移住者獲得の仁義なき戦い 〜通う人をシェアしませんか?〜
地域同士の殺し合いで共倒れしてませんか?
人口減と移住者増
昨今、少子高齢化・過疎化の問題が叫ばれて久しいですね。
行政や各地域の自治会としては、何としてでも急速な人口減を食い止めたいところ。
となると、やはりその論点となるのは
移住者獲得
移住者をいかにして獲得するか?このようなセミナーも後を絶ちません。また移住者を多くゲットした地域への視察というのも行政ではよく見られます。
その努力そのものは素晴らしいものです。
しかし、一方でその移住者獲得合戦が血みどろの「仁義なき戦い」になっているように思うのは気のせいでしょうか?
限りある「移住者」パイ
確かに「地方移住したい!」という意欲の高まりは、都市部を中心に、感覚的には大きくなっているのかもしれません。
とはいえ、意欲はあっても、実際に動くかというと話は別で、、、
つまり、実際の移住者というのはまだまだ少ないわけです。
その結果起きるのが、その「移住者」という小さなパイの取り合い。
この戦いの問題は東京の一極集中是正を除けば、基本的に「勝者と敗者」が生まれること。
移住者を獲得した自治体は勝者、住民を失った自治体は敗者という論理の元、移住という現象は進行しています。
地方移住≠農村漁村移住
血みどろの戦いをいかに小さくするかという点においては、まずは現状を見直しませんか?というのが私の主張です。
少し古いデータではありますが、2015年の国土交通省の白書には以下のようなデータが載っています。
(↑筆者作成)
このデータが示すのは、「そこそこ都会・そこそこ田舎」の移住は人気があっても、農山漁村いわゆるド田舎への移住に対する機運はまだまだ高まっていないということです。
2020年現在、コロナ禍で移住を検討しようという人も増えているとは言いますが、それでもやはり検討されるのは「そこそこ都会・そこそこ田舎」。
つまり、関東圏で言えば、千葉・山梨・新潟・静岡など。
これらは田舎気分を味わえながら、いざとなったら大都会東京へも遊びに行けますよという立地なのです。
私が移住した丸亀市の「さぬき広島」も含め、ド田舎の地域が「移住がアツい!!」なんて喜ぶのは、少し時期尚早のように思います。
「通う人」の重要性
じゃあ、ド田舎はそのまま滅びればいい?
もちろんそんなことはなくて、、私としては、移住だけにこだわらない人的交流の在り方があると思うわけです。
すなわち、通う人。
たとえば地域のお困りごとがあれば、定期的に駆けつけてくれるような人です。私の暮らす島で言えば、
地域のお祭
草刈
柑橘類の収穫 etc
「うちの地域なんて来ても何も見ることないよ」と思う人も多いのかもしれませんが、見るものなんて別になくてもいいと思うのです。
それよりもお困りごとを通して、少しおしゃべりができたり、一緒にお茶を飲んだりするということが大事なはず。
移住というのは極めて大きな決断です。
だからこそ、地域側から「一緒に暮らそう!」なんて圧を掛けられすぎるというのもしんどいもの。
だからこそ、移住を迫るのではなく、「通う」をお願いするというのが今後の地域の在り方としてあってもいいのではないかなと。
通うのであれば、別に一つの地域をこよなく愛するという必要もありません。
小さなパイの奪い合いではなく、地域同士で通う人をシェアするという交流の形が今必要であるように思うのです。
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通うという点でいえば、
島根県邑南町で行われている「JR旧三江船」の活用プロジェクト。
これには地域住民以外にも、鉄道ファンをはじめとした「通う人」の募集がされています。
実際に実績がある事例としては、埼玉県鷲宮市におけるお祭に「らきすた神輿」があります。これも地域の行事に「通う人」であるアニメファンが参加しています。
(引用:https://luckystar.wasimiya.com/ja/about/)
移住者でもなく、一過性の来客でもない「通う人」
個人的にはこのような存在に注目しています。
※通う人については、田中輝美氏の「関係人口」という考え方から着想を得ました。
というわけで、本日はこれにて!
ご清読ありがとうございました!
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