これからの生き方について。
2022年9月1日からスタートさせた人生5回目の収穫。7月頃までは、「きっと上手くいくだろう」とずっと思っていた。「今年は豊作になるに違いない。」それは多くの農家が思っていたはず。
その気の緩みが天に届いてしまったのか、8月は全くお天道様も見えないし、雨×雨×雨で、かんたはうすの前を流れる川はアマゾン川のような色をしながら濁流となり、少し緊張した。そんな事がありながらも、毎日のようにぶどう畑に足を運んだが、ぶどうはまったく元気を無くし、過去最悪の収穫を迎えた…(泣)
一生懸命やってきて、結局収穫これかい!
叫ばずにはいられなかった(心の中で)
抱え込みすぎたぶどう園地を目の当たりにすると、ちゃんとぶどうをお客さんに届けることが出来るのか…。そう考えると、パニックになる自分がいた。天候も最悪だったけど、動物の被害も過去イチの被害であった。
気候についても、動物についても、何ひとつ食い止めることは出来なかった…。何をやっても、、、。改めて人間は自然の前には無力なんだと、身を持って感じ肩を落としていた。けど、鈴木寛太を前向きにしてくれたのは、地域の元ぶどう農家さんの一言であった。
「今年も寛太くんのぶどう楽しみにしてるから、出来たら教えてちょうだい。去年、食べて美味しかったのよ。」
電話から聞こえるその声に、元気とやる気を取り戻した。その方は、米をやっていて、以前、作業の休憩中に仲間とボクのぶどうを食べてくれていた。
待っていてくれる人がいる!わざわざ鈴木寛太の作ったぶどうを食べたい!!という人が一人でもいれば、その人の為に頑張る。
毎年思う事かもしれないが、今までで一番震えた。どんな形であれ、収穫しなければ終わらない。さて、どうしたことか。どうしたらいいか。
救われたのは、たくさんの仲間が駆けつけてくれたことだった。
東京時代の友人だったり、その友人の友人が連れてきてくれた人だったり、ぶどう農家として独立して出会った人だったり、もちろん、はじめましての人も。ほんとうに多くの方がぶどう園地に来てくれたし、かんたはうすに延べ40名の人が宿泊してくれた。どんどん仲間が集う感覚。祭りのようにワイワイやった後に、皆が帰っていく背中をみると、寂しいなー。という感情も貴重な経験だった。
たくさんの人と交流して、ボクはこんな事を思った。
明日が待ち遠しい。
皆のおかげで、そんな気持ちまで心に余裕が戻ってきた。そして、かんたはうすという交流拠点があって良かった。
交流は更に広がりをみせた。この年、大迫小学校と大迫高校とで、交流が出来ればと思い、大迫小学校の副校長先生に相談し、思いを伝えた。すると、
「小学校も新しい局面を迎えています。ぜひ!よろしくお願いします!」
と、思いを伝えた30秒ほどで、承諾いただいた。副校長先生の懐の大きさに救われた瞬間だった。もちろん高校も快くOK
ボクがずっと大事にしてきたのが、首都圏の友人や知人をおおはさまで交流させ、おおはさまの中でごちゃまぜに交流が生まれること。関わり合いをつくること。
移住後、岩手で出会った東京の人が多くなった気がする。何人増えたかはわからないけど、相当増えた。その東京の友人をさらにおおはさまと関わってもらえたら、嬉しいので、来年2023年12月頃から、冬の間は出来るだけ東京で過ごせればと思っている。それは2拠点生活をしてみたいという事。
あたたかいシーズンはぶどう栽培。冬は東京で、そんな生き方を首都圏に必ずいるであろう、うずうずしている若者に伝えたい。なので、まずは自分が実験台になって、こんな生き方が出来るよ!って広めていきたい。
そういえば、一昨年夏に岩手のテレビに出演してそんな宣言をしていた。
「寛太には道が3つある。ここに残るか。東京に帰るか。2拠点するか。」
これは、当日協力隊卒業間近に、とある方から直接言われた道標だった。
2拠点は魅力的だったけど、当時は現実味がなかった。ボクは一人、かんたはうすのベンチ(外の)で考えて、出た答えが、協力隊卒業後はおおはさまに残る!だった。けど、それは永住とは名言出来ない。それについては、こちらを参考までに。
繰り返しになるが、今までたくさんの友人がこの地を訪れた。皆、100%と言っていいほど、この町を好きになって帰っていった。そんな仲間の為にも、東京でもおおはさまを感じ、東京でおおはさまを広げていき、おおはさまに関わる人を増やしていきたい。2拠点という生き方については、きっと、多くの需要があるはず。暖かいシーズンはぶどう、地域の事をやりながら、寒いシーズンは東京で仕事をしながら、生活をする。でも、ボクは公民館長だから、ずっと東京とはいかないが、少しずつ公民館長のあり方も変えていかないといけない。まあ、そんな自由な出稼ぎスタイルをもっと自分らしく表現したい。
最近考えることがある、久々に地域に来た、戻ってきた人が、地域の人とどんな関係性であれば居心地がいいのかな?と思った時に、当たり前にお客様ではなく、地域と関わり合うひとりの人間としているのがいいんじゃないかな?と。
これは、あくまでボクが居心地が良かった例だけど、久々に会った人が「おお!久しぶり〜」「元気だった?」と声をかけてくれるのではなく、「おい、来るの遅いぞ!笑」とか、「髪の毛くらい短くしてこいよ!」から始まる再会を大切にしたい。何が言いたいかといえば、かなりフランクな気疲れしない関係性を作りたい(伝われ)
今までかんたはうすで、友人知人限定的に民泊をやってみて思った。たくさんの知り合い、友人、友人の友人を滞在させた結果。「魅力ある町だね」と言ってくれる。ここで、「魅力ある町」をそのままにしたくないな。と。もっとその言葉を形にしていきたい。友人達も何かしらの形でおおはさまに関わってもらい、地域と関係性を構築出きれば嬉しいな。
何度も何度もおおはさまに来るうちに、「また来たの?」みたいに地域の人が呆れてくれたらボクは嬉しい。呆れさせる程、人を呼びたい。
おおはさまという町を見つめていると、
やっぱり故郷の東京を思い出す。実家の周りも随分空き家や空き地が増えた。なじみの近所の方達は当たり前に歳をとったが、たくさんの愛情がある。岩手も大事、故郷も大事。だけど、東京は何もしなくても発展しまくるので、故郷の東京大田区を盛り上げる!ではなく、実家、家族、まわりの友人達を元気にしたいと。大好きな皆と大好きな岩手の皆を交流させて、交流を加速させていく。それはじゃあ、何でするのか?ぶどうに決まってる!!
かんた
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