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【教えることの出来ないこと】

~前 基督教独立学園高等学校校長
            安積力也先生のお話~

安積先生は、教師をやればやるほど、悔しいけれども認めざるを得なくなった「事実」があると言う。

それは、一番教えたいこと、分からせてあげたいことが、実は「教えることが出来ない」という本質を持っていること。

科学的な真理は、言葉を持って教えることが可能である。
しかし、「生きること」に関する真理、つまり愛や思いやり、希望、感謝、信仰、勇気、自尊心などの「人格に関わる真理」はどんなに言葉を尽くして説明しても教えられない。

これらは「心で」分かるしかない真理だからなのです。

生徒自らがそれを経験する、あるいは生きてみることによってしか、分かってこない真理。

これをどう伝えることができるか苦闘し、試行錯誤してきて、
その末に到達した道は、生徒が自分自身に向けて問いたくなるような“問い”を提示する授業でした。

「問う」とは、その未開の扉をノックすること。
「自問する」とは、その扉を自分の手で「開く」こと。

そのためには、生徒の心が「問い甲斐のある問い」に出会うしかない。と。

世界に一人しかいない「私」を生きるためになくてはならない羅針盤が、「自分を問う」知性であると締めくくります。


かすみ


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