走らせながら1年に数回行くか行かないかのお店に顔を出した。そこで久々に店員さんに会う。
店員さん:「あー、お元気でしたか?この季節、元気かな?って思ってましたよ!」

少し離れた所にいて、顔を出せる回数も多くないのに、そうやって思ってくれる人がいる。ありがたいなー。と。8年、ここにいると、そういういろんな事が繋がるのかな?

なんだか、寅さんみたいだな笑

え?笑


冬に帰ったらまた、話してみよう。





かんた

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