徒然に:桜が咲く度に涙が出る理由
東京で桜が開花したそうだ。
この分だと、ここ千葉県の開花宣言も予想より早いだろう。
3月。多くの人々が春の訪れに心浮き立たせる。
一方、私にとっては毎年、一年で最も心が穏やかでいられない、感情的には不安定な月だ。
20数年前の3月に、両親と妹を一度に失った。
毎年、様々な思いで命日を迎えるからだ。
更に、10年前の3月11日に東日本大震災が起こった。
【忘れられない】【忘れるはずなんてない】出来事があった日が2つも存在する3月。
私は他の月以上に毎年様々なことを考える。
新たな気づきだったり、学ぶことも多い。
ただでさえ、あわただしい3月だが、そういう意味でも心も、頭の中も常にフル稼働しているような感覚だ。
☆
昨年10月に noteで初めて投稿した。
当初 思っていたことは、家族との死別/喪失体験を経て経験したこと、私の家族と同じような形でこの世を去った方々を悼む人々が、偏見や憶測に苦しむことや、未だに悲嘆にくれることなど 、私なりの言葉で綴れたら、と思っていた。
けれど、昨年から絶えない魔物のせいで、日本だけでなく世界が今もなお閉塞感に包まれている。
誰もが、多少なりとも生きづらさ、苦痛、ストレス、不安を抱えながら日々生きている。
この状況がいつまで続くのか...先は見えない。
希望の光はあれど、いつ霧が晴れるのか、わからない。
そんな中で、果たして書いていいのだろうか。
いつも葛藤してきた。
これまで90記事近く投稿してきたが
保存されている下書きはそれ以上、100近くある。
もちろん、違うことを書こうとして途中で終わっているものも含まれるが、半分は、死別/喪失体験に基づいたものだ。
下書きになった理由は
今、書くべきではないと判断したからだ。
いや、さらに厳密に言えば
今じゃなくても、書くべきではないのかもしれない。
最近になってそう思うようにもなった。
☆
もしも私が物を書く仕事をする者ならば。
もしも私がどんな形でも名の知れている存在ならば。
体験談として綴ることは、意義があることかもしれない。
けれど、【何者でもないわたし】がここで体験談を綴ったとして、なんの意義があるのだろう。
ただ単純に、【過去の体験を乗り越えられていない】とか【過去の呪縛にとらわれているだけ】だと見なされるのだろう。
noteを始めて、幾つかそんな反応を経験した。
もちろん、そんな反応も貴重なことだし、もともと覚悟していた。
けれど私も、決して強いだけの人間ではない。
歪曲した読みかたをされ、ネガティブな捉えかたをされると、それなりに心は痛む。
もちろんそれは一時的な痛みだ。
そういう読まれ方をするのは、私の文章能力の低さもあるだろう。
書こう。書くことを続けよう。
その(心が痛んだ)経験も、モチベーションに変えてきた。
だから、これまで
「読んでくださった皆さん、ありがとうございます」
という感謝も本心だ。
全て最後までではないにせよ、私のページに目を留めて読んでいただけた。
そのことに感謝していることは確かだ。
☆
多分これからも、記事の中のエピソードとして
死別した家族のことを書くことはもちろんあり得る。
だが、死別体験そのものについてさらに詳しく書くことは、敢えて控えよう、そう思った。
ただでさえ、こんなご時世だ。
数日前の東日本大震災のことだって、
「わざわざ今さら...」
と文句を言う人たちを少なからずSNSで見るにつけ心が痛んだ。
「そんなことより、今自粛モードのストレスで辛いわ!」
そういう言葉をたまたま開けたメインアカウントで、
多少なりとも親しく接してきた人から発信されているのを見たときに涙が出た。
知人は震災の起こった時間に大勢で昼飲みをしている様子を投稿していた。
なんとも言えない、心の中のざわざわした感覚は未だに消えない。
☆☆☆
徒然と、長く書き連ねてしまいました。
読んでくださった皆さん、ありがとうございます。
桜の咲き誇る姿はとても好きです。
けれど、桜が咲く度に涙が出ます。
あの時を、あの瞬間を、思い出すから。
けれど、私は、これまでもどんなことがあっても乗り越えてきました。
生きてきました。
これからも、命を大切に、日々を大切に。
一歩一歩歩いていきたいと思っています。
まだまだ読みごたえのある文章を書く力もありませんが
目に留まり、ご興味を持たれたらお読みいただけると幸いです。