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何事も経験だけど、経験すべきことが多すぎる件

やらないよりはやってみた方がいいし、
失敗も重ねた方がいい。

私もなんだかんだそう思う。ただ、なんか経験すべきこと多くないか?

最近、世の中自分の知らないことだらけだなぁとよく思う。改めて。
それは昔ながらの料理法であったり、図書館で見向きもしなかったジャンルであったり。ソクラテスは無知の知の存在を指摘したが、私からすればこの現代は「自分って何にも知らねぇな」と思わされる場面だらけのような気がしている。

古い本や高齢者の武勇伝はまさしくその要因だ。かくして途方に暮れているにもかかわらず、ITだとかデジタルだとか時代の先を行きそうな話題も多々あって、挙句「クリエイティブなアート思考だ!」は泣きっ面に蜂もいいところである。

過去の知恵と最新のスキル両方に目を向けるというのは、今も昔も変わらないのだろうか。ただ少なくとも近代日本と呼ばれる時代においては、今ほど過去を回顧しなかったのではないかと思えてくる。

例えば、明治時代。江戸時代からの脱却を目指して西欧の技術や思想やらを輸入し、ついには大正デモクラシーまでこぎつけた。
戦後日本も同様だ。アメリカを中心に当時の”最新”を取り入れて、高度経済成長を成し遂げる。明治や戦後の日本において、過去はどこまでポジティブに捉えられていたのだろう。

さて、どうやら、私が日本で生きる「今」という時代は常に変化しているらしい。
ただ他方で、戦後日本の栄華を知る人たちも「今」にいる。

このような変化と過去が混在する時代で、過去の知恵が重要視されるのは高齢者のあがきにも似た懐古主義なのか。それとも、若い世代の今や未来に対する諦めなのか。もしかすると最先端があまりにも先を行き過ぎているのかもしれない。

昔の知恵を学んでいると、最先端が全く分からなくなる。
かといって、最先端ばかりに気がとられると温故知新は発生しない。

だとすれば、私はいま、何から経験していくべきなのだろう。
そんなことを思っていると、今日も何もやらないまま夕方がやってきてしまった。

ーーー
ウジウジするなと言われるとそれまでですが、やっぱり選ぶ・決めるって体力いりますよね。なぜなら、責任が伴うから。

自己責任という言葉をよく耳にするようになりましたが、そんなこと言われたら怖くて何も選べないし、決められないし。
ホントに自己責任って今も昔も存在していたんですかね?

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