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女々しさって、たくましい。

私が提示できる最大のアンチテーゼです。

「女々しい」への違和感

女々しさという言葉、以前から違和感がある。
女々しさという言葉を辞書で引くと、

いくじがない、思いきりが悪いなど、男としてふさわしくない。柔弱である
(引用元:三省堂大辞林第三版

なんともマイナスな意味合いが強い。使う場面とすれば

「お前は女々しい男だな」

という場面が想像されるが、本当に女性はそもそも「女々しい」の由来になるほど、軟弱な存在なのだろうか?

「あんたが悪いんやろ」

最近もやはり「女々しい」という言葉に違和感を覚える場面があった。

日頃、島の男性に農作業を手取り足取り指導して頂いているのだが、いかんせん農業歴80年の彼の言葉は私の能力では理解に至らない場面も多い。

そもそも専門的な言葉が分からなかったり、80年かけて磨き上げられた「勘」を理解するというのは至難の業である。

感覚的には
「ご指導→指導内容を家で本で調べて復習→実践→失敗→再度ご指導」
というサイクルでようやく理解できるといったところである。

となると、やはり指導する側にも多少のイライラは溜まるというもので、

「あいつはなかなか俺の言うことを聞かんのや」

と奥様に愚痴をこぼしたらしい。すると奥様は

「あんたが悪いんやろ。あんたの教え方が悪いんや。じいさんの言葉を若いもんが一回で理解できるか」

と真っ向から反論したらしい。

私としては、奥様はいつもニコニコしている「おばあちゃん」というイメージだっただけに、このような強い口調で意見を言うというのには心底驚いた。

女々しさって、たくましい

もっとも今回の件については、私自身の理解力をなんとか向上させたいとも思ったが、やはりこの奥様の言葉を耳にして、「女々しい」という表現にますます違和感を覚えるようになった。

つまり、女々しさはたくましさなのではないか?ということだ。

「いくじがない」「思い切りが悪い」「柔弱」という点において男女は関係ない

にもかかわらず、「女々しい」という言葉が巷に流布しているのは、きっと女性が家庭や組織における重要な意思決定から排除されてきたからだろう。

すなわち、「いくじ」「思い切り」を発揮する機会がそもそも女性には与えられてこなかったということだ。

アンチテーゼとしての「女々しさって、たくましい」

ここまで、女々しさについて議論してきたが、私自身はそもそも「男」「女」の区分自体がそもそも議論の壁になっているのではないかとも考えている。

もちろん生物的な性差はある。

しかし、「女々しさ」という言葉に見られるようにジェンダー(社会的性差)を飛び越える必要もあるように思う。

「男」だから、「女」だからというのではなく、それぞれを一人の「個人」として考えていけば「女々しさ」という言葉は存在意義を失ってしまうだろう。

ただ、現状として社会的性差がもたらす不利益の存在を否定するというのも暴論である。存在しない・解決可能という前提を立てられるほど、簡単な問題ではない。

そのため、存在を否定するのでもなく、真っ向から解決を模索するというのでもなく、現状を今とは異なる視点から捉える必要性があるのではないか。

だからこそ、私が「女々しさって、たくましい」と主張することは、その不利益に対して、今の私が提示できる最大のアンチテーゼでもあるのだ。

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ジェンダーの問題は一筋縄ではいかないし、そもそも何が問題かを認識するのも難しい、、、

大学・大学院・会社と女性が男性よりも多い空間で過ごした私としては、島の男社会は違和感を覚える場面もあります。

地域差といえばそれまでですが、今後の島の将来を考えていく上では、ジェンダーの問題もきっと大切なことだと思います。

というわけで本日はこれにて!
ご清読ありがとうございました!

また明日も宜しくお願いします

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