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冬の除雪仕事〜西和賀町の「雪あかり」が教えてくれたこと〜

「皆さんがやる仕事は、使命感のある仕事です!!!」

JR除雪の顔合わせで、そんな話があった。
岩手県西和賀町の「ほっとゆだ駅」の線路内を除雪する。ひたすら雪を。
「年末年始は、帰省される方もいます。北上線が動かなくなると大変なので皆さん、よろしくお願いします!」という締めの言葉で顔合わせ会は終わった。

〜〜〜〜〜

岩手県西和賀町は県内でも有数な豪雪地帯で、
これでもか!ってくらい雪が降り続く。
一晩で調子が良いときは50センチくらい降る。
もっと降るか。そんな西和賀町で、2022年12月、
ボクは除雪の仕事をスタートさせた。

何故、そんな事をやろうと思ったのかは、今年12月に向けて2拠点生活をしてみたいという思いで、まずは県内で2拠点をやってみようと思ったのがきっかけだった。

何故2拠点をするかについては、こちらを参考に。

2拠点をやってみて、いくつか問題も発生した。
①おおはさまにある、かんたはうすが、凍結(なんとなく感じていた笑)
→今年は-10度が何日か続いた。なので、来年はかんたはうすをシェアしていきたい。シェアハウス的なやつかな(適当)

これ、浴槽が凍った。


②剪定作業
→ぶどうの園地が広いため、早め早めに作業をスタートするのだか、結局間に合うかな??
もっと早めのスタートをこころがけるか?

③地域の活動あれこれ
→行事、会議に出席については、リモートでよろしく!

そんな課題はとりあえず、置いといて、西和賀町での出来事を話していきたい。

ちなみに、花巻市おおはさま町から西和賀町までは片道約70kmの距離がある。何日間か西和賀に滞在して、おおはさまにぶどうの剪定をしに帰る生活。西和賀では、鳳鳴館に宿泊。ここでも毎日のように除雪したりと、ヘトヘトになる。

雪で外に出られなくなる。
除雪の仕事に行く前に除雪。


鳳鳴館についてはこちら。

晴れていた空もいつの間にか雲行きが怪しくなり、次の瞬間、雪がチラつく。風が吹く。チラついていた雪はどんどん勢いを増す。風も強くなり、辺りはあっという間に銀世界になる。
ボクが岩手に移住した時、雪によく感動したものだけど、もう9回も岩手の冬を味わうと、残念ながら雪に感動が薄くなっている自分がいた。

JR北上線の線路内、機械が入れないところをひたすら人力で、雪を掘り、時には雪を掻き出し、氷のかたまりを砕く。それは決して「雪かき」ではない。まるでレスキュー隊になったような感覚であった。これは人命救助か?この雪の下に人でもいるのか??そんな錯覚すらあった。

JR除雪の初日は緊張したが、皆さん本当に気さくに話かけていただき、緊張がほぐれた。作業は肉体労働そのものであったが、同志である、瀬川然やハイデック、休憩室で皆さんと食べるランチは楽しみのひとつであった。

詳しくはこちらを参考に。

もちろん、周りは西和賀在住の方達で、ヨソモノはボクだけになる。花巻おおはさまからやってきた、得体の知れない人。ただ、然やハイデックと一緒にいるから、怪しい人ではない。たぶん。

除雪の仕事に出れば出るほど、西和賀の皆さんとの会話が増えていった。「え?かんたくんって東京の人なの?東京なのに、スノーダンプの使い方うまいね!」「そういえば、かんたくんは仕事何してるの?」
かんた:「ぶどう農家やってます」
「あー、おおはさまだもんね!」
「じゃあ、秋にはたくさんぶどうが来るのか?笑」
そんな会話が好きだった。どんどん会話が濃くなっていく感じ。

休憩室で横になり、上を向くと天井はこう。

JR除雪から帰宅すると、鳳鳴館でお客様をおもてなし。各地からお客様が来られて、ボクも部屋掃除や布団を敷いたり、薪ストーブに火を入れて、火の当番をしたり、バタバタだけど、初めましての人でも乾杯をすると、やっぱり楽しい笑

人が集う夜は良い。これが鳳鳴館だよね。

~3年ぶりの「雪あかり」この町のアイデンティティー~

2月11日(土)は西和賀町が年に1度、町全体が各家などで雪像や思い思いに雪にあかりを灯す日。

友人の瀬川然のカフェ、ネビラキカフェでも大きな世界観を雪で表現するということで、JR除雪が終わった後、手伝いに行った。

既に何人か手伝いに来ていて、大きなかまくらをつくった。

人の手でつくる秘密基地感がたまらなかった。

作業途中ではあったが、それぞれが自宅に帰って行く、「また、明日ね~。」と言って帰っていく。それが、小学生の頃を思い出す。なんだかそれが「また、明日学校でねー。」という感覚というか、ひとしきり遊んだ後に、生まれる会話というか、こんな感覚は久しぶりだった。

かまくらをつくることに何故、ここまで一生懸命なれるのか?自分でも分からなかったけど、年に一度の雪の祭典を成功させるために、何か協力出来ることはないか?というか使命感だったのかもしれない。

かまくらをつくっていると、昔むかし、東京で大雪が降った時に兄貴とかまくらかな?雪遊びをしたのを思い出した。なんとも言えない懐かしさがこみ上げてきた。あんだけ厄介な雪が少し懐かしさを含んだ瞬間だった。

雪あかり当日、メイン会場(ほっとゆだ駅)から流れる人の群れ。きっと会場の開会式的なものが終わって、なだれ込んできたに違いない。子供や大人が一夜しか灯さない町のあかりを観に色んなところに来る。ネビラキランドにも大勢の人が来た。雪が人の心を癒し、喜びに変える瞬間。

多くの人がネビラキランドに吸い込まれていくのは感動的だった。
かまくらの中も良い感じ!
映像演出も多くの人が足を止めた。

朝目覚めてドアを開けると絶望感をこの世界に具現化させたんじゃないかと思うくらいに雪が押し寄せる朝もあったのに、これほどまでに美しい姿に変わるのが春の迎え火という表現の由縁なのかと、ボクはそんなことを考えながら、メイン会場のほっとゆだ駅に足を運んだ。そこには、たくさんの人がいた。きっと多くの人が電車でも駆けつけてくれたんだ!と感じた。そう思ったら、JR除雪をやる意味。腑に落ちた。そこに電車が通る。あのあかりを観に来てくれる人が来る。JR除雪の顔合わせの時に聞いた、「使命感」の意味はここにあったのか!と思ったら、久々に感動以上な感覚だった。東京の渋谷駅の人混みを見ても何も感じないのに、田舎の乗車率も良いとは言えない、この駅に人が来る。やっぱり、皆で何かをつくることってとても楽しくて、意味あることだと思う。

駅前は大勢の人だった。

夜空には星も輝き、風はなく、雪は降らず。町全体のあかりは多くの人のこころに宿っていったに違いない。

点と点が繋がり、一本の線になった。

春はまもなく、雪を溶かしつつやってくる。

時間軸は少し戻るけど、瀬川然と鳳鳴館の温泉に一緒に入る機会があった。脱衣所でも会話は弾んだ。「除雪の時にどうでもいい事を思ったのが、91年生まれ(様々な地域で活動しているローカルプレイヤーの共通の友人達)が同じ高校で同じクラスなら楽しいのかも!」って話をしたら、然は、「いや、皆バラバラで、頂上みたいなところに登りついたら、気がついたら同じところにいた!みたいな方が楽しんじゃないの?」
ボクは「そうか~。」と思って、風呂上がりの乾杯をした後、何故かずっと脱衣所の話が頭から離れなかった。

2人とも良い感じに酔って、寝室でお互い布団を引いて、天井を見上げた。ボクは然に「さっきの脱衣所でした話だけど、実はバラバラにいた同い年は、今、頂上にいるんじゃないかな?」と話した。
 
然は「そうかもね笑」と言って、静かに眠った。
 
頂上にいるか、いないかは置いといて、仮に頂上にいたとしても、これから目指すべき頂上はたくさんある。次から次に目指すべき山が出てくるだろう。その目指すべき山が定まった時、一緒に登る仲間はたくさんいるんだなと。ボクも眠りについた。

厄介な雪も必ずやってくる、あたたかな春によって溶かされていく。雪は跡形もなく消える。西和賀の雪が無くなると、寂しいと語る人もいる。その寂しさはまだ、ボクは正直理解出来ていないから、また、来年も今回と違う形で西和賀の雪に向き合っていこうと思う。


ん?これが、ユキノチカラか。。





                               かんた

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