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やりたいことを見つけるために必要な思い。後悔はしたくない思い。

4月になった。新入生16名が入学。年間スケジュールを見ながらどうやって関わっていこうか?どんな事を一緒に出来るか?模索していたところだった。

気が付けば、魅力化コーディネーターは4年目へ突入。職員室に自分の机が用意されても不思議じゃないくらいに職場化しているのは県立大迫(おおはさま)高校。

3月に3年生が卒業したけど、その3年生は1年生からずっと一緒に活動してきた。感慨深い学年だった。


新3年生も1年生の時から知ってるから、皆が成長していく姿をこうやって見ることが出来て、皆を送り出す事が毎年続くんだろうなと感じている。

皆と過ごしていると、懐かしい気持ちになる。
ボクが高校生だった頃、どんな思いで高校に通ってたっけ?あぁ、そんなこと、あんな事あったっけ。でも、何が毎日の楽しみで、将来の夢ってなんだっけ?と考える日が続いた。

入学してくれた大迫高校1年生。去年から活動を共にしている2年生。1年の時から一緒の3年生。皆と過ごしていると、これから進学や就職。いろんな道があるけど、それを今、自分で選択できて、自分で決めて突き進む事ができるのが羨ましい。どこの大学にいこうかな?どんな会社で働こうかな?って考える時間って、時には辛かったりするかもしれないけど、10代の将来の選択肢はマジで無限大!

あのとき、こうすれば良かったなー。とか
みんなには、後悔してほしくない。

ボクが1番嫌いなのは後悔

一応後悔だけはしないような人生を歩んできたつもり。

これだ!!!と思ったら迷わず全力で突き進んできた。信じた道を突き進んでも、ダメな時はたくさんあったけど、行動することで、巡り巡ってやりたい事が出来ている気がする。

後悔したら絶対嫌だ!って昔の鈴木寛太、何かあったんだと思う笑

思い出せないけど笑

むかしむかし、ボクは高校の先生になりたいと夢があった。けど、教育実習に行く前にその夢は無くなった。今思えば、ボクは「教える事」より、「伝える事」がやりたかったんだと思っている。「人に伝えていく」や「人を繋げていく」仕事がしたかった。

そもそも「教える」と「伝える」の違いって??

  • 「教える」は、知識や学問、技能などが、相手の身に付く様に導くことに使われます。

  • 「伝える」は、自分の考えや事実を相手に言うことに使われます。

  • 「教える」は、特に勉強や知識などを教えるときに使います。

  • 「伝える」は、「言葉などで知らせる」ことを意味します。

  • 「伝える」は、相手の心情に語りかけることを言います。

ということらしい。

「教える」という事が当時、しっくりきてなかったんだと思う。だからなのか、夢が叶わなくても後悔はなかった。先生になって教えることは目的ではなく、手段だったからだと思ってる。

大学では地歴・公民の教員免許(所属学部では)しか取れなくて、別に地歴・公民を教える為に先生にならなくても…。先生になるっていったい何なんだろ?と考えたら、もっと生徒達と近い距離で何かを伝えていきたい。先生になってまで教えたいことはなんだろ??

先生になる夢は無くなったけど、いま、高校生と伴走することで、気が付くことがあった。「教える」ではない、「伝える」事が自分のやりたい事だと信じていたけど、もはや「伝える」だけではおさまらなくなっているような気がする。

なりたい自分は将来の夢=職業ではなく、もっと自分の内に秘めた大事なこと。
それを表現するには、後悔なく今を生きていくこと。これしかない。





かんた





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