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ルーツを失くしていく私

※この投稿には家族との死別(喪失)体験のことについても書いてあるものです。ですので、私同様、過去にご家族やご友人、大切な方との死別を経験された方にとっては悲しい思い出を想起させてしまったり、心の状態によっては辛い思いをなさるかもしれません。なのでその恐れのある方はどうかスルーしてくださいませ。

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こんばんは。ほしまるです。

たまたま先ほどぼーっとしながら観ていたテレビ番組のロケ地が、私の出身地である東京下町でした。

かつて私が育った地、まさに故郷である東京下町。

ちょっとした東京散歩のような番組だとわりと頻繁に取り上げられているようですし、実際、SNSなどでもフォロワーさんが

「テレビで見て行ってみたくて来ちゃいました♪」

てな感じで、明らかに最近できたような、いかにも【映える】しゃれたスイーツやイマドキの流行りの食べ物、飲み物等を撮したり、飲み食べしながら自撮りしている様子を見ることもしばしばあります。

けど、はっきり言ってしまえば、そのお店自体にも興味を持つことはまずないですし、どの辺りにできたお店なのかも調べようとは思いません。

なぜなら、

新しいお店ができたということは、かなりの確率でかつての昔ながらのお店が姿を消し、その跡地にできた ということを意図せずとも知ることになるからです。

そのお店のある場所にかつてあったお店は、私の懐かしの場所かもしれない。もしかしたら、父や母、妹が好きだった、お世話になった場所かもしれない。そう思うと、決して良い気持ちにはなれないのが正直なところです。

私にはもう帰る実家もありません。

これまでの投稿を少しでもお読み下さったらお分かりになる通り、

私はかつて両親と妹を一度に亡くしているからです。

たまに、友人や知人から聞く愚痴めいたことなように

夫と喧嘩したから実家に帰らせていただいた

なんてことは物理的にこれまでもできなかったことですし、

逆に、普通に人々が口にするように

実家に帰省して、ゆっくりさせてもらったり、母の手料理をいっぱい食べた

なんてことも、いくら心から望んでも不可能なこと。

親孝行も、夫と共に、もしくは私だけでも両親や妹と出かけたり食事したりなんてことのできない

二十数年を送ってきました。そしてもちろんこれからも。

もちろん私には思い出があります。

けれど、いくら人と比べて遥かに記憶力を誇れる私でも、少しずつこぼれ落ちていったり薄れていく記憶が存在することも実感しています。

以前投稿でも書いたことがありますが、私が家族との死別(喪失)体験をnoteで綴れる限り綴ろうと思ったのは、あらゆる意味で私の使命であると思うのと同時に、

私の記憶が完全になくなってしまう時が来るまでに、書き記しておく必要がある、と思ったからです。


少し話を戻しますが。

家族が亡くなった時に、実家をどうするかというのはかなり熟慮が必要なことでした。

私の場合、遺族としての相続は父の財産が親戚と分与したものもあったりして色々とややこしい面も多々ありましたが、結果として正の財産も負の財産も相続しました。実家であるマンションも相続したため、夫の駐在任期を終えて夫婦共に帰国後、落ち着いてから夫と共に住むことも可能でした。

ところが様々な問題?が生じました。

2つ前の投稿に書いたことなのですが

私は比較的若い時期に両親と妹を一度に亡くしています。
一度に、ということで、お分かりかと思いますが
要は 【変死】にカテゴライズされる形の死でした。

しかも、亡くなった場所は自宅マンション。結婚前まで私が暮らした実家でした。

唯一の遺族である私が夫の駐在先である国にいるとはいえ、親戚が立ち会いのもと、警察や鑑識が入りました。

当然のことながら、同じマンションの住民の方には不安や恐怖もあったことと思います。

帰国して、司法解剖後の家族と面会を終えてから葬儀までの間に、家族が亡くなった実家へ訪れなければならないことも多々ありました。

その時に古くからの顔馴染みの住民の方々からは、「大変だったね」とか「気を落とさないでね」と優しい言葉をかけていただきました。

しかし、当時、長らく管理人をされていた方が間もなく異動されることを管理人さんから知らされた時に

「言いにくいことなんだけど...」とあることを切り出されました。

要は、マンションの住民の方々の不安が強く、このままじゃ安心して生活できない、なんとかしれくれ、というクレームが来ているとのことでした。

私を前にしては言えないことだったのかもしれません。でも、多分、古くからの住民の方ではなく 比較的新しい住民の方々かも。

そう思い、管理人さんからどなた達がそう言ってきたのか聞いた私は更に落ち込みました。

次々と管理人さんから聞かされたお名前は、私達家族と同様、古くからの住民の方々ばかりで、しかも、私と顔を合わせる度に優しい言葉をかけてきた方々でした。

下町の義理人情

物心ついた頃から何度も何度も聞いた言葉。

何が下町の人情だ、そんなもんないじゃないか

生前さんざん父や母を頼りにしていたり、父や母が力になった人たちもこうして掌返するんだな

今、思うと、私自身がそれまでの人生で遭ったいじめや、友達と思っていた友人からの裏切りの経験よりも、ぐさりと私の心に傷をつける経験だったかもしれません。

どうやら、クレームの根底にあることは、私の家族がマンションで亡くなったことで、マンションが祟られる、怖いということでした。

であるならば。

通常の葬儀とは別に、

僧侶の方にお願いして、マンションでの供養会

をお願いすることにしました。

管理人さんや、親戚と相談して僧侶の方に供養していただいたのは、自宅の中での読経、と、マンションロビーでの読経。事前に管理人さんがチラシ、ロビーポスターで告知して下さったのでほぼ全戸の方々が参列してくださいました。

その時に、遺族として改めてマンションの皆さんにご挨拶と同時にお願いしたのは、今後も私自身が実家の荷物片付けや換気、掃除等のためにマンションに来ることをご了承ください、ということでした。

供養の会の後、私の元へ寄ってきて、過剰なお悔やみを述べる人たちが絶えませんでした。その時の私の対応は 言うなれば塩対応だったかもしれません。

供養の会にかかった費用は、住民で出し合って払いますとの申し出も丁重にお断りしました。

クレームをつけてまで家族の死後、気味悪がった人たちから一円足りとももらう気になれなかったからです。

夫と私が日本に帰国した後は、社宅に入りました。

マンションの両隣の部屋の方は色々理由をつけてまで転居されたと聞いていましたし、まだ気味悪がっている方もいることはわかっていたからです。

私自身、実家の整理等で行く説きも誰にも会わない深夜にしたりしていました。

実家へいくたびにあるところから頻繁に留守電が入ったり、郵便受けに封書が入っていました。

留守電の主と封書の差出人は様々な不動産会社からでした。

事故物件

でも今ならこれくらいの高値で売れます、等々。

事実であったとしても、私のルーツである実家が事故物件扱いされてしまうこともとても辛かったですし

どんなにお金を積まれても、という思いでいっぱいでした。

けれども、心のどこかで、実家を残しておく意味もわからなくなっていたのは事実でもあり、この先、まっさらな気持ちで夫とここに住めるか?と考えるとあらゆる意味で不安しかありませんでした。

そんな中で 元々家族を亡くした時から少しずつ精神的に脆くなっていたとは思うのですが...

帰国後、働きながら再び大学に編入、大学院に入って、あることがきっかけで少しずつ自律神経を乱し、私は心身共にぼろぼろになりました。大学院は休学から復帰できず中退。

その頃の私には、定期的に実家へ行くことも、掃除や整理をすることも困難になりました。

私がぼろぼろの状態の中で実家に訪れた時に、たまたま不動産会社から電話があり、こう言われました。

このままずっと置いておくままでは何も良いことはありませんよ

ご実家も含めて下町界隈の開発計画があるんです。

今はピンとこないかと思いますが将来的にこの界隈はとても洗練された町になるんですよ。

この界隈に住みたい方が今の時点でいらっしゃるんですよ!

信じられないことを言うな、と驚きました。

嬉しい意味でではありません。

この界隈が新開発?

見慣れた景色もきっと変わるのでしょう。

しゃれた店やカフェが立ち並ぶようになるのでしょう。

幼い頃から見慣れた景色はまるで変わってしまうのでしょう。

手放そう

夫も同じ考えでした。

きっとこの先ここに住んでも私自身が辛くなる。

そこからの手続き諸々は全て夫に任せました。

その頃の私には、遺す遺品の仕分けなども心身共に辛くなっていました。

なので、私でできる最低限のことだけして

遺品処分もすべて業者に任せました。

今にして思えば、父や母がずっと撮り残してくれたアルバム写真や、ビデオテープ

それ以外にも沢山、遺品として私が持ってなければいけないものはあったと思います。

でも、それすらできないほど私の心も身体も限界だったのです。

全て終えて文字通り私は家族だけでなく実家も失いました。

もうこの地も故郷ではない、

ここ界隈に来るのは辛すぎる

そういう意味では私にはあの場所、あの地は故郷であっても、もう私とは関係ない別世界になりました。

皮肉にも、その後ますます、私の育った地は度々テレビのロケ地で使われたり、雑誌のオススメスポットにもなりました。

そこから年数を減ると、私の実家からはスカイツリーがとても綺麗に見える場所となりましたし、

少し足を伸ばせばおしゃれなカフェやお店が立ち並ぶようになりました。

ずっと私の実家界隈に住んでいる方にしてみたら嬉しい開発、発展かもしれません。

でも、私にとって見たら変わり果てた風景をテレビで見るにつけ、胸が苦しくなります。

私のルーツは失くなってしまったのだと。

記憶、思い出は確かに宝物です。

けれど。

全く違う風景になってしまった思い出の地は私にとっては、もう愛着も懐かしさもない

私には興味すらない観光スポット。

だから、電車で通過することはあっても

降り立ったことは一度もありません。

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