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こんなやつもいるから大丈夫です、知らんけど

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日常の疑問や問題意識、抽象的な問いをあーでもない、こーでもないといいながら、簡潔で読みやすいエッセイにまとめます。 どうぞ、肩の力を抜いてお読みください。 きっと何か発見があり…
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#旅行

分かり合えなくても、分かち合うことはできる ~「ねじれの位置」を目指して~

私とあなたは「分かり合う」ことができるだろうか。 私はこれまで、あなたと「分かり合いたい」「分かり合えるはずだ」と信じて生きてきた。きっとそれが、私にとっては、あなたという存在に関心を注ぎ続けるエネルギー源だったように思う。 しかし、25歳になろうかという頃、私はこの信念を覆すこととなる。 私は他人を理解できない私は他人を理解できない という事実を私は知らされる。発達障害。医学的な見地からの診断である。 その特徴の一つに、会話や言葉の文脈やニュアンス、また他人の顔色や

ポップカルチャーから政治への反論と愛を込めて

政治を語るとき、ポップカルチャーはどこか比較劣位に置かれてきたかもしれない。 それは例えば「たかが音楽で世界は変わらない」「政治は政治家にまかせておけ」といったような言説である。 かくいう私にとって一番身近なポップカルチャーは観光であるように思う。もちろん日々、音楽やアニメを楽しんだりもするが、一番心躍るのは「次はどこに行こうかな」なんて夢想するときだ。私にとって観光は私自身を形作り体現するものでもある。 ただ観光というものも例に漏れず「たかが観光」などと、やはり小馬鹿に

バランスボールを置くこと 〜私は旅の「偶然」を破壊してしたのか?〜

宿を営んでいると、偶然の存在に唖然とする。 たとえば、お客様が実は庭師だったり、助産師だったり。辞書的にその職業の存在を知っているだけで、会ったことなど一度もない。俗的に考えれば、ナンパした異性が庭師や助産師である確率はおそらく極めて低いだろう。そう思うと、やはり偶然とやらはとても貴重なもので、一種のロマンすら覚えざるを得ない。 「旅の偶然をロマンで終わらせたら研究者はダメだよね」 大学院時代、とある先輩はそう私に言った。もう4年も前の話だが、なぜだか妙に心に残っている。

大工の祖父は船乗りになりたかったらしい

ある時、祖父の親指の爪が割れていた。 聞けばトンカチで釘を打っている際に、誤って親指の爪を思い切り叩いてしまったらしい。 祖父はいつの日か自分の建てた家が新聞に載っていると嬉しそうに話した。またひょいと美しく強固な踏み台や棚を作った。しかし、幼き日の私にとっては、そんな傑作以上に割れた爪こそが彼が大工であることを表明しているように思えた。 そんな祖父は祖母に比べれば遥かに口数が少ない。正確に言えば、大阪難波で生まれ育った祖母と香川の離島で生きてきた祖父の間には、その数に大

リウマチに効く温泉と「いい人止まり」の男

温泉成分表「お前って、しっかりこの表とか読むタイプなん?」 温浴施設の脱衣所の壁にかかった「成分表」を見つめる私に友人は言った。 飲食店で注文した後もメニューを熟読する私は、割とこの手の表を読むのも好きだ。無論、なんちゃらガンマンだとかその詳細を理解しているわけではない。 それでも、肩凝りだとか皮膚病だとか効能の部分くらいは私でも理解できる。その効能を知ってから入浴すると、なんだか肩の凝りが和らぐ気がするのだから不思議なものだ。 何にでも効く温泉さて、温泉成分の表を眺め

たとえば、シングルマザーは宿に来ない

宿を続けることは格差を再生産すること? 余剰資金と旅行「お金持ち以外旅行とか観光なんてできないよね」 という問題意識を抱えて、早6年が経とうとしています。それは筆者自身が学部・大学院時代に観光学なる学問領域に身を置いていたときに、感じていた問題意識です。 当時から「観光を通じて地域再生」だとかいう話が盛り上がっていましたし、旅行先では「旅を通じてこんなにも世界が広がったんです!」と熱く語る人とも沢山出会いました。もちろんこれ自体を否定したいわけではありません。観光で再生した

天ぷら120円と讃岐の国

うどんに天ぷらをトッピングするか否か。 讃岐の国に引っ越してきた私にとって、この問答は日本経済の行く末よりもよっぽど由々しき問題である。 「人生は選択の連続だ」と敏腕IT社長は声高に叫ぶ。ただうどん屋がもはやインフラと化した香川県では、県民は彼よりもよっぽど日々選択に迫られているように思う。 その選択は天ぷらをトッピングするか否かという先の根源的な問いでもあるし、トッピングをすると決めた後に「どの天ぷらをトッピングするか」という新たなる選択も含んでいる。 もっとも讃岐の

ドバイの空港でテロリストに疑われ「This is a pen!」と叫んだ話

寸分の狂いもなく、正真正銘「これはペンです」なのだ。 This is a pen なんて英語のための参考書の中には「いつ使うんだ、これ?」と思う英文もある。その数ある英文の中で最高峰に位置し、英語が赤点という中学1年生でも知っている一文はこれしかない。 This is a pen. これはペンです。そりゃそうだ。ペンを見て「これは食パンです」と思う奴はいないだろうし、百歩譲っても「これはシャーペンかボールペンのどちらかな?」と”ペン”の範囲内で思考は完結するだろう。

目の前のクソ野郎もムスリムだったなら

あのクソ野郎と私は、優しさを少し訝しみながら生きていく。 「だって、ムスリムだからね」もう7年も前になるが、私がトルコに留学していたときのこと。トルコの人々は何かにつけて私を助けてくれたように思う。 一人でとぼとぼ広大な畑を歩いていると車に乗せてくれたり、道迷っていたら一緒に迷ってくれたり。思い出すと本当にその場面が沢山浮かんでくる。 いつの日だったか、ルームメイトのトルコ人に、 なんてふと口にした。すると、 と彼は言う。そうか、優しさは神様のおかげなのか。優しさと

私がお客様と友達にならない理由~「程よい他者」でありたい~

生きていると、親や友達には相談できない問題に出くわすこともある 私はあまり怒らない私はあまり怒らないらしい。正確に言えば、感情的にならないといった方が良い。また私自身がマイペースでワガママなので、誰かのそれにもなるべく合わせられたらと思っている。 ウチの宿に来てくれている同い年のヘルパーさんが尋ねてきた。彼女は比較的、感情が表に出るタイプだという。ここ数日、前日は彼女が寝坊して、次の日は私が寝坊してとのらりくらりやっている。もちろん怒ることはなかった。ヘルパーさんとの生活

非日常化した日常を取り戻すために「何もしない旅」に出よう

旅は非日常だとよく言うが、実際は、「我が子と夕方に遊ぶ」なんていう日常さえもが非日常化している。 ーーー 旅する。つまり、旅はするものらしい。 何かを見たり、どこかへ行ったり。旅ではまさしく to doが自分の中に形成される。旅はきっとこれからも「する」ものに変わりないのだろう。 と、宿に来たあるお客様が仰られた。その女性は、旦那様の来宿の意向に「まぁ、いっか」とついてきたとのこと。確かにウチの宿は文化遺産を利用した施設でもないし、宿が建つ島自体に名所があるというわけで

賽銭額に比例して願いが叶うとしたら

なぜだか分からないが父の賽銭は10円玉であることが多い。 どうやらご縁がありますようにと5円玉を賽銭箱に入れる人も多いらしいが、父は毎度「10円あったわ」だの「10円ないから5円にしとこ」と口にしているように思う。 なぜ父が10円にこだわっているのかはわからない。もしかすると彼の中で「5円の奴よりかは、優先的に神仏に救ってもらえる」という自己暗示があるだろうか。ただ、世の中には千円札や一万円札を投げ入れる人もいるのだから、彼の念願は果たされるとはにわかには信じがたい。 さ

「雪解けが一番危ない」って、道民が言ってた

道民はそう教えてくれた。その道民も、そして街ゆく道民もは見事なまでのフットワークで、凍てつく歩道を進んでいたが、私は何度もコケにコケた。雪の積もらない町・大阪で生まれた私には、4月の札幌は上級者向け過ぎたように思う。 実際、厳寒期の札幌は4月のそれに比べれば歩きやすい。なぜならしっかりと雪が積もっているからだ。いうなれば、”ズボり”と雪を踏みしめることができる。他方で、コケるときというのは、まさしく”ツルり”と足を滑らせてしまうわけだ。 コケそうになったらなるべく積み上が

一眼レフをもう一度 〜モンテネグロ・コトルを旅したあの日から〜

「なんでこの絶景をファインダー越しで見てるんやろ」 港町・コトル20歳が終わろうという頃、私はモンテネグロにいた。 トルコ留学中に大学の長期休みを利用して旧ユーゴ圏に旅に出たのである。 モンテネグロの海沿いの港町・コトル。もし私がオススメの旅行先を選ぶとしたら、この町を選ぶと思う。 城壁に囲まれた旧市街は、日本からやってきた私にとっては絵本の世界ともいえる場所だった。見るものすべてがファンタジックなこの町では、やはりシャッターを切るのを止められない。 バックパックを背負