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就活ガール#29 就活人気企業ランキングの罠

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これはある日のこと、同級生の美春とキャリアセンターの講義を受けていた時の話だ。今日はビジネスマナーというテーマであり、外部講師と思われる綺麗なおば……お姉さんがハキハキと喋っている。あまり真剣に聞いていなかったが、事前に渡されたレジュメによると、どうやら挨拶の仕方やノックの仕方からメールの書き方まで、内容は多岐にわたるようだ。
「どうしてマナー講師って元CAが多いんだろうな。」
あまりにもつまらなかったので、隣に座る美春に雑談を持ちかける。美春も退屈だったらしく、すぐに話に乗ってきた。
「CAって契約社員が多いし、正社員でもかなり大変らしいわよ。体力仕事だけどスーツにハイヒールだし、給料は安いし、絶対に隙は見せられないし。だから辞める人が多いんだって。で、今さら普通のOLなんて地味な仕事はしたくないんじゃないかしら。」
「そうなのか。たしかにCAって華やかなイメージだったけど、裏では意外と大変なんだな。」
「旅行業界はどこも似たようなものよ。マスコミ関係とか美容関係とかもそうだけど、一見華やかだけど、それは上層部だけ。実際に現場で働く社員とか下請けの社員とかは、待遇が悪くてもいくらでも新しい人が集まる。どんどん辞めてもらって構わないってスタンスじゃないかしら。」
そういえば毎年発表される就活人気ランキングでは、いつも旅行会社や航空会社が上位だ。特に女子学生からの人気が高い。おそらくではあるが、福利厚生で安く旅行ができることも関係しているのだと思う。
「あの先生もCAがキツくて辞めたのかねぇ。」
「かもね。知らないけど。」
ショートカットに白いつーつを着たいかにもな女性をちらっと見て、噂しあう。
「でも、今の方が儲かってそうだよな。」
「確かにね。元CAならマナーを理解してそうって思われやすいだろうし、天職かも。むしろ独立できて勝ち組って感じなのかもしれないわね。」
俺の言葉に美春が頷く。実際、CAをやっていればその辺の人たちよりは遥かに高いレベルの接客スキルが身につくだろう。最近は全く意味が理解できない謎マナーが増えているのは確かだけれど、だからといってマナー自体がどうでもいいというわけではない。マナー講師が飽和状態だから頑張って独自性を生み出しているというだけで、基本的なマナーについてはどのマナー講師でもちゃんと教えてくれるだろう。まぁ、それを聞かずにこうして雑談しているわけであるが。
「そう考えると就活本とかも同じだよな。」
「何の話?」
心の中を説明しないまま話を進めてしまったので、美春が不思議そうな顔をする。相手が美柑やアリス先輩なら、罵声の一つでも浴びせられていたところだろう。
「ああごめん。マナー講師って飽和状態だろ? だから謎マナーが増えていて、最近は就活関係の本とかにまで謎マナーが侵食してきてるんじゃないかなと思ってさ。」
「なるほど。そうかもしれないわね。ノックの回数とかってどうでもいいし。エントリーシートとか面接での質問の答えとかも、別に奇抜なことを書く必要はないのよね。」
「そうそう。基本通りやっていればちゃんもうまくいくと思う。それに、企業は些細なことに気を配れる人は採用したいだろうけど、ノックが上手い人を採用したいわけではないからな。わざわざ調べないとわからないようなことは気にしなくていい。」

そんな感じで俺が以前誰かに聞いたことを述べていると、美春がスマートフォンの画面を見ながら、話を変えてきた。
「今年の人気企業ランキング見てるんだけど、やっぱり航空業界は強いわね。それからメーカーとかITとかかな。この辺は給料も高そうだし、モテそう。」
「あと、旅行業界も人気だろ?」
数日前にネットサーフィンをしていた時の記憶を頼りに、美春に問う。
「ううん。旅行業はトップ10に入ってないわ。あ、25位に1社ある。」
「え、そんなに下だっけ?」
「ほら。」
そう言われ、差し出されたスマートフォンの画面を見る。たしかに旅行業の初登場は25位だった。不思議に思って画面全体を見渡す。
「あ、これ転職ランキングだな。」
よく見ると、美春が見ていたランキングは学生が選ぶ就職したい企業ランキングではなく、社会人が選ぶ転職したい企業ランキングだったのだ。
「あ、本当ね。ごめんごめん。」
「学生と社会人で結構働きたい会社が違うんだな。」
「そういえばそうね。学生は働いたことがないから、旅行業界みたいな華やかで楽しそうな業界が上位にランクインしがちってことかしら。」

2人で改めて2つのランキングを見比べてみる。どちらのランキングでも、最上位の数社は大きく変わらなかった。トヨタ自動車やグーグルなどは、学生から見ても社会人から見ても魅力的なのだろう。それに、全日空や日本航空などの航空会社が人気なのも変わらない。でも、それ以下の二番手グループ。第10位から30位くらいまでの会社は大きく異なることに気が付いた。さっきも述べたように、旅行企業は大学生には人気だが、社会人にはあまり人気がない。美春がキツいと言っていたのが正しいとすると、学生時代は華やかさに目を奪われていた人たちも、社会人になって少し現実的な考えにシフトしてきたということだろう。
 それ以外だと、商社や金融業界についても学生の方が人気だということが分かった。これらの業界は給料が高い代わりに忙しいというイメージがある。若いうちにバリバリ働きたいという人たちも、社会人として経験を積むにつれ、休養の重要性を理解していくということかもしれない。

「なんか色々考えちゃうわね。別に転職ランキングのほうが良いとか悪いっていうわけではないけど、全体的に現実的というか。口コミサイトなどを見てもホワイトって言われてるところが多くランクインしてる気がするわ。」
「そうだな。学生の頃は給料が安くても、忙しくても好きな仕事をしたいって思う人が多い。でも実際に社会に出てみるともっとリアルな、将来も安定して給料がももらえるかとか、ちゃんと休みが取れるかとか、子育てと両立できるかとか、そういうことを重要視するようになるんだろう。」
「そうね。まぁ旅行が好きなら趣味で行けばいいだけだしね。それこそ、ホワイト企業で働いていれば年に2回くらいは長期旅行できる時間もお金もあると思うし。」

「逆に、中途採用で人気があがってる企業は何かしら?」
「さっき美春も言ってたけど、メーカーとかITだな。なんでだろう?」
「メーカーは堅実そうな印象があるわね。あと、労働組合が強くて休みが多い。」
「たしかに。5月、8月、年末の3回くらい、10連休くらいあるイメージだ。」
「24時間サービスでもないし、多くの場合は取引先の卸売業とかもそうだから、徹夜とかも少ないんでしょうね。データによると給料は若いうちは低めだけど、二次関数的に増えていくわ。大手メーカーだと40歳で年収1000万円に届く人も多いみたい。」

「あれ、でもそれってITと真逆だよな?」
ふと気づいたことを言う。メーカーと並んで、中途採用で転職組に人気なのが、IT企業だ。でも、IT企業はいま美春が言ったメーカーの特徴と真逆の傾向がある。休みの多さは企業にもよると思うけれど、基本的には24時間サービスを運用する必要があるから、深夜の緊急対応などに追われることも多い。それに、給料は若いうちから高いが、伸び方が比例関数のようだし、そもそも実力主義の傾向がかなり強い業界である。30歳で1000万円に達する人もいるけれど、40歳でも500万円の人もいるだろう。
「たしかにそうね。どうしてかしら。」
美春も俺の意見に同意してくれた。俺が黙っていると、美春が言葉を続ける。

「このランキングはアンケート結果にすぎないから答えた人の本心はわからないけど、今忙しい人はのんびりしているメーカーに憧れれて、今のんびりしている人はIT企業でバリバリ働きたいって思うのかもね。」
ないものねだりってやつか。ありそうだな。」
「でも、メーカーとIT、どちらにせよ給料が高くて休みがとりやすいっていうのは共通してる点よね。ITは深夜対応とかもあるけど、その分休みはすごく取りやすいらしいし。」
「たしかに、旅行業とか金融とか商社とかが就職ランキングでは上位にいるけど転職ランキングでは少し順位を落としているのは、そういうところの違いなんだろうな。」
「旅行はともかく、金融とか商社は忙しいけどお金は稼げそうなのにね。まぁ上司とか怖そうだけど。」
「そうだな。年を取って体力が衰えたり、家事や育児で忙しくなったり、いろいろ事情があるんだと思う。」

 気づいた時には、既に講義が終わっていた。学生たちがぞろぞろと出入り口へ向かう。結局マナーに関する講義は全く聞いていなかったけれど、代わりに役立つ考察ができたと思う。もちろん、今入りたい企業を目指すのも手だ。しかし、一度就職活動を経て実際に働いた社会人たちが選ぶ人気企業ランキングを軽視することはできないだろう。もともとメーカー志望の美春と違って、俺は今までメーカーにほとんど興味を持ってこなかったが、一度じっくり調べてみようと決意した。
 学校から駅までの短い通学路。色々と思いをはせる俺の隣では、美春が今まで興味がないと言っていたIT業界について調べていた。

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